第110話
朝か昼か、
よく分からない時間だった。
光はあるが、
暖かくはない。
ここに来てから、
ずっとそうだ。
レイは、椅子に腰かけていた。
立てと言われれば立てるし、
座れと言われれば座る。
拘束されているわけではない。
逃げられないとも、言われていない。
――だからこそ、
分からなかった。
部屋は静かだった。
石造りの壁。
装飾は少なく、
必要なものだけが置かれている。
見張りはいない。
ただ、
扉の外に「誰かがいる」気配だけは、
ずっと消えない。
しばらくして、
足音がした。
ノックはなかった。
扉は静かに開き、
数人が入ってくる。
見覚えのある顔も、
そうでない顔もある。
誰も武器を持っていない。
誰も、敵意を向けていない。
「……体調は?」
問いかけは、事務的だった。
心配しているようにも、
そうでないようにも聞こえる。
「大丈夫です」
レイは、そう答えた。
本当にそうかどうかは、
自分でも分からない。
ただ、倒れてはいない。
それだけだ。
短い沈黙が落ちる。
誰かが書類を広げ、
誰かが視線を外す。
全員が、
言葉を選んでいるのが分かった。
「状況について、共有がある」
そう前置きされてから、
説明が始まった。
起きたこと。
被害。
各所の判断。
天界が距離を取ること。
魔界が撤退したこと。
地上としては、
保護と監視を継続すること。
言葉は丁寧だった。
暴力的な表現は、
一つもない。
レイは、黙って聞いていた。
途中で遮る理由もなかったし、
質問したいことも浮かばなかった。
説明は整っていて、
矛盾がない。
――ああ、と思う。
これは、もう決まった話だ。
「君に危害が加えられることはない」
「誰も、君を敵とは見ていない」
「ただ――」
そこで、
一瞬だけ間が空いた。
「今後も、接触は最小限になる」
監視。
非接触。
保護。
言い換えれば、
隔離だ。
だが、
その言葉は使われなかった。
レイは、視線を落とした。
床の石目を追いながら、
考える。
――怒られているわけじゃない。
――責められてもいない。
それは、はっきり分かる。
むしろ、皆「配慮」している。
慎重で、丁寧で、
善意に満ちている。
だからこそ。
自分が、
どこにもいない気がした。
「……僕の」
声が出たのは、
自分でも意外だった。
「僕の意思は、
必要ありませんか」
部屋の空気が、
わずかに張りつめる。
誰かが、
困ったように眉を寄せる。
誰かが、
視線を逸らす。
「無視しているわけではない」
「ただ、現状では――」
その先は、言われなかった。
言わなくても、分かる。
聞いても、変わらない。
レイは、
深く息を吸った。
そして、
ゆっくり吐く。
怒りはない。
悲しみも、
まだ形にならない。
あるのは、距離だけだ。
自分と、
この世界との。
「……分かりました」
それ以上、
話すことはなかった。
説明は終わり、
彼らは静かに部屋を出ていく。
最後まで、
誰一人として背を向ける前に、
レイを見た。
それが、
余計に胸に残る。
扉が閉まる。
また、静けさ。
レイは、
しばらくそのまま座っていた。
立ち上がる理由も、
急ぐ必要もない。
世界は、
彼を排除していない。
それでも、
中心からは外している。
――選ばれていない。
その事実が、
ゆっくりと染み込んでくる。
レイは、
小さく呟いた。
「……もう、決まったんだね」
返事は、なかった。




