第85話
最初に気づいたのは、音がしなかったことだった。
朝だったはずだ。
空は、明るい。
けれど、鳥の声がない。
風の音も、葉の擦れる音も、聞こえなかった。
代わりに、規則的な呼吸音があった。
自分のものではない。
レイは、ゆっくりと目を開けた。
天井がある。
木の梁。
白く塗られた壁。
――外ではない。
体を起こそうとして、思ったよりも抵抗がないことに気づく。
痛みは、なかった。
縛られている感じも、ない。
ただ、ここに来た覚えがなかった。
「起きましたか」
声は、近かった。
静かで、抑えられている。
振り向くと、扉のそばに女が立っていた。
年齢は、よくわからない。
きちんとした服。
腰には、書類をまとめた革のケース。
知らない人だ。
「驚かせてしまったなら、ごめんなさいね」
女はそう言ってから、一歩も近づかずに立っている。
距離を、保っている。
「私はミラ。
地上管理局――保護課の者です」
聞き覚えは、ない。
言葉だけが、残った。
「あなたが倒れているところを、巡回の者が見つけました。
熱もあったので、ここで休んでもらっています」
淡々とした声だった。
倒れた記憶は、ない。
けれど、違うと言い切れるほどでもなかった。
「安心してください。
危害を加えるつもりはありません」
ミラは、同じ調子で続ける。
「ここは一時的な施設です。
食事も、寝る場所も、あります」
それを聞いても、何も浮かばなかった。
良いとも、悪いとも。
「正式な手続きについては、後ほど説明します。
いくつか確認事項がありまして、
順番に進める必要がありますので」
説明は増えた。
けれど、状況は見えなかった。
「状況が落ち着くまで、ここにいてください」
言い方は、柔らかい。
だが、言い直されることはなかった。
レイは、床を見る。
きれいだった。
土の匂いは、しない。
視線を上げると、窓があった。
外の光は入る。
けれど、開く構造ではないことが、見ただけで分かった。
「……質問は、ありますか?」
少し間を置いて、ミラが言った。
レイは、首を横に振った。
聞きたいことは、あった気がする。
でも、形になる前に消えた。
「そうですか」
ミラは、それ以上言わなかった。
「では、少し休んでください。
後で、改めて説明します」
扉に手をかけ、出ていく前に、一度だけ振り返る。
「あなたは、守られています」
扉が閉まる。
音は、小さかった。
レイは、ベッドの上に座ったまま、動かなかった。
ここに来るまでのこと。
どこで眠ったのか。
誰が運んだのか。
考えようとして、やめる。
わからない、という感覚だけが残った。
守られている。
その言葉だけが、部屋の中に残っていた。
安全だ。
そう思おうとして、
外の匂いを、思い出せなくなっていることに気づく。




