第130話
最初に違和感が出たのは、数値だった。
天界の観測室では、
日々の記録が、淡々と並ぶ。
光量。
流量。
干渉値。
反応時間。
すべては、
規定の範囲に収まっているかどうかだけを見られる。
その日も、異常値はなかった。
警告は出ない。
補正も必要ない。
問題があるようには、見えなかった。
ただ、一箇所だけ、
記録が薄かった。
「……ここ」
担当官の一人が、指を止めた。
数値は、書かれている。
欠損ではない。
だが、前後と比べると、
意味の重なりがない。
増えてもいない。
減ってもいない。
揺れてもいない。
本来なら、
変化が出るはずの地点だった。
「反応が、ない?」
問いは、確認に近かった。
別の担当官が、記録をめくる。
「観測はしている」
「装置も正常」
「遮断も、干渉もない」
原因らしいものは、どこにもない。
定義案が、参照される。
――禁忌存在に関する暫定的条件
――該当条件下では、
――必ず何らかの反応が発生する
その「必ず」が、
成立していなかった。
「起きていない、ということか」
誰かが言った。
否定の声は、出なかった。
起きていない。
それだけだ。
だが、それは記録上、
もっとも扱いづらい状態だった。
起きたのなら、説明できる。
起きすぎたのなら、調整できる。
起きなかった場合、
何を直せばいいのか、分からない。
再観測が行われた。
条件を揃え、
同じ環境を再現する。
結果は、変わらない。
変化は、起きない。
「誤差の範囲では?」
そう言う者もいた。
だが、誤差と呼ぶには、
静かすぎた。
数値が、
そこに留まっている。
動こうと、しない。
天界において、
現象は、説明できる前提で管理されている。
説明できない現象が出た場合、
定義を修正する。
だが今回は、
現象が、足りない。
説明すべき「何か」が、
存在していない。
「……前提が、違うのか?」
誰かが、定義案を閉じた。
ページを閉じる音は、
やけに大きく響いた。
禁忌存在。
例外処理。
管理不能。
どの言葉も、
何かが起きることを前提にしている。
だが、
何も起きていない。
少なくとも、
起きたと呼べる形では。
記録には、注釈が付いた。
――当該観測点において、
――反応未発生
――原因不明
原因、という言葉だけが、
先に置かれる。
誰も、それ以上を書けなかった。
会議は、短く終わった。
結論は、出ていない。
出せるはずが、なかった。
定義が間違っているとも、
現実がおかしいとも、
まだ言えない。
ただ、
空白がある。
観測値の中に、
説明されていない余白が残っている。
それは、
危険でも、異常でもない。
ただ、
定義の外にある。
天界は、
その余白を見つめたまま、
次の言葉を、探し始めた。




