第20話
森の奥で、空気が変わった。
音が、戻り始めている。
鳥の羽音。
遠くで折れる枝の音。
だが、それは自然の気配ではなかった。
動きに、揃いすぎた間がある。
足が止まる。
片手が上がり、静止の合図。
息を殺す。
耳が、勝手に音を探す。
前方。
木々の隙間に、人影があった。
隠す気はない。
見せるために、そこに立っている。
「……出てきたか」
低い声。
影が、一歩前に出る。
軽装の男。
鎧はない。
弓も、剣も、構えていない。
だが、距離は詰めてこない。
「逃げ足は見事だった」
穏やかな声。
褒めているようで、熱はない。
「森を使った判断も、悪くない」
視線が、こちらに向く。
値踏みする目。
感情は、読み取れなかった。
「子どもだな」
事実を並べただけの口調。
「……引け」
「ここは、貴様らの狩場じゃない」
「承知している」
男は、素直にうなずく。
「だから、踏み込んでいない」
周囲を、軽く見回す。
「ここから先は、森が煩わしい」
冗談ではない。
理解したうえでの言葉だった。
「今日は、話に来ただけだ」
「話すことはない」
「ある」
距離を保ったまま、言う。
「君たちは、もう囲まれている」
空気が、張りつめた。
背中を、冷たいものが走る。
「三日」
指が、一本立つ。
「その間に、選べ」
「何をだ」
「逃げ続けるか」
もう一本。
「差し出すか」
視線が、突き刺さる。
声は穏やかだ。
中身だけが、冷たい。
「……断る」
返答は、即座だった。
「予想どおりだ」
男は、肩をすくめる。
「だが、伝言は果たした」
踵を返す。
「次は、話では済まない」
その瞬間。
風が、強く吹いた。
木々が大きく揺れ、枝が軋み、根が地表を割る。
森が、反応している。
男は、足を止めた。
振り返り、森を見つめる。
「……拒まれているな」
小さく、笑う。
「だが、完全じゃない」
その一言が、引っかかった。
「上には、伝えておく」
それだけを残し、
男は音もなく姿を消した。
しばらく、誰も動かなかった。
森のざわめきが、ゆっくり戻る。
息を吐く音。
「交渉役だ」
続けて、
「本命じゃない」
消えた方向を見る。
胸の奥が、重い。
「三日だ」
「それまでに、森を抜ける」
「……できるの」
小さな声。
「やる」
即答。
準備を始める背中を見て、
足元に、視線を落とす。
境界は、もう触れられた。
森の奥で、何かが動く。
人の気配が、確実に近づいていた。




