第119話
天界の記録は、静かに更新されていた。
音もなく、宣言もない。
頁が差し替えられ、
文字列が置き換わる。
それだけのことだった。
最初に使われていた呼称は、
「少年」。
観測記録の冒頭に、
自然に書かれていた言葉だ。
年齢。
外見。
行動傾向。
個体としての情報が、並んでいた。
だが、ある時点で、
その語は消えた。
代わりに現れたのは、
「対象」。
感情を含まない言葉。
善悪も、評価も持たない。
記録は、扱いやすくなった。
間違いが起きにくくなった。
天界は、それを「整理」と呼んだ。
だが、変わったのは情報ではない。
距離だった。
対象と書かれた瞬間から、
記録は、触れない前提で進み始める。
仮定。
条件。
注釈。
言葉が、慎重になる。
そして、
もう一度、書き換えが行われた。
呼称は、
「例外」。
基準から外れたもの。
想定に含まれないもの。
排除ではない。
否定でもない。
ただ、
分類の外に置かれる。
文書は、それを問題とは書かない。
むしろ、安定のための措置として扱う。
例外は、
基準を保つために必要だからだ。
その頁のどこにも、
名前はなかった。
レイ、という音は、
一行も残っていない。
それに気づいたのは、
本人だった。
誰かに告げられたわけではない。
書架の近くを通ったとき、
視界に入った文字列。
読める。
意味も分かる。
だが、
自分の場所がない。
消された、という感覚はなかった。
ただ、使われなくなった。
それだけだった。
レイは、頁を閉じなかった。
声も、動きもない。
名前がないことは、
否定ではない。
そう理解してしまう距離が、
いつの間にか、できていた。
「例外として扱えば、
裁定は先延ばしにできる」
誰かが、
言葉を選びながら口にする。
今すぐ決めないための、
配慮だった。
だが、
記録は、すでに変わっている。
対象。
例外。
呼び名が変わるたび、
輪郭が削られていく。
残るのは、
どこにも収まらない部分だけ。
名前が消えた場所に、
空白は残らない。
別の言葉が、
すぐに置かれる。
呼ばれていないのに、
視線は外れない。
決められていないのに、
扱いだけが先に進む。
その夜、
天界の記録は静かだった。
ただ一つ、
変わっていたものがある。
名前が消えたぶん、
世界の重さが、
少しだけ増していた。




