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第44話 二日目


 芸術祭二日目。

 舞台傍の控室で、リシェリアは頭を抱えていた。


(もしかして私、昨日ルーカス様に密着していた!?)


 昨日お化け屋敷でルーカスの腕を掴んだり、引っ張ったり、最後には腕に抱き着いたりしたことを思い出して、リシェリアは声にならない声を上げた。


(ううぅ。いくら怖かったからといって、あそこまで密着するなんて……!)


 恥ずかしさに顔が熱くなる。これから劇の本番があって、ルーカスとは顔を合わせることになるというのに。

 この状態だと、目すら合わせられないかもしれない。


 うんうん唸りたい気持ちを抑えながらも、リシェリアはなんとか衣装に着替えた。

 姿見には澄んだ青色のドレスを着たリシェリアが映っている。シンプルだけれど清楚さを感じるドレスに、三つ編みおさげは少しちぐはぐに見える。


 着替えるためのスペースはカーテンで仕切られている。

 カーテンを開けて外に出ると、ミュリエルと、彼女の友人であるジェーンたちがいた。


「リボンを結ばせていただきますね」


 近寄ってきたジェーンが、背中のリボンを結んでくれる。


「ありがとう」


 お礼を伝えると、彼女はそっと離れてリシェリアの背後に立った。


「ミュリエル様、お身体はもう大丈夫ですか?」

「はい。おかげさまで。昨日はご迷惑をお掛けして申しわけありません」

「体調が悪いときは、休むのが一番ですから。お気になさらないでください」

「……ありがとうございます」


 まだ劇が始まるまでは十五分ほど時間に余裕がある。

 そろそろウィッグをつけて準備しないと、とシェリアは控室の中を見渡した。


「あれ、そういえばウィッグが用意されていないような……」


 事前の打ち合わせでは衣装とともに用意されていると聞いていたのに、どこにあるのだろうか。


「あの、ウィッグがどこにあるかわかりませんか?」

「……ウィッグでしたら、こちらに」


 ミュリエルが部屋の隅を指さす。


「へ」


 リシェリアの口から間抜けな声が出た。

 それも無理はないだろう。長い銀髪のウィッグははさみか何かでズタズタに引き裂かれていたのだから。


「ひどい。誰が、こんなことを」


 近づいて確認すると、そのウィッグは昨日も使ったものだった。

 眠り姫のイメージの綺麗なウィッグだったのに。


(これがないと、劇が……ッ)


「か、代わりのものって」

「ありません」


 淡々と返された言葉に顔を上げると、落ち着いた様子のミュリエルがいた。

 その瞳は静かにリシェリアのことを見ている。まるで様子を観察しているかのように。


 劇用のウィッグは、たしかひとつしか用意されていなかった。


「じゃあ、どうしたら……」


 三つ編みを解けば、どうにかなるだろうか。――いや、黒髪だと眠り姫のイメージに合わない。きっと、劇は失敗してしまう。


 青ざめていたからか、背後から近づいてきた人物にリシェリアは気づかなかった。


 髪が引っ張られたと感じたときにはもう遅かった。しっかりと止めてあったはずのピンがはじけ飛び、頭皮が引っ張られるような痛みとともに、黒髪が地面に落ちていく。


「――ッ」


 痛みに呻いていると、近くまでやってきたミュリエルが頭を被っていたネットをゆっくりとはぎ取る。

 銀色の髪が視界の端に映った。


「やはり、そうだったのですね。先生(・・)が言っていたことは、本当だったんだわ……!」

「……ミュリエル様、どうしてこんなことを?」


 本来の銀髪をまとめるために覆っていたネットも、黒髪のウィッグも地面でぐしゃりとつぶれている。

 つまり、リシェリア本来の銀髪が露わになってしまっているのだ。

 頭を押さえるが、もう遅かった。


「銀髪のウィッグは使う必要がありませんわね。その姿でしたら、眠り姫に相応しいと思います。……リシェリア様、劇の成功を祈っておりますわ」


 冷めた瞳のまま、ミュリエルが薄く笑う。その瞳には赤い陰りが見えたような気がした。

 彼女たち三人は、リシェリアを一瞥すると、控室から出て行ってしまった。



(どうしよう。バレてしまったわ……)


 まさか髪を引っ張られるなんて思いもしなかった。

 それに、彼女たちは「先生」から聞いたと言っていた。

 リシェリアがウィッグをつけているのは、アリナのほかには家族とオゼリエ家の使用人しか知らないことだ。ルーカスだって知らない。


(それなのに、いったいどうして)


 考えようとして、はっと時計を見る。

 劇開始まではもう五分ほどしか残っていなかった。


(考えるのはあとだわ。それよりも、銀髪のウィッグをどうしたら……!)


 ふと姿見が視界に入る。

 ゴクリと喉を鳴らすと、リシェリアは鏡に向かった。

 ネットに押し込められていた銀髪は、驚くことに癖ひとつついていない。サラサラで、櫛すら必要なさそうだ。


「いつ見ても、うっとりするほど綺麗な髪だわ」


 ウィッグはもう使えない。

 ミュリエルたちにも髪の秘密を知られてしまった。

 そして運の良いことに、眠り姫の髪はリシェリアと同じ銀髪だ。

 いまならまだ、何も知らない人にはウィッグだと偽ることができるかもしれない。


 芸術祭の劇は、多くの人の力を借りて本番までやってきたのだ。

 一日目は成功で終わった。それなら、二日目も成功させたい。

 それに今日は、教室とは違ってもっと多くの観客が訪れるだろう。失敗して無様な姿を晒すわけにはいかない。

 

(それなら、いっそのこと……!)


 奥歯を噛み締めると、鏡の自分をにらむように見つめる。

 深呼吸をすると、リシェリアは控室から出て行った。



    ◇



 他の演者からは、地毛だということを悟られることなく、どうにか最初の出番は終えることができた。

 舞台袖に引っ込む。ルーカスはもう片方の舞台袖にいるから、あのシーンまでは顔を合わせることもない。

 姿見で服を整える。ミュリエルたちの姿は見えなかった。


(ミュリエル様たちは、まだ私の髪のことを話していないみたいだわ)


 舞台では凍りついた城に王子が到着したところだった。

 暗転したので眠り姫の位置にスタンバイしようとしたとき、侍女役の生徒から話しかけられた。


「なんだか今日のウィッグ、いままででいちばん輝いているようにみえます。舞台の上でもひときわ目立つと思いますよ」


 彼女の瞳は純粋に綺麗なものを褒めているみたいに輝いている。

 リシェリアは曖昧に微笑みながらも、舞台の指定の位置に仰向けに寝転がった。


 凍りついた城中を歩いている、王子の足音がどんどん近づいてくる。


(――あれ? 台詞が遅れてる?)


 なにやら息を飲むような間の後、ルーカスの声が聞こえてくる。


「『これが、姫なのか?』」


 どこか緊張した声。

 だけどそれは棒読みではない自然な演技だった。


「『……美しい人だ。いままで感じたことのない感情を感じる。この、胸を熱く焦がす思いはいったい、何なのだろうか……』


 聴いているこちらがドキドキしてしまいそうな、熱のこもった声。


「『もしかして、これが恋?』」


 耳の奥に余韻が残る。観客席から感嘆のため息が聞こえてきた気がした。


(え、演技がうまくなってる!)


 昨日とは大違いの演技に、ただの演技だとわかっていてもドキドキしてしまう。


「『どうしたら目覚めるのだろう』」


 躊躇うような演技も自然で、寝ているだけなのに顔が熱くなってくる。

 もしかしたらもう顔も赤くなっているのかもしれない。隠したいけれど、動くことはできない。


「『美しい姫。早くその瞳を開けておくれ』」


 鼻先に吐息を感じた。 

 ここは舞台の上で、多くの観客の前だ。

 だからきっと、昨日と同じで寸止めになると思っていた。


「……ッ!?」


 唇に柔らかいものがあたるような感覚。

 それは熱をおびて、しびれるように全身に広がっていく。


 予想していなかった熱と感触に、その後の台詞は飛んでしまった。



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