第50話 参加者
「っ!?」
「……おはよう、リシェリア」
教室の扉を開けると、ちょうどルーカスが出てくるところだった。
エメラルドの瞳と目が合い、思考が停止する。思い出すのは、芸術祭の時のあの、き、き、き、き――。
「先生に呼ばれているから、行くよ」
「あ、はい」
横を通り過ぎていくルーカスは、いつもと変わらない様子だった。金糸の髪の隙間から覗いている顔はいつも通り凍りついているみたいで、少し儚く見える眼差しもいつも通り。ゲーム画面で見たビジュアルと同じで、思わず引き寄せられる。
(こ、これは推しだから――。別に、あの、き、とは関係ないはずだわ)
高鳴る心臓を押さえるように必死になっていたリシェリアは、自分の席に座ってから挨拶するのを忘れたことを思い出した。
(それにしてもルーカス様。最近、前よりも、少し表情が――)
「おはようございます、リシェリアさん。どうして百面相をされているのですか?」
「あ、ハンナさん、おはようございます」
伯爵家の令嬢でありクラスメイトのハンナは、芸術祭の演劇で王女の侍女役を務めていた生徒だ。演劇を通してから、よく会話をするようになった。栗色の髪の落ち着いた女子生徒で、お淑やかという言葉がとてもよく似合う令嬢。
芸術祭の前まではほとんど関りはなかったけれど、演劇で一緒になることが多かったからか、自然に仲良くなった。
「百面相をされていたのは、ルーカス殿下のことでしょうか?」
「!?」
「あら、わかりやすいですね」
ハンナが悪戯っぽく微笑む。
「こうしてリシェリアさんと話をするまでは、ここまで面白い方だとは思いませんでしたわ。前までは、少し近寄りがたい雰囲気がありましたので」
確かに伯爵令嬢の彼女からすると、公爵令嬢であり王太子の婚約者であるリシェリアは近寄りがたい存在なのかもしれない。それにリシェリア自身、クラスメイトと深くかかわろうとしてこなかった。休み時間は基本的にルーカスから逃げるために教室にいなかったこともあるし。
「でもこんなに親しみやすい方だとわかっていれば、もっと早く声を掛けていればよかったですわ」
「私もです」
リシェリアが心の底からの言葉を伝えた。いままで親しくしてきた令嬢は少なかった。お茶会などの社交活動ではよくミュリエルに絡まれていたから、ほとんど気配を消して隅の方にいたこともあるだろう。
こうして、親しくなれる友人が増えるのは嬉しいことだ。
「そういえば、少し寂し感じがしますね」
ハンナがリシェリアの全身を眺めながら呟いた。
「芸術祭でリシェリアさんが被っていたウィッグ、とてもお似合いでしたのに」
ウィッグというと、銀髪のウィッグのことだろうか。思い出したくない記憶が浮かんできて、リシェリアは知らないうちに視線を机に落とした。
それをどう思ったのか、とりつくろうようにハンナが声を上げる。
「いえ、いまの姿もリシェリアさんらしくて素敵ですわ。ですが、二日目の舞台で被られていた銀髪のウィッグが、本物の銀髪のように神秘的に輝いていて――まるで、リシェリアさんのお父様であられるオゼリエ公爵様のようで、うっとりしてしまったのです」
リシェリアの父は三十歳を超えているけれど、その見た目の若さと美貌から若い令嬢にもファンがいる。ハンナもその一人なのだろう。
「劇のあともウィッグを被っていらしたから、もしかしたらまたあの姿を見られるのではないかと思っていたのです」
「あれは――」
どうしようもないことだった。
劇用のウィッグはボロボロにされて、黒髪のウィッグも使い物にならなくなった。だからリシェリアは地毛で残りの芸術祭を過ごしたのだ。芸術祭の間なら、ウィッグだと偽装できそうだと思ったからというのもあるけれど――それよりも、ミュリエルたちにもう知られてしまっていたから。
だけどどういうことだろうか。芸術祭のあとに、リシェリアの黒髪が偽物で、地味令嬢に変装していただけだということが広まっているだろうと心構えて登校した休み明け。
特にクラスメイトは気にした素振りもなく、そもそも噂自体広まっていなかった。
ミュリエルたち三人もリシェリアに厳しい目を向けるものの、吹聴している気配もなかった。
つまり、まだリシェリアの髪事情は知られていないということになる。
理由はわからないけれど、あの派手な髪色を隠せるのならと、リシェリアも特に自分から話そうとはしなかった。
ハンナも他のクラスメイトも、ルーカスも知らないままだろう。
だからリシェリアは、頬を掻くと恥ずかしそうに言った。
「芸術祭の時は浮かれていたから、つい、被ったままになってしまったのだけれど――。普段被るのは、少し恥ずかしいのです」
「それなら、しかたないですね」
残念そうにしながらも、ハンナは特に気にした素振りを見せなかった。
◇
「魔塔ツアーの申し込みは締め切りました。参加者一覧は掲示板に貼ってあるので、参加者の皆様は確認をお願いします」
担任のその言葉により、帰りのホームルームは終わった。
芸術祭の前までは、ルーカスから逃げるために終わってすぐ教室から出ていたリシェリアだったけれど、最近はのんびりしている。
というのも、前までと違いルーカスが近づいてこなくなったのだ。こちらを気にする素振りは見せているものの、どこか堪えるような眼差しとともに口を引き結ぶと、先に教室から出てしまう。
顔を合わせると挨拶はあるものの、そのそっけない様子にリシェリアは少し寂しさを感じていた。なんかよくわからないけれど、おかしいなとも。
だけど付きまとわれることがなくなって、逃げることがなくなったのは良いことだろう。
そう思うことにして教室から出ようとすると、入口付近でミュリエルたちが待っていた。
芸術祭のあと話すこともなかったのに、もしかして髪のことを言われるのだろうかと身構えていると、彼女はどこかぼうっとした表情で呟いた。
「リシェリア様も、参加されるのですよね」
「え、参加?」
「先生が言っていましたから」
「先生?」
疑問に思ったものの、ミュリエルはそれだけ言うとそのまま歩いて行ってしまった。
(そういえばミュリエル様の瞳、うっすらと赤かったような……ということは、先生ってもしかして)
「リシェ!」
考えていると、急いだ様子でヴィクトルがやってきた。
「ねえ、リシェも参加するの?」
「え、参加?」
「魔塔ツアーだよ。さっき確認したら、名前があったんだけど」
「え?」
どういうこと、と思ったけれど、確認した方が早いだろう。
掲示板の前まで走っていくと、魔塔ツアー参加者一覧が張り出されていた。
そこに書かれている名前を順に辿って行き――、そして、アリナとなぜかヴィクトルの名前を見つけ――ルーカスの名前もあって驚きながらも、一番最後まで確認すると、そこには。
リシェリアの名前があった。
「どうして!?」
思わず叫ぶと、他の生徒の視線が集中した。
視線から逃げるようにヴィクトルと廊下の隅の方に移動する。
「私は参加申請してないわ」
「でも、参加申請は本人からしか受け付けてないはずだよ」
「そうよね? なら、どうして……て、ヴィクトルも参加するの?」
「うん。ちょっと成り行きでね。昨日、いろいろあって」
彼は少し言いずらそうな顔になった。
アリナにヴィクトル、それになぜかルーカスの名前まであった。
「とりあえず、先生に確認した方がいいんじゃないか?」
「そうね、確認してみるわ」
だがリシェリアの思いも虚しく、一度申し込んだ参加申請は取り消せないとの一点張りで、聞き入れられることはなかった。
そうして疑念を残しつつも、リシェリアたちは魔塔ツアー当日を迎えることになった。