第4話
音は、後ろからだった。
かさり、と。
落ち葉を踏む、軽い音。
振り返らなくても分かる。
風じゃない。
体が、先に固まった。
足を止める。
息も、止める。
もう一度、音。
近い。
走る。
考える前に、体が動いた。
枝を避ける余裕はない。
腕に、細い痛みが走る。
転ばないように、
ただ前へ。
肺が、ひゅっと鳴る。
空気が、足りない。
背中が、また熱を持つ。
いやな感じ。
あれを使ったら、
どうなるか分からない。
でも、止まったら――。
足が、ぬるっと滑った。
視界が、傾く。
転ぶ。
地面に、肩を打ちつける。
息が、詰まる。
その瞬間、
音が止んだ。
静かすぎる。
逆に、怖い。
体を起こそうとして、
動けない。
腕が、震える。
視界の端に、影。
低い位置。
四つ足。
獣だ。
大きくはない。
でも、牙がある。
目が、合った。
黄色い。
森の色じゃない。
距離は、
五歩くらい。
近い。
叫びそうになって、
飲み込む。
音を出したら、終わる。
胸の奥が、
ざわざわする。
あの感覚。
背中が、熱い。
肩甲骨のあたりが、
引きつる。
出そうになる。
でも。
出たら、
どうなる?
処刑台で、
何が起きたのか、よく覚えていない。
ただ、
誰かが倒れて、
叫んで――。
怖い。
力も、
同じくらい怖い。
獣が、
一歩、前に出た。
低く、唸る。
よだれが、垂れる。
距離が、縮む。
体が、
勝手に後ずさる。
足元に、石。
つまずく。
もう、逃げられない。
そのとき。
獣の耳が、
ぴくりと動いた。
視線が、
こちらから外れる。
森の奥を見る。
次の瞬間。
獣は、踵を返した。
音もなく、
影の中へ消える。
残ったのは、
静けさだけ。
しばらく、
動けなかった。
呼吸が、荒い。
喉が、痛い。
腕に、
じわっと血がにじんでいる。
痛みが、
遅れてくる。
「……いった……」
声が、震えた。
でも、
生きている。
それだけで、
少し安心する。
立ち上がる。
足が、
まだふらつく。
周りを見る。
さっきの獣はいない。
でも、
視線は、消えていない気がする。
森が、見ている。
助けたわけじゃない。
ただ、今は、
殺さなかっただけ。
そう思えた。
背中の熱は、引いている。
力は、出なかった。
出さなかった。
それが、
正解だったのかは、分からない。
でも。
使わずに済んだ。
その事実が、
少しだけ、胸を軽くした。
腹が、また鳴る。
情けない音。
生きている証拠。
レイは、
森の奥へ、もう一度歩き出した。
今度は、
さっきより慎重に。
ここでは、
強さよりも――
生き延びるほうが、先だと。
ようやく、
分かり始めていた。




