第113話
天界の記録庫は
いつもより静かだった。
書架に並ぶのは
出来事ではなく
定義だ。
存在
役割
序列
由来
世界は
それらを書き留めることで
保たれている。
記録官の一人が
新しい頁を開いた。
項目は
すでに用意されている。
――名称
――分類
――起源
――観測上の特記事項
だが
どれも空欄だった。
「……名称は?」
問いは出たが
返事はなかった。
セラフィエルは
少し離れた位置で
その様子を見ていた。
介入する権限はない。
ただ
視線を外すことも
できなかった。
「仮称では?」
「不可です」
即答だった。
「仮称は
残ります」
記録官は
頁から目を離さない。
「残るものは
定義になります」
別の者が
書架に指を触れたまま
続ける。
「定義は
管理を生みます」
そこで
言葉が止まった。
誰も
続きを言わない。
その先を
全員が知っていたからだ。
「……空白で」
しばらくして
そう決まった。
名称欄は
何も書かれない。
分類も
同じだった。
異例ではある。
だが
前例がないわけでもない。
ただし
今回は……
そのままにする
という判断だった。
「観測番号は?」
「不要です」
「識別は?」
「……足ります」
空白のままで。
セラフィエルは
一歩だけ
前に出た。
「それは」
声が
記録庫に落ちる。
「……残す
という扱いなのですか」
記録官は
すぐには答えなかった。
頁を閉じる。
指先で
角を揃える。
「記録は
残ります」
静かな声だった。
「ただ……
呼べません」
名を呼ぶことは
近づくことだ。
呼ばれることは
関係を持つことだ。
呼べない存在は
触れられない。
そして
守る対象にも
ならない。
頁は
空白のまま
戻された。
そこに書かれたのは
何も書かれていない
という事実だけだ。
セラフィエルは
その書架から
目を離せなかった。
名がない。
役割もない。
それが
どういう扱いなのか。
この場では
誰も
言わなかった。




