第17話
夜の森は、音が少なかった。
風はある。葉も揺れている。それでも、すべてが遠い。
倒木の上に、男が腰を下ろしていた。
焚き火はない。灯りもない。
闇に慣れた目が、森の奥を追っている。
待っている、というより、すでに動いている空気だった。
「逃走経路は、ほぼ確定だ」
低い声。
返事は、すぐには返らない。
少し離れた場所で、別の男がしゃがみ込み、地面に触れていた。
指先で土を撫で、折れた草を拾い上げる。
しばらくして、顔を上げる。
「子どもだな」
それだけ言って、草を捨てた。
「足運びが安定していない。だが、迷いは少ない」
「同行者は?」
「一人。魔族だ」
倒木の男が視線を上げる。
表情は変わらない。
「厄介だな」
「想定内だ」
別の影が、闇の中から近づいてくる。
斥候だった。息は乱れていない。
「接触は?」
「威圧のみ。深追いはしていない」
「判断は正しい」
倒木の男は立ち上がる。
音を立てず、地面に降りた。
「混血の子どもは?」
「生きている」
「それでいい」
感情は、乗らない。
「……本当に、七歳か」
誰かが呟いた。
「処刑場から逃げ、魔の森で魔族と行動している」
「年齢は関係ない」
最も静かな男が言う。
「価値があるかどうかだ」
その言葉で、場が静まる。
「禁忌の混血」
淡々と、落とされる。
「天使と悪魔の血。それだけで十分だ」
「確保、ですか」
「生死は問わない」
一瞬の間。
「可能なら、生かせ」
理由は、口にされない。
「動くのは、明日以降だ」
「包囲は?」
「急ぐな」
男は、森の闇を見据える。
「踏み込みすぎれば、削られる」
風が枝を揺らす。
音はするが、近づいてこない。
「逃げ場は、限られている」
声は、低いまま。
――その頃。
崖下の、さらに奥。
横になっている。眠ってはいない。
目を閉じても、音が遠のかない。
葉の擦れる音。何かが落ちる気配。
それが風か、生き物か、分からない。
胸の奥に、ひっかかりが残る。
少し離れた場所に、影が立っている。
こちらを見ているのか、森を見ているのかは分からない。
息を整えようとする。うまくいかない。
見られている。
そう思う。
確かなものは、ない。
ただ、空気が重い。
力は、静かだった。
熱も、光も、ない。
それでも――ただ逃げるだけでは、いられない。
葉の隙間から、冷たい月光が差し込む。
優しくはない。
印をつけるような光。
森の奥で、息が落ちる。
気のせいかもしれない。
だが、目は閉じなかった。
狩りは、もう始まっている。




