第38話
朝は、勝手に来る。
目を閉じていた時間が短くても、空の色が変われば、それで朝だ。
体を起こす。
背中と腰が、少し遅れて痛む。
地面の冷えが、まだ残っている。
街の音が、増えていく。
戸を開ける音。
水を汲む音。
低い声で交わされる、短いやりとり。
夜と同じ場所に、立っている影がある。
姿勢も、ほとんど変わらない。
「動くぞ」
それだけだった。
歩き出すと、視線が増える。
はっきり向けられるもの。
すぐに逸らされるもの。
子ども。
汚れている。
知らない顔。
市場に近づくにつれて、匂いが変わる。
焼いたパン。
油。
甘いもの。
腹が、反応する。
「坊や、邪魔だよ」
端に寄る。
次の店。
その次。
声をかけられる前に、視線が外れる。
仕事を探す、という言葉が浮かぶ。
少し後ろに、気配がある。
何も言われない。
桶を運ぶ男のそばへ行く。
言葉を探す。
「……あ?」
見下ろされる。
「遊びじゃねぇぞ」
それで終わる。
次は、布を干している女のところ。
口を開く前に、手を振られる。
「怪我したら困るからね」
同じことを、何度か繰り返す。
近づいて、見られて、終わる。
日が、少し高くなる。
空腹が、はっきりしてくる。
パンの値段が、聞こえる。
銅貨の音。
路地に入ると、視線が減る。
壁に背をつける。
影が、短くなっている。
「今日は、無理だな」
初めて聞いた声だった。
「……うん」
朝は進む。
腹が減る。
屋台の前を通る。
鍋の音がする。
進路が、変わる。
市場から、離れる方向へ。
「どこ、行くの」
聞いてしまう。
「昼まで、待つ」
それだけだった。
日差しが、肌に当たる。
座り込む。
地面は、朝より硬い。
視線は、まだある。
空を見上げる。
雲が流れる。
朝は、始まってしまった。




