第1話「寂れたバス停にて」
高1の夏。
「転校生の、篠原詩乃さんだ。みんな、仲良くするように」
大地を割るほどの衝撃と共に、教室内を霹靂で劈いた存在――篠原さんは、雪のように白い肌を赤らめ、体を萎縮させていた。
時期外れの入学。都会から舞い降りた天使に歓喜の声を上げた男子は裏山の猿よりもうるさく、女子の嫉妬は畑を荒らすハクビシン並に厄介だ。
「空木、朝から弁当を食うな」
私はどちらにも属することなく、早弁をしていた。
大衆の目に晒され、初めのうちは好奇心から寄ってたかっていた生徒達も、人見知り故か口数の少ない篠原さんに興味を失い、1ヶ月経つ頃には夏休みも始まり。
たいした変化も、接触もなく日常を過ごしていた、ある日。
「うわっ、狐の嫁入りかよ!最悪だ…」
友達と自然の中を遊び歩いて楽しんだ帰り道、晴れた夕立ちに遭遇し、慌てて寂れたバス停の中へ飛び込んだ。
「あ……」
そこで、私達の人生は交わることになる。
「あ。どうも」
「ど……どう、も」
きっと彼女も雨を凌ぐため入ったんだろう狭い空間で、気まずさを僅かばかり残した挨拶を交わす。
まるでテレビの中でしか見たことないような、真っ白なワンピースに身を包んだ彼女は、これまたお嬢様感漂う光沢のある白い鞄を両手で持っていて、中学時代のジャージ半袖に短パンというわんぱく小僧な私とは正反対の格好をしていた。
佇まいも、ザ・女の子って感じがして、周りにいるようでいない雰囲気が慣れなくて、変に意識してしまう。
「ぁ、あの」
髪や顎からポタポタ垂れる水滴を袖や襟元で雑に拭いていたら、白い鞄から白いハンカチを出した篠原さんが、控えめな仕草で差し出してくれた。
「よかったら……すごく、濡れてるから…」
「どうも…」
ありがたく受け取って、頬に当てる。すると、人生で嗅いだこともないほど心地のいい香りが鼻孔をついて、思わずスンと鼻先を付けた。
麻薬物質でも溢れているのか、香りが鼻の奥に抜けて脳髄を満たすと、なんとも言えない幸福感に包まれる。
村の女友達は私含めみんな汗くさいか、香水特有のきつい匂いしかしないというのに。この差はいったいなんなんだろう。
「ゃ……そ、そんなに、嗅がない、で。…ください」
隣で恥じらう姿にも、電撃が走る。
さすがは都会から来た女。破壊力が段違いで、田舎の女とは比べ物にならない。
「……柔軟剤、なに使ってる?」
「え……え。ふ、ふつう、の」
「めっちゃいいにおいする。後で、分かったら教えて」
「ぇ、あ、はい。わかりまし、た…」
「連絡先、聞いといてもいい?」
仲良くなりたい下心が半分、残りは単に気になっただけで、ズカズカと相手の領域に入り込もうとした。
「れ、連絡先は……母に、聞かないと、だめで」
しかし、断られてしまった。
「そっか。……もし大丈夫だったら」
ガサゴソとポケットをまさぐったら、謎に5cmくらいしかない鉛筆とレシートが出てきて、この時ばかりは自分の大雑把に感謝した。
ハンカチを咥え、両手を使えるようにして、レシート裏に電話番号を殴り書きする。
「これ。追加しといて」
無理だったら捨てちゃっていいからと補足したタイミングで薄暗かった世界に日光が射して、辺りがふわりと明るくなる。
ぐちゃぐちゃのレシートを受け取ってくれた篠原さんは、晴れた空よりも紙に視線を落としていた。
私は灰暗い雲の隙間から覗く天使の道を見上げ、止んだ雨に安堵して口角を持ち上げた。
「ハンカチ、ありがと」
「あ……い、いえ」
「洗濯して返すね!明日、予定なかったらここ来てよ」
今立っている場所――バス停の地面を指差して言うと、目をぱちくりさせた後で、彼女は小さく何度も頷いた。
「じゃ、また明日!」
「は、はい」
「雨で土ぬかるんでるから、転ばないようにね」
「っは、はい」
手を振って、爽やかに走り出す。
この後すぐ、注意した私がずっこけて、心配した彼女が駆け寄ってきた時に見せた、
「ふふ。空木さん、けっこうドジなんだね」
気品溢れる笑顔に目を奪われたのは、ここだけの話だ。




