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第56話 嫌な記憶


「ねえ、リシェ。さっきの、どうしたの?」


 案内を務めていた魔術師が筒から出て行った後、ヴィクトルが訪ねてきた。

 さっきというのは、リシェリアが魔術師のフードを捲った時のことを言っているのだろう。


「……その、知り合いに似ている気がして」

「知り合い?」

「でも気のせいだったみたいだわ」


 ヴィクトルはいまいち納得していないという顔で聞いていた。苦しい言い訳だというのはリシェリア自身もわかっていた。


 あの時、魔術師の正体を確かめたくなったリシェリアは、フードを捲った。

 フードの下から出てきたのは予想していた容姿の人物ではなく、茶色い髪のまだ二十代前半ぐらいの若い男性だった。桃色の髪に赤い瞳の男ではなかった。


(ほんとうに、彼はダミアン先生ではないのかしら)


 アリナがいたら確かめることができたのに、リシェリアはダミアンの顔を知らない。もしかしたらあの男が変装している可能性もあるけれど、根拠もないのにあの魔術師を問い詰めることはできないだろう。


「ねえ、リシェ。アリナさんがいなくなったことだけどさ……羽根を、使おうと思っているんだけど」

「……羽根?」


 ヴィクトルに言われて思い出した。ヴィクトルがケツァールから貰ったという深緑色の羽根。これがあればケツァールと五分だけ会話することができるという。

 ケツァールなら、魔塔の地下に行く方法や、アリナを救い出す方法がわかるかもしれない。


 ヴィクトルが懐から羽根を取り出す。それからそっと周囲を見渡して、とある一点を見つめて眉を顰めた。それから、はあとため息を吐く。


「……ずっと、こっちをチラチラ見てくるのに、どうして話しかけてこないんだか……」


 リシェリアもその視線をたどると、エメラルド色の瞳と目が合った。

 ルーカスは何もなかったかのように目を逸らしたけれど、そのあとまたすぐにこちらを見てくる。チラチラと、構ってほしいのか、気にしないふりをしているのか。


「リシェ。いまから羽根を使うよ」

「う、うん」


 ルーカスはまだこちらをチラチラ見てくるけれど、いまはアリナのことが優先だ。

 ヴィクトルが取り出した深緑色の羽根に、魔力を注いだ。



    ◆



 その男がやってきたのは、地下牢の部屋に閉じ込められてから五分後のことだった。

 ローブを被った魔術師らしき人物は鉄格子の前までやってくると、中にいるアリナの様子を興味深そうに見てから、そっとローブをとって顔を晒した。


「っ、ダミアン先生!」


 アリナの言葉に、「おや」と桃色の髪の男性が不思議そうな顔になる。


「僕のことがすぐわかったということは、もしかしてもう洗脳が解けてしまっていますか?」

「洗脳?」

「あなたはヒロインだけあって、洗脳が効きにくいみたいですね」


 桃色の髪に、まるで心の内側を見透かしてくるような赤い瞳。

 その瞳をじっと見そうになって、慌てて視線を逸らす。

 アリナはヒロインだ。洗脳魔法は効きにくいはずだけれど、彼の言葉を聞くに極力あの瞳は見ない方がいいだろう。


「賢明な判断ですね。ヒロインならともかく、ヒロインに転生したあなた自身は洗脳が効きやすいみたいですから」


 ダミアンの語り口を聞いて思い出した記憶がある。

 芸術祭のあと、ケツァールとともに保健室に向かった。だけど保健室に入るとケツァールは姿を消してしまい、その後ダミアンと話してある事実に気づいたのだ。


 彼はゲームの隠れキャラのダミアンとは全くの別人だ。

 アリナやリシェリアと同じ、転生者。それも、厄介なタイプ。


「……あなたも、転生者だったのですね」

「ええ。でも僕は原作を愛していますから。転生したからには使命を全うしようとしていたのですよ。それなのにあなたたち二人(・・)は考えが違っていたようですね」

「……私だって、何回もプレイするほどゲームが好きだから」


 アリナの呟きに、ダミアンが呆れた顔になる。


「それならどうして、ヒロインになることを放棄したのですか?」

「それは……。だって、ヒロインになったら……夢小説になっちゃうじゃない」

「え、夢小説? でも、それはオタクの願望なのではありませんか?」


 意味が解らないというダミアンの様子に、アリナは首を振る。


「違う。……だって、私とヒロインは別人だから。ヒロインになったら、みんなから笑われて……」


 嫌な記憶を思い出した。

 前世の忘れたい記憶。中学生の頃、夢中になっていた漫画があった。その登場人物と自分をモデルにした主人公と恋愛する小説を書いたことがある。いわゆる夢小説と呼ばれるものだけれど、それを仲の良い友達に読んでもらった。

 あの時は友達もきっと楽しんでくれるはずだと思っていたのに。

 その小説がなぜかクラス中に広まっていた。女子からは影で笑われて、男子には面と向かってからかわれて――初めて、それが恥ずかしいことなのだと気づいたのだ。


 自分は漫画のヒロインにはなれない。

 それから学校に行って、みんなに笑われるのが怖くなって、引きこもるようになった。


 一時期は漫画やゲームなどを遠ざけたもこともあったけれど、物語に浸ることぐらいしか楽しめることはなかった。だからそれらに触れるときは、ただ純粋に物語を楽しむだけになった。主人公と自分は別だと、そう考えて。


 そんな時だ。たまたまプレイしたスマホゲーム『時戻りの少女~ささやかな日々をあなたと共に~』で、最大の推しと出会ったのは。

 ヴィクトルは家族に恵まれず、養子となったオゼリエ家でも居場所のない登場人物だった。そんな彼はヒロインと出会って関わることにより、コンプレックスを克服していく。

 その姿に憧れて、少し羨ましかった。

 いつかは自分もとそう思っていたけれど、一歩踏み出す勇気はいつまで経ってもやってくることはなく、ついに前世では叶うことはなかった。


 この世界に転生してからも、前世の二の舞になりたくなくて、ヒロインだけは絶対になりたくないと思っていた。その代わり別の人にヒロインになってもらおうと思って、リシェリアに話しかけて――。

 それからは楽しかった。自分がヒロインに転生したことすら忘れるほどに。

 

 それなのに、また嫌なことを思い出してしまった。


「よくわかりませんが、あなたはヒロインになるのを怖れているのですね?」


 ダミアンの言葉に、思わず頷く。


「それなら話は早いですよね。僕に任せてください。僕の力なら、あなたの不安を取り除いて、あなたをヒロインにしてあげることができます」


 何を言ってんだ、と思ったけれど、アリナはつい顔を上げてしまう。

 その時、赤い瞳と目が合った。


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