第89話
会議室は、静かだった。
窓はなく、外の音も入らない。
長机の上には、書類が整然と並んでいる。
同じ名前が、何度も印字されていた。
――レイ。
年齢。
発見経緯。
保護理由。
健康状態。
観測記録。
どれも、丁寧にまとめられている。
「まず、危険性についてですが」
最初に口を開いたのは、年配の職員だった。
声は落ち着いており、感情の揺れはない。
「現時点では、明確な危険行動は確認されていません」
誰かが、静かに頷いた。
否定の声は、出なかった。
「能力についても、未使用。
発現の兆候はありますが、制御不能という段階ではありません」
「つまり、今すぐ隔離する必要はない、という理解で?」
「はい。その通りです」
議事録に、文字が書き加えられる。
――緊急性なし。
すぐに、次の話題へ移った。
「管理責任についてですが」
別の職員が、書類をめくる。
「年齢を考慮すると、単独行動は認められません。
保護下に置くこと自体は、妥当だと考えます」
「異論は?」
誰も、口を開かなかった。
保護は、正しい。
守る必要がある。
その点に、反対はなかった。
「問題は、期間です」
空気が、わずかに張る。
「短期か、長期か。
あるいは、期限を設けないか」
「前例は?」
「……ありません」
一瞬、沈黙が落ちた。
「類似案件も?」
「確認しましたが、該当なしです」
前例なし。
それは、判断材料にならない。
同時に、誰の責任にもならない言葉だった。
「では、安全側を取るべきでしょう」
その提案に、誰も異を唱えなかった。
安全。
管理。
監督。
どれも、正しい言葉だ。
「本人の意思確認は?」
一人が、形式的に問いかける。
「現段階では、判断能力が十分とは言えません」
「過度な選択を迫るのは、負担になります」
「同意します」
議事録に、また一行が加えられる。
――本人意思:保留。
誰も、冷たいわけではなかった。
むしろ、慎重だった。
レイを守ろうとしている。
だからこそ。
「外部との接触については?」
「最低限に制限すべきです」
「刺激になる可能性がありますから」
「環境は、安定している方がいい」
刺激。
安定。
それが、誰のための言葉なのか。
改めて問う者はいなかった。
会議は、淡々と進む。
感情論は出ない。
誰かを責める声もない。
ただ、判断だけが積み重なっていく。
「まとめます」
司会役の職員が、結論を読み上げた。
「当面、対象は現行施設での保護を継続。
外出および外部接触は制限。
能力発現の兆候が確認され次第、再協議とします」
全員が、頷いた。
異議なし。
反対なし。
完璧な合意だった。
書類に、判が押される。
正式な決定。
会議は、それで終わった。
誰も、レイを悪く言わなかった。
危険視もしていない。
排除しようともしていない。
――ただ。
そこには、
一人の少年としての姿はなかった。
名前はある。
情報も揃っている。
けれど、声がない。
表情もない。
案件としてのレイだけが、
机の上に残っていた。
会議室の灯りが、消える。
決定は、すでに動き出している。
本人が知らない場所で。
本人が、いないまま。




