第131話
その判断は、遅れたわけではなかった。
むしろ、慎重だった。
これまでより丁寧で、配慮に満ちていた。
地上の集落で、小さな異変が見つかったのは昼過ぎだった。
倉庫の壁に、ひびが入っている。
今にも崩れるほどではないが、放置すれば危険になる。
誰かが補修を提案した。
すぐに動けば、数刻で終わる作業だ。
だが、その場にはレイがいた。
彼は倉庫の外れ、日陰になる場所に立っているだけだった。
何も見ていない。
何も言っていない。
それでも、空気が一瞬、止まった。
「……先に、確認を」
誰かが言った。
確認とは、何のことか。
はっきりとはしなかった。
念のため。
万が一のため。
何かが起きないように。
その言葉を、誰も否定しなかった。
補修は延期された。
理由は書類に残らない。
その日のうちに、別の作業が優先された。
夕方、ひびは広がった。
木材が軋み、重さがずれ、一部が崩れた。
中にいたのは、作業員一人。
大事には至らなかったが、腕を打ち、
数日は動けなくなる。
倉庫の中身も、一部が使えなくなった。
事故としては小さい。
責任を問うほどのものでもない。
だが、言葉が残った。
「……彼がいたから」
直接ではない。
責める調子でもない。
ただ、慎重になりすぎた、
という言い方だった。
守ろうとした。
巻き込みたくなかった。
余計な刺激を与えたくなかった。
その結果、判断が一段、遅れた。
誰も悪くない。
誰も間違っていない。
それでも、結果は出てしまった。
報告書には、レイの名前は書かれない。
代わりに、こう記される。
――現場判断において、
――慎重な対応が選択された
慎重。
それは、正しい言葉だった。
だが、正しさは、
常に最善とは限らない。
ミラは、その報告を読んだ。
紙を伏せ、しばらく動かなかった。
守ったはずだった。
だが、何が守られたのかは、
報告書のどこにも書かれていなかった。
レイは、何も知らない。
事故のことも、言葉の流れも。
ただ、少し離れた場所で、
以前より静かに立っている。
近づく者が、減った。
声をかける前に、
一拍、置くようになった。
守るための間が、
距離に変わっていく。
その変化を、
誰も決定とは呼ばない。
ただ、
次も同じ判断をするだろう、
という予感だけが残った。




