第99話
魔界の前線は、整っていた。
陣形は崩れていない。
退路も、途切れていない。
命令は、すでに出ていた。
「深入りするな」
ゼル=カイナの声は短かった。
それ以上の補足はない。
目的は迎撃。
押し返すこと。
そこから先へ進む理由は、用意されていなかった。
だが、一隊は止まらなかった。
前に出た者が、合図を送る。
周囲が、それに続く。
歩幅は揃っていない。
だが、誰も制止しなかった。
天界側の動きが鈍っている。
結界の光が、薄い。
遮断の境目に、揺らぎが見える。
誰かが、前を指した。
「今なら」
言葉は、それだけだった。
続きを言う必要はなかった。
力が集められる。
全開ではない。
引き返せる余地を残したままの出力。
一撃で終わる。
そう思った者と、
思わなかった者がいた。
放たれた力は、境界に触れた。
押し返すつもりだった。
だが、境界の内側に残っていた歪みが、先に広がった。
裂け目が走る。
音は、魔界側には届かない。
地上で何が起きたのかは、誰も見ていない。
視線は、前だけを向いていた。
戻ってきたのは、数値だった。
遮断線の後退。
干渉率の変動。
想定内と記された変化。
撤退命令は、すぐには出なかった。
進んだ分だけ、押し返している。
その事実が、足を止めさせなかった。
ゼル=カイナのもとへ、報告が届く。
簡潔で、余白のない文面だった。
彼は、地図から目を離さない。
指先が、一点で止まる。
「……戻れ」
その声が届いたとき、
前線は、もう一歩進んでいた。
引き返さなかった判断。
引き返す必要がないと考えた、そのままの動き。
陣は崩れていない。
だが、同じ方向を見てはいなかった。
そのずれが、
次の衝突を呼び込んでいた。




