第65話 雪だるま
十二月ももうすっかり終わりに近づいて、明日はとうとう冬の舞踏会の日だった。
舞踏会といっても王宮で開かれるようなものではなく、サマーパーティーと同じで学園で開催される、学生同士の交流を目的としたものだ。
婚約者がいる者はパートナーとして参加するのが通例だけれど、婚約者がいない場合は一人で参加することができる。
その舞踏会の前日、アリナと昼食をとっていると、窓の外を何か白いものが地面に落ちて行った。
アリナも気づいたようで窓の外を見て、目を輝かせる。
「リシェリア! みて、雪だよ!」
はしゃぎながらアリナが窓に張り付くようにして、窓の外を降る白い雪を眺めている。
「この世界で雪を見たの初めて」
その目は輝いていて、いまにも外に飛び出していきそうだ。
リシェリアも内心うずうずしている。
「ねえ、積もるかな?」
「積もるわよ。毎年、けっこう降るもの」
「そうなんだ!」
ウルミール王国は毎年この時期になると雪が積もる。だからそろそろ雪が降るかもと思っていたけれど、まさか明日の舞踏会に重なるとは。明日は、前世でいうところのクリスマスの時期でもある。
「帰りには積もってるかな?」
「少しは積もっているかもしれないわ」
「それなら、一緒に遊ぼうよ」
アリナの誘いに乗りたい気持ちはある。
でも、明日は舞踏会の日だ。
「少しだけだから。……リシェリアも、遊びたいって思ってるでしょう」
ぐいぐいと押しの強いアリナの言葉に、リシェリアは堪えきれずに頷いた。
少しだけならいいだろう。少しだけ……。
「リシェリア、こっちきて! ねえ、これ雪だるま作れるかな!」
放課後、外に出たリシェリアたちは積もった雪に足を踏み入れた。昼に振ったばかりだから雪合戦できるほどではないけれど、それでも真っ白に覆われた地面を見るとつい悪戯心が湧いてしまう。
白い雪に足跡をつけて、先に走って行ったアリナの後を追いかける。アリナはいつも以上にはしゃいでいる様子で、しゃがみ込むと地面の雪に触れて掌の半分ほどのサイズの雪玉を作っていた。
「リシェリアも一緒に作ろうよ」
「楽しそうね」
アリナの横で、リシェリアもしゃがむと雪玉を作る。
小さな雪だるまがあっという間に作れた。
幼いころ、ヴィクトルと一緒に作った雪だるまを思い出した。自分の身長よりも大きな雪だるまで、一緒に顔のパーツになるものを探したっけ。
「懐かしいなぁ」
思わず嘆息してしまう。こうして雪にまみれて遊ぶのは、随分と久しぶりのことだった。
アリナも納得のいく雪だるまができたようだ。
二つの雪だるまを並べると、さらにかわいらしくなる。
「……懐かしいなぁ。子供の頃に作ったのを思い出したよ」
そう呟いたアリナは、自分の発言にハッとする。
「子供の頃っていっても、前世のことだよ。中学ぐらいからはもう雪で遊ぶこともなくなってさ。……だって、私って親不孝者だから」
「え?」
アリナは視線を雪だるまに固定したままだった。まるで自分の顔色を隠すかのように。
「私、前世では引きこもりだったの」
ポツリと漏らした言葉に、リシェリアは言葉に詰まる。
アリナの前世の話を詳しく聞いたことがなかった。知っていることは彼女がゲームをやり込んでいて知識が豊富だということと、リシェリアと同じオタクだということ。それ以外の話は、なぜか話したことがなかった。
前にダミアンから、アリナの前世を知っているか訊かれたことを思い出す。
ダミアンの言っていた、ヒロインとは異なる境遇というのは、これを指していたのかもしれない。
「学校でヘマしちゃってね。それで学校に行けなくなって、引きこもって……。お母さんとお父さんにも迷惑かけていたと思う。だからこの世界に転生して――しかも、ヒロインに転生してさ、思ったんだよね。私にヒロインは無理だって」
まるで独白のように、ボソボソとアリナが話す。
「でもリシェリアと一緒に遊んだり、芸術祭の時にクラスの子と一緒に出し物の準備をしたりして、気づいたんだ。この楽しい時間を壊したくないって。転生してきたばかりの時は、せっかくゲームの世界に来たんだからストーリーを楽しもうとか考えていたけどね」
自嘲するように笑うアリナに、同意するようにリシェリアは頷く。
「私はヒロインになれなかったけれど……いや、なる必要なんて全くなかったんだよね。……ねえ、リシェリアはどう思ってるの?」
「どうって……」
「私がヒロインじゃないように、リシェリアも悪役令嬢じゃないでしょう?」
「…………」
「だから、断罪とか、婚約破棄とか、怖がらなくてもいいと思うんだけど」
「それは……!」
アリナの言葉に反論しようと思ったが、言葉が出てこない。
学園に入学する前は、断罪による死を恐れていた。だから姿を偽った。婚約解消も、少しでも死の運命から逃れたくて考えていたことだった。
でも、いまは……。もうとっくにゲームのスーリーを逸脱している。
それならゲームのような未来はもう起こらないのではないだろうか。
(だったら、私もルーカスと……)
首を振る。
それを見ていたアリナが、ふふんと意地悪な笑い声を上げた。
「なんやかんやで自覚してるんだよね、リシェリアって」
「どういう意味かしら?」
「うーん、それは私から言うことじゃないかな。――何はともあれ、明日は舞踏会だから、うんと楽しもうね」
白い雪はまだ降っている。アリナは自分の頭に落ちてきた雪を払うことなく、屈託なく笑った。
「やっぱり、リシェリアとこうしているのは、楽しいよね」
「私もよ」
同じ転生者同士として始まった友情だけれど、これからも大切にしていこうと改めて心に決める。
「て、なんか吹雪いてきてるんだけど!」
大きな声を上げたアリナが立ち上がる。
いつの間にか風が出てきたようで、雪が舞っていた。
「リシェ!」
遠くからヴィクトルの呼ぶ声が近づいてくる。
はっとしたアリナが、逃げるところを探すように周囲を見渡して、さっと右手を上げた。
「じゃあ、私はこれで。また明日ね、リシェリア」
「ええ。……そういえば、明日のパートナーは決まっているの? もし決まっていなかったらヴィクトルにお願いすれば」
「それは無理! 一人で参加するからいいよー」
即答すると、アリナはヴィクトルが来る前に去って行ってしまった。
入れ替わりにやってきたヴィクトルは、後ろ姿のアリナに少し眉を顰めたけれど、特に問いかけてくることはなかった。
「リシェ、こんなところでなにやってるの? 明日は舞踏会なんだから、風邪ひいたらどうするのさ」
「そうしたら、ヴィクトルが治してくれたらいいわ。【幸運の癒し手】様」
久しぶりに二つ名を口にすると、ヴィクトルは呆れたようにため息を吐いた。
「はいはい。あまり僕の力を私的乱用しないでくれると助かるんだけど」
ぼやくヴィクトルと一緒に、オゼリエ家の馬車に向かう。
明日も降り続けば、ホワイトクリスマスならぬホワイトパーティーになりそうだ。