夏休みのある時
「行ってきます」
少し家を出るには遅い時間に玄関に声をかけた。家族はもう出ているため家には誰もいない。返事がかえってくる事は無い挨拶だが、家の中から「行ってらっしゃい」という空耳が聞こえた。
鍵を閉め駅へと歩いていく。今日は思ったより風が涼しいから帰りは肌寒いかもしれない。いつもの道をいつものように歩いている。だが、ふと思い立ちいつもとは違う道を歩きたくなった。
「時間も余裕もって出てるしいいか」
いつもは直進する十字路を右に曲がった。いつもとは違う道だが近所なので知らない道ではない。ついでにもう少し歩いて近所の神社に寄りお参りすることにした。
神社に着くと先客がいた。小さな神社だから参道に人がいる事にすぐ気付いたが、シルエットだけでは性別は判断できず会釈だけして通り過ぎようとした時、ふいに話しかけられた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
どうやら女性だったようだ。話しかけられるのは予想外だったため多少口ごもりながら挨拶した。そして改めてその女性に注意を向けた事で、なぜ性別が判別できなかったのか理解できた。その女性は全体的に透けており、輪郭がぼやけていた。
「あなたの顔は始めて見ますね」
「どうも・・・」
半ば呆然と女性の会話に合わせ少し間女性を見つめていたが意を決して明らかな違和感を聞いてみる事にした。
「どうして、貴女は透けているんですか?」
女性は微笑みながら答えてくれた。
「逆に貴方は私の事が見えるのですね?この神社には何十年と通っていますが会釈しようとしてきた人は初めてだったので話しかけてしまいました。」
楽しそうに話すその言葉を、思考が停止しそうになるのを耐えながら聞いていた。目の前の女性はどう見ても若々しく何十年も通っているという言葉を理解できなかった。
「・・・何十年?」
「はい。そろそろ90年は過ぎたかもしれませんね」
「どうしてここにそんな長い間?」
「私にとってここが思い出の場所だからですよ。もう大分昔の話ですが・・・」
さらに混乱した。この人は思い出の場所に90年ほど通っている。あまりに現実離れしている。そもそも女性は透けているのだが・・・。
「・・・貴女はもう亡くなっているのですか」
「どうでしょう、生きているかもしれませんよ。死んでいるかもしれませんが。私がこの場所に来れるのはこの時期だけですから、私もよくわかっていないのですよ。
・・・本当は私が見える人が現れたら少し驚かせてやろうと思っていたのですよ?自分でも身体が透けているのは気づいていましたから。ですが貴方はとても優しい方のようだし、何よりとても愛されている様だったので諦めました」
「愛されている?」
「お祖母様にだいぶ可愛がられていらっしゃるようで」
「え?祖母はもう亡くなっていますが?」
「それでも護られているのですよ。特にこの時期は会いに来れますしね」
内心どうなっているのかわかっていないが、とりあえず危害を与えて来るわけでは無いようで少し安心した。だが彼女がどのような存在かはわからないままだった。
「少し貴方と話し過ぎましたね。お時間を取らせてごめんなさいね?」
「い、いえ・・・こちらこそ」
「またあなたと会える機会がゆっくり話したいですね。私を見ても混乱していても話を聞いてくれましたし」
「はい・・・」
女性は鳥居に向かって歩いて行った。その後ろ姿を見つめながら少し呆けていた。時間を確認すると神社に着いた時間とほとんど変わっていなかった。
「なんだったんだろう」
奇妙な光景だったが気を取り直し、神社にお参りし、駅に向かって歩き出す。目的地は隣町のお盆祭りだ。今からなら集合に余裕で間に合うだろう。