第126話
最初は、記録の中だけにあった。
管理不能――
その言葉は、天界の内部文書に記され、注釈と共に保管されていた。
公表する予定はなかった。共有も、最低限に留められていた。
それでも、言葉は外へ出た。
正確な定義を伴わないまま、断片だけが切り取られていく。
管理不能。禁忌存在。例外。
文脈を失った言葉は、意味よりも先に、響きだけを持ち始めた。
地上では、噂になった。
危険なのではないか。
触れてはいけないのではないか。
近づくと、何かが起きるのではないか。
誰も、何が起きるのかは知らない。
ただ、起きるかもしれない、という想像だけが増えていく。
魔界では、言葉だけが笑われた。
管理不能という表現は、彼らにとっては、管理したがる側の都合を言い換えただけのものだった。
分からない、と言えば済む話を、わざわざ別の形にしている。
それだけのことだった。
だが、天界にとっては違った。
言葉が独り歩きを始めた瞬間、制御は、さらに難しくなる。
管理不能、という表現は、本来、現行制度では扱えない、という限定的な意味だった。
だが、外に出たそれは、存在そのものを指す印に変わる。
管理できない存在。
理解できない存在。
関わるべきではない存在。
意味は、勝手に補われていった。
誰も、レイの行動を見ていない。
変化も、影響も、確認されていない。
それでも、言葉だけが先に行く。
噂は、判断を生む。
判断は、距離を作る。
触れない。
近づかない。
関わらない。
結果として、レイの周囲には、以前よりもはっきりとした空白が生まれた。
守ろうとしていた者も、隔離を主張していた者も、同じ距離を取るようになる。
それが、最も安全だと、思われ始めていた。
レイ自身は、変わらない。
拒まない。同意しない。主張しない。
ただ、そこにいる。
それでも、世界の認識だけが、動いていく。
言葉は、本来、現実を説明するためにある。
だが今は、現実の方が、言葉に引きずられていた。
管理不能。禁忌。
それらは、まだ何も決めていない状態を示すはずだった。
だが、誰も、その曖昧さに耐えられない。
分からないまま置いておくことを、避けようとする。
だから、言葉が先に、形を作り始める。
レイは、まだ何も選んでいない。
それでも、世界は、彼について語り続けていた。




