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君と熟れた夏  作者: 小坂あと
前編

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12/25

第12話「口移しなら」








『っ……ご、めんね。風邪、引いちゃったみたいで。今日のバイト、お休みしたくて』

「おっけい。私から伝えとく。ゆっくり休んどき」

『ありがとう……大好き』

「ぉ、おう。私も、うん。す……うん。おやすみ!」


 小川に行った翌日、朝早くに詩乃ちゃんから電話があって、どうやら具合が良くないんだそう。


 心配で会いに行きたかったけど、私も私で彼女が抜けた分の穴埋めをしなきゃならなくて日中は八百屋の手伝いで忙しく、夕方までなんだかんだ作業に時間がかかった。


 終わってからは小学生の弟と宿題をやるついでに勉強を教えてやって、早くも夜。


『体調はどう?』

『しんどい』


 昼間ずっと気がかりで、後は寝るだけって時間にメッセージを送ったら、本当に限界そうな短い返信が通知を鳴らした。


『さびしい』

『わかるよ。風邪の時って心細くなるよね』

『あいたい』


 四文字しか使えなくなったの?ってくらい、簡潔な素直さが心に直撃して、後先なんて考えず自室から階段までを流れる動きで駆け下りた。


 隠そうともしてない足音に気が付いた家族がリビングから顔を出し、「どうしたの」と聞いてきた母親には「友達んとこ」と素っ気なく嘘をついて棚を漁り、自転車に跨いだ。


 彼女の家が坂道の上にあるとか、気にしない。


 どんだけ疲れたって、足が棒になったって、恋人が寂しがってるんだ。会いに行くに決まってる。


『今から行く』


 一応、驚かせないよう一言だけ送っといて、ペダルを漕ぎ出した。


 体力には自信があるから、全力を出せば十数分。本来ならバスと徒歩で行くような距離をひた走る。


 ただ、若さと勢いだけでは心臓破りの坂を乗り越えられず。


「っはぁー……きっつ」


 途中で降りて、自転車を押して歩いた。


 丘の頂上に近付くたび、夜景にもなれない村の光が遠くに、視界の端に映る。外灯が点々と照らしているとはいえ、さすがは田舎。この時間は薄暗いを通り越して闇。


 木々がざわめく音が、夜だと不気味に感じる。


 煌々と地上に降り注ぐ星々や月の灯りを頼りに、詩乃ちゃんが待つ家へ進んだ。


『着いた』


 彼女の住処には相応しい、白を貴重とした家の前。門から見える庭には、管理されているとひと目で分かる薔薇や植物が植えられていた。


 返信はないものの、代わりに二階の一室の電気がつき、カーテンが開く。


 窓を開け、柵に手を掛けた相手へ向かって手を降ると、離れていても驚いているのが伝わるほど固まっていた。


『おうち、入れられないよ』


 俯いて何かしてると思ったら、画面に焦ったメッセージが届いた。


『いいよ。ほんと顔見に来ただけだから』

『私が嫌だよ。こんな近くにいるのに』

『じゃあ、入れて』


 無茶なお願いと知っていて、本心は会う気満々で来てたから図々しくも送ってみる。


『裏門からきて』


 しばらく悩んで、数分後に覚悟を決めたらしい。


 指示に従って裏門へ回り、万が一のことを考えて自転車は木の影に停める。かごに入れといた袋も取る。


 錆びとは無縁の門をくぐり進むと、キッチンへ繋がるんだろう扉があって、そこの鍵がカチャリと開く音がした。


「……入って」


 無駄に音を出さないよう、端的に伝えてきた詩乃ちゃんの後に続く。靴は置いておいたらまずそうだから、持って行った。


 静まり返った他人の家で、抜き足さし足で進む背徳感に心を踊らせながらも、ビビる気持ちもちゃんとある。だから息を潜めた。


 うちとは違って軋まない階段を上がり、すぐの部屋に招かれる。


「もう。びっくりした」


 扉が閉まると同時に、詩乃ちゃんは肺から絞るような吐息を吐いて、胸元を押さえていた。


「迷惑だった?」

「ううん。うれしい」


 怒らせたかとも不安になったけど、抱きついてきた仕草から、全然そんなことなくて安堵する。


「あいたかった」

「私も。……熱は、大丈夫?」

「まだちょっと、微熱」

「そっか。ベッド行こ。しんどいべ」

「夕夏ちゃん来てくれたから、元気なった」


 無邪気に喜んでくれる愛らしさに惹かれながらも、身を案じて変なことをする気は一切なく、そっとベッドの上へ押し倒した。


 羽毛布団を掛けてあげて、クーラーが効きすぎてるのか室内が寒い気がしたから、リモコンを探して温度を上げた。


 ベッド脇に腰を落ち着けてからは、会話もなく髪を撫でるだけの時間を過ごす。


「バイトとか、無理してたんだべ」

「うん……楽しくて」

「そかそか。そんじゃ早く治して、もっと楽しいこといっぱいしよ。海もあるから、行くべや」

「いく」

「とりまこれ食って、元気になって」

「え…」


 そう言って見せたのは、うちからくすねた栄養満点の果物たちだ。ナイフがなかったから、手で剥けるものを揃えた。詩乃ちゃんは驚きよりも嬉しさを瞳に宿して、目をぱちくりとさせていた。

 

「今食べる?お腹すいてないんなら、後ででもいいけど」

「いまがいい…」

「一緒に食うべ。いっぱいあるからさ」

「ありがとう」

「いーえ」


 さっそく房からぶどうをひとつもぎって、皮ごといけるよと詩乃ちゃんの口へ運ぶ。


 食べさせる時に触れた皮膚の薄い柔らかさには意識を向けないよう気を付けて、もぐもぐ咀嚼するかわいさを微笑ましく眺めた。


「うまい?」

「あまくて、んまい」

「はは。もっと食べる?」

「ん」


 自分の口にも放りつつ、おいしさを共有する。プチンと皮が破れ、果汁が舌の上全体に広がる瞬間がたまらない。

 

 ゆっくり、よく噛む詩乃ちゃんを待ちながらパクパク次から次へと食べ進めていたら、ふと袖を握られた。


「私の分……なくなっちゃう」

「大丈夫。ちゃんと残しておくよ」

「ちょうだい」

「うん。わかっ」

「口移しがいい」


 和やかだった空気が、一変する。


「くち、……?」

「だめ?」

「え。いや」


 逆に、いいの?


 キスとか、しない約束じゃ――


「く、口移しは、キスじゃない。から…」


 整合性の取れていない理屈で許され、納得し、粒のひとつを歯で軽く挟んだ。


 これって、唇にも当たっていいのかな。


 セーフと判断されるギリギリを求めて動く体を止める者は、誰もいない。たとえいたとしても、私達はやめないだろう。


「あー……ん」


 わざとらしく、「これは食べるためですよ」とでも言い訳の余地を残すみたいに声を出した詩乃ちゃんは、顔を落とした私の唇ごとぶどうを口に含んだ。


 想像よりも何倍も熱に膨れ、艶めかしい感触に包まれる。


 心臓が昂ぶりすぎて、一周回って酸欠で、手足の先が痺れる感覚がした。


「おいし……もっと」

「うん…」

「もっと、食べさせて…?夕夏ちゃん」


 仰せのままに。


 積極的なお姫様の願いを叶えるべく、丸みを帯びた果物越しの接触をまたも試みる。


 今度は邪魔な潤いを噛み潰して、奥歯で粉砕して飲み込んで、熟しきれてはいない初々しさに触れた。 


 生身の赤い果肉と、果汁同士が絡みつく。


 三粒。


 胃に落とした辺りで、自制心が働いてやめた。


 空腹よりも、心の飢餓を満たすため床に伏した彼女を無理させて傷付けてしまうのが、嫌で。


「……また明日」

「……うん」


 小指だけ絡めて、坂道を楽々、軽くなった体を乗せた自転車は下っていった。




 


 



 

 

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