第116話
白い回廊は、今日も静かだった。
天界の会議場には、風も音も入らない。
あるのは、整えられた沈黙だけだ。
円卓の中央に、薄い光の板が浮かんでいる。
記録用の投影。
そこには、名前が一つだけ記されていた。
――レイ。
誰も、それを声に出さない。
沈黙を破ったのは、年老いた観測官だった。
「裁定の前に、整理が必要です」
言葉は穏やかだった。
だが、内容は鋭い。
「善悪ではなく。敵味方でもなく。
まず、我々は――この存在を、どう扱うべきか」
裁定官の一人が、眉を寄せる。
「処分、という話ではないのか」
「ええ。違います」
観測官は、ゆっくりと首を振った。
「現状、この存在は、どの裁定にも収まっていません。
ならば、裁く以前の問題です」
光の板に、新しい文字が浮かぶ。
分類不能
その言葉に、空気がわずかに張りつめた。
「定義が曖昧すぎる」
「危険性の評価も不可能だ」
「利用価値も、判断できない」
声が重なり、また途切れる。
裁定官の一人が、静かに言った。
「……例外か」
誰かが、その言葉を拾う。
「例外処理、という意味ですか」
「通常の枠組みでは扱えない存在。
だが、排除する理由もない」
光の板に、ゆっくりと文字が加えられていく。
例外
その語は、しばらく、訂正されなかった。
「定義しない、という選択肢もある」
若い裁定官がそう言うと、
すぐに否定の視線が向けられた。
「定義しない、というのは、定義を放棄することだ」
「放棄はできない」
「管理は必要だ」
管理。
その言葉だけが、場に残る。
だが、管理されるはずの輪郭は、どこにも見えない。
光の板の名前は、まだ「レイ」のままだった。
その周囲には、
説明も、属性も、役割も付け加えられていない。
空白だけが、静かに増えていく。
「裁定は、まだ早い」
最終的に、そうまとめられた。
「だが、このまま放置するわけにもいかない」
「例外として扱い、観測を続行する」
「――暫定的な処置だ」
誰も反対しなかった。
反対できるだけの、理由がなかった。
会議が終わり、光の板が消える。
回廊には、再び沈黙が戻った。
そのどこにも、
彼の姿はない。
何もしていない。
何も選んでいない。
ただ、
世界の言葉だけが、先に動いていた。




