第62話
夕方の空気は、昼と夜の間にあった。
どちらにも、寄りきらない。
通りの端で、声が上がった。
大きくはない。
でも、止まる音だった。
箱が倒れている。
木の箱。
中身が、石みたいに転がっている。
「……おい」
誰かが言う。
名を呼ばない。
レイは、少し離れた場所にいた。
いつもの位置より、さらに外。
人が集まる。
足音が増える。
囲むほどじゃない。
でも、道が狭くなる。
「数、合わねえぞ」
別の声。
短い。
箱の中を見る人。
地面を見る人。
レイを見る人。
目が、合う。
一瞬。
すぐ、逸れる。
誰も、言わない。
でも、待っている。
レイは、動かない。
箱にも、近づかない。
頭の中で、考えが浮かぶ。
でも、最後まで行かない。
違う。
たぶん。
でも、それ以上は、出てこない。
「……ここに、いたよな」
低い声。
責めてはいない。
レイは、うなずく。
言葉は、出ない。
石が一つ、転がっている。
箱から、少し離れた場所。
拾えば、終わる。
そういう距離。
でも、誰も拾わない。
拾わせない。
レイは、手を見る。
汚れている。
さっき、別の仕事でついたもの。
動かない。
「数、減ってたのは、前からだ」
別の大人が言う。
前を見たまま。
「……前から、か」
間が、落ちる。
レイは、石を見る。
次に、箱を見る。
それから、人を見る。
声が、ない。
力を使えば、終わる。
一瞬で。
散った石を、戻せる。
でも、そのあとが、分からない。
手が、少しだけ熱い。
気のせいみたいな、違和感。
やめる。
「今日は、もういい」
誰かが言う。
決める声。
箱は、脇に寄せられる。
石は、拾われない。
人が、ばらける。
完全には、散らない。
レイは、その場に残る。
残される。
セインが、通りの向こうにいる。
門の影。
こちらを見ている。
近づいては、こない。
ルガの姿が見える。
遠い。
目は、合わない。
夕方の匂いが、強くなる。
腹が、鳴る。
小さな音。
でも、近い人には聞こえる。
誰も、何も言わない。
ミナが、通りを横切る。
一瞬、立ち止まる。
「……」
何か言いかけて、やめる。
手を振りかけて、下ろす。
行ってしまう。
レイは、その背中を見ていた。
追わない。
空が、暗くなる。
灯りが、つく。
通りは、いつもと同じになる。
音も、匂いも。
でも、立つ場所が、ない。
さっきの箱の場所。
もう、誰もいない。
レイは、近づかない。
近づいていいとは、言われていない。
力を使えば、証明できる。
違う、と。
役に立つ、と。
でも、それは、ここで使うものじゃない。
そう思う。
理由は、出てこない。
夜になる。
通りの外れで、腰を下ろす。
石の縁。
冷たい。
腹は、空いたまま。
眠くもない。
音が、遠くなる。
近くなるのは、考えだけ。
でも、考えは、途中で止まる。
戻る、という言葉が浮かぶ。
どこに、かは分からない。
街の中。
今日の朝に立っていた場所。
そこに、戻れる感じが、しない。
追い出されてはいない。
名前も、呼ばれていない。
でも、もう、同じ場所に立てない。
理由は、言われていない。
説明も、ない。
ただ、さっきの視線。
拾われなかった石。
終わったことにされた箱。
それだけで、十分だった。
レイは、立ち上がる。
通りを見る。
誰も、止めない。
呼びもしない。
戻れない。
そう思ったところで、
それ以上、考えなかった。
夜は、もう深い。




