第97話
最初に崩れたのは、壁だった。
外側ではない。
通りに面した部分でもない。
建物の内側、
仕切りとして立っていた薄い壁が、
音もなく割れた。
白い粉が、床に落ちる。
積もるほどではない。
だが、足跡は残る。
人が動いたあとが、
そのまま写る。
天井から、水が落ちてきた。
一滴ではない。
糸のように、細く、途切れず。
床が濡れる。
木材が色を変える。
誰かが桶を持ってくる。
置いた。
ずれた。
水は、桶の外にも広がる。
通路に、靴が一足落ちていた。
左右がそろっていない。
片方だけが、横倒しになっている。
それを跨いで、人が通る。
避ける動きはあるが、
拾う動作はない。
外に出ると、石が落ちている。
大きくはない。
拳より少し大きい程度。
だが、元の位置が分からない。
壁なのか、屋根なのか。
割れた断面が、
白いまま露出している。
道の中央ではない。
端に寄っている。
踏まれない場所だ。
それでも、誰も動かさない。
建具が、斜めになっている。
外れたわけではない。
閉まらなくなっただけだ。
押せば、少し動く。
戻そうとすると、音が出る。
その音が、他の音と重なる。
遠くで、何かが崩れた。
近くで、何かが割れた。
方向は、ばらばらだった。
逃げる人がいる。
立ち止まる人もいる。
どちらも、正しい位置にいる。
通りの端で、
露店の布が落ちていた。
紐は切れていない。
結び目が、ほどけただけだ。
布は、地面に触れている。
裏側が、濡れている。
畳まれることはない。
店主は、棚を押さえている。
倒れないように。
それだけだ。
棚の上にあった小物が、
ひとつ欠けている。
何だったのかは、分からない。
欠けた跡だけが残る。
人が集まる場所では、
声が重なる。
名前を呼ぶ声。
位置を確認する声。
数を数える声。
だが、
すべてが揃うわけではない。
濡れた床を、
布で拭く人がいる。
乾かそうとはしていない。
通れるようにするだけだ。
拭き残しが、線になる。
その線を、誰かが踏む。
足跡が重なる。
壁のひびは、広がらない。
だが、消えもしない。
補修材は、
まだ運ばれていない。
運ぶ予定はある。
だが、今ではない。
子どもが、
柱の影に座っている。
膝を抱えているわけでもない。
ただ、そこにいる。
手に持っていた物を、
床に置いた。
それは転がらず、止まった。
誰かが声をかける。
返事はある。
立ち上がる。
置いたまま、歩き出す。
残された物は、小さい。
だが、拾われない。
道の向こうで、
別の壁が崩れた。
ここからは見えない。
音だけが届く。
音は、すぐに途切れる。
通りは、まだ使える。
人は、行き来している。
壊れていない場所のほうが、多い。
それでも、元の形ではない。
拾われなかった破片。
濡れたままの床。
履かれない靴。
それらは、記録に残らない。
ただ、そこに置かれたまま、
次の動きを待っている。
待たれていることを、
誰も確認しないまま。




