第18話
森の外れ。
魔の森と人の領域が、曖昧に重なり合う場所で、男は馬を降りた。
夜明け前。
空はまだ暗く、東の端だけが、わずかにほどけている。
鎧は着ていない。軽装だが、隙は見えなかった。
歩き方も、視線の運びも、迷いがない。
「……ここか」
低い声が、霧に沈む。
膝をつき、地面に触れる。
指先で土を掬い、軽く擦った。
湿り気。
踏み荒らされた跡。
そして――残る、違和感。
「……混じっている」
聖と、暗。
どちらか一方なら、もっと単純だった。だが、そうではない。
背後に控える部下たちが、息を詰める。
「噂どおり、ですか」
「噂以上だ」
男は立ち上がり、森を見据えた。
木々の奥。光の届かない場所。
人が踏み込めば、理が削られる領域。
「斥候の判断は悪くない」
淡々と告げる。
「ここから先を、押す意味はない」
「では……待つ、と」
「読む」
短い答え。
「流れを」
視線が、わずかに細くなる。
「同行者は魔族。力量は高い」
「勝てませんか」
「万能ではない」
即答だった。
「守るものがある」
男は一歩だけ、森へ踏み出す。
皮膚を撫でる、ざらついた感触。拒絶。警戒。
だが、完全ではない。
「……入り込んでいるな」
口元が、わずかに歪む。
「七歳で処刑台に立ち、それでも生きている」
評価でも、感嘆でもない。ただの確認。
「力は、まだ定まっていない」
そう言って、森から足を引いた。
「確保を優先する」
部下たちの空気が、張る。
「抵抗が激しい場合は」
「動けなくすればいい」
感情はない。
「命が残れば、それでいい」
「魔族が出た場合は」
「排除する」
淡々と。
「必要なら、周囲ごと削る」
脅しではなかった。
「三日だ」
背を向ける。
「包囲を整えろ」
部下たちは、即座に散った。
男は最後に一度だけ、森を振り返る。
奥にいるはずの、まだ見ぬ存在へ。
「……選ばせてもらう」
呟きは、風に消えた。
――同じ頃。
森の、さらに深い場所。
目が覚める。
理由は、分からない。
胸の奥が、冷たい。
息を吸うと、その冷えが広がる。
近い。
何かが。
それだけは、否定できなかった。
すでに、立っている影がある。
夜が、完全に明ける前。
森は、音を殺していた。
嵐の前のように。




