第101話
そこは、通路だった。
広いわけではない。
狭くもない。
ただ、通るために残された場所だった。
天井に走る亀裂から、細かい砂が落ちている。
一定の間隔ではない。
音もしないものと、わずかに擦れるものが混じっていた。
立ち止まっていた。
進む理由はなかった。
戻る理由もなかった。
前に、人がいる。
それだけは分かる。
姿は見えない。
壁の向こうで、何かが動く気配があるだけだった。
足元に、小さな欠片が転がっていた。
石とも、建材とも判別がつかない。
さっきまでは、ここになかったものだ。
レイは、それを踏まないように、足をずらした。
その拍子に、壁に手が触れた。
冷たかった。
湿り気がある。
だが、水が流れているわけではない。
触れた瞬間、何かが起きた、とは言えなかった。
揺れは、なかった。
光も、音も、増えていない。
ただ、通路の奥で、別の欠片がひとつ落ちた。
手を離さなかった。
壁に意味があるとは思っていない。
触れた理由を、考えてもいない。
そこに手があり、壁があった。
それだけだった。
後ろで、誰かが息を呑む音がした。
振り返らなかった。
視線を動かすと、今度は床の一部が沈んでいるのが見えた。
ほんの指一本分。
だが、戻っていない。
境目が、残っている。
その上を跨いだ。
慎重でもなく、無造作でもなく。
ただ、歩幅が合っただけだった。
通路の先で、空気が変わった。
匂いではない。
温度でもない。
音の抜け方が、違う。
遠くで、何かが止まる音がした。
同時に、別の場所で、何かが続いている気配もあった。
止まったのか、止められなかったのか、区別はつかなかった。
前に、人がいた。
座り込んでいる。
背中を壁に預け、片手を押さえている。
怪我をしているのかは、分からない。
血は見えない。
だが、立ち上がろうとはしていなかった。
近づいた。
声は、かけなかった。
理由が、浮かばなかった。
そのまま、手を伸ばす。
肩ではない。
腕でもない。
床に落ちていた、その人の手に、触れた。
握ったわけではない。
支えたとも言えない。
触れたまま、離さなかった。
その瞬間、通路の奥で、何かが引っかかる音がした。
引き戻されたのか、引き延ばされたのか、どちらとも取れた。
誰かが、名前を呼んだ。
その声は、ここまで届かなかった。
触れている手が、わずかに動いた。
握り返されたわけではない。
ただ、指の位置が変わった。
それで、十分だった。
その場にいた。
選んでいない。
決めてもいない。
ただ、そこにいて、触れて、離さなかった。
その結果が、どこに影響したのかを、レイは知らない。
知ろうとも、しなかった。
通路の上で、境目は、まだ消えていなかった。




