第98話
天界において、揺れは現象として存在しない。
揺れと認識された時点で、
それはすでに解析対象へ移行している。
白い回廊の奥。
記録層へ続く空間に、音はなかった。
足音も、反響もない。
ただ光の層が、
一定の間隔で重なり続けている。
オルディナ=サフは、水鏡の前に立っていた。
鏡面には、三つの領域が重ねて映し出されている。
地上、天界、魔界。
それぞれは明確に分かたれているはずだったが、
境界線の一部が、わずかに歪んでいた。
破断ではない。
接続とも言えない。
数式上は、「許容範囲内の接触」に分類される状態。
数値が走る。
変動幅、収束速度、反応遅延。
そのうち一つが、表示から消えた。
理由は示されない。
裁定は不要。
必要なのは、制限の調整のみ。
「第二干渉制限、段階二」
声は、空間に吸収される。
命令は即座に分解され、複数の経路へ分配された。
干渉率が下がる。
天界側の関与が薄まり、
三界の距離が再計算される。
水鏡の一角で、地上側の数値が先に動いた。
天界の処理完了を待たず、反応が発生する。
魔界側の応答が、それに重なる。
速すぎる。
補正命令が発行される。
停止コードが続けて送られる。
だが、最初の裁定はすでに実行されていた。
触れてしまった領域は、戻らない。
水鏡の端に、欠けが残った。
数値化できない歪み。
記録にも分類にも収まらない、不整合。
オルディナ=サフは、その欠けを注視しなかった。
視線は、全体へ戻される。
記録が閉じられる。
修正は完了と判定される。
水鏡には、静止した三界が映っていた。
欠けだけが、そのまま残されている。




