第108話
天界記録院の奥は、常に静かだった。
光で編まれた書架が幾重にも並び、
書き込まれた記録だけが、かすかな音を立てている。
名。
分類。
経過。
それらを並べることで、世界は理解されてきた。
「対象、再指定を要請します」
記録官の声が、淡々と響く。
空中に展開された記録板には、空白が多すぎた。
座標はある。
観測値もある。
だが、それを束ねる項目が存在しない。
「名前を入力してください」
誰も答えなかった。
少し遅れて、セラフィエルが前に出る。
「……名前は、保留だ」
「保留、ですか?」
記録官の手が、一瞬止まる。
「分類は?」
「未定」
「所属は?」
「未定」
問いが重なるたび、空白が増えていく。
「この形式では、予測演算が走りません」
記録官の一人が言った。
「走らせるな」
セラフィエルの声は低かった。
「――今回は、予測をしない」
光が、わずかに揺れる。
書架の奥で、ページが一枚だけめくれた。
「理由を」
職務としての問いだった。
セラフィエルは、少し間を置いた。
「定義できないものを、無理に定義すると……壊れる」
断言ではなかった。
確信とも、言い切れない。
「封印指定を提案します」
別の声が続く。
「観測記録、凍結処理」
「閲覧制限、上位のみ」
「更新不可」
淡々とした言葉が並ぶ。
「……ラベルは?」
ラベルがなければ、記録は残せない。
セラフィエルは、しばらく黙っていた。
名を与えない。
分類しない。
だが、消すこともできない。
「――『定義不能』」
その二文字が入力された瞬間、
記録板の光が、わずかに歪んだ。
「定義不能、確認」
「以後、当該対象に関する予測演算を停止します」
処理が進む。
書き込まれるはずだった未来が、途中で途切れる。
それが守りなのか、
ただ触れないだけなのか、
誰にも分からない。
「……本当に、これで」
記録官の声が、途中で止まる。
「分からない」
セラフィエルは、短く答えた。
それ以上、言葉を足さなかった。
記録院に、静寂が戻る。
棚の一角に、空白を抱えた記録が残る。
名前も、行き先も、結論もない。
セラフィエルは、その光から目を離せずにいた。
答えは、どこにも記されていなかった。




