第10話
第一章「禁忌の子・覚醒編」完結
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
霧の奥が、ゆっくり割れた。
道じゃない。
踏み固められてもいない。
それでも、進めと言われている気がした。
「……いくの……?」
レイの声は、小さい。
グラドは、うなずいた。
「立ち止まれば、追いつかれる」
「……なにに……?」
「森に、だ」
歩き出す。
足元の感触が、はっきり分かる。
湿った土。
滑りやすい根。
昨日までは、踏み外していた場所。
今日は、外さない。
進むほど、音が減っていく。
鳥の声が、遠のく。
風が、止まる。
代わりに――。
重さ。
空気そのものが、のしかかってくる。
「……くる……」
レイの口から、勝手に言葉が出た。
前だ。
霧の向こう。
大きい。
姿は、まだ見えない。
でも、いる。
「止まれ」
グラドが言った。
足が、止まる。
その瞬間。
霧が、ほどけた。
そこにいたのは――。
獣の形をしていた。
だが、毛も、牙も、はっきりしない。
輪郭だけが、そこにある。
大きさは、家ほど。
目だけが、深く、暗い。
視線が、レイに落ちる。
胸の奥が、ぎゅっと締まる。
逃げたい。
でも、足が動かない。
『……ひと……』
声は、頭の中に直接落ちてきた。
『……におい……ちがう……』
言葉じゃない。
意味だけが、流れ込む。
『……きざまれて……いる……』
レイは、息を吸った。
苦しい。
でも、倒れない。
「……ぼく……?」
声が、震えた。
『……そう……』
獣の視線が、深くなる。
『……もりに……はいった……もの……』
『……もりに……えらばれた……もの……』
選ばれた。
その言葉が、胸に残る。
「……やだ……」
思わず、言っていた。
「……ぼく……えらんで……ない……」
一瞬。
重さが、増した。
『……えらぶのは……いつも……もり……』
冷たい。
でも、怒ってはいない。
ただ、事実を告げているだけ。
『……だが……』
間。
『……のこるか……』
『……でるか……』
道が、二つに割れた。
右は、深い森。
左は、霧の薄い方。
でも。
左の先は、暗い。
冷たい。
森じゃない、何か。
「……でたら……?」
『……もりは……おまえを……おわない……』
胸が、少し軽くなる。
『……だが……』
『……よわい……』
簡単な言葉。
だから、重い。
『……しぬ……』
グラドが、一歩前に出た。
「待て」
低い声。
「こいつは、まだ七つだ」
獣は、グラドを見る。
『……しっている……』
『……だから……いま……』
今。
逃げられる最後。
レイは、左を見る。
森の外。
処刑場。
人。
石。
縄。
胸が、冷たくなる。
右を見る。
霧。
影。
獣。
怖い。
でも。
足元の土が、ここにある。
踏んでいる。
「……のこる……」
声は、小さい。
でも、はっきりしていた。
獣の目が、わずかに細くなる。
『……よい……』
空気が、緩んだ。
『……では……』
重さが、胸に落ちる。
『……もりの……こ……』
言葉が、途中で止まった。
獣は、少し考えるように間を置く。
『……まだ……なかば……』
完全じゃない。
それでいい。
今は。
霧が、再び濃くなる。
気づけば、獣はいなかった。
道も、消えている。
いつもの森。
でも、もう同じじゃない。
「……おわった……?」
「始まった」
グラドは、短く言った。
レイは、空を見上げる。
木々の隙間。
光は、ほとんど届かない。
それでも。
胸の奥で、何かが静かに根を張っていた。
戻れない。
でも。
進める。
そういう場所に、立っている。




