隠していた自分と対峙する
「やだな。そんなに怯えないでよ。私は貴女だよ?」
「私…」
「そう。貴女が殺してきた私」
「え?」
「無意識のうちに隠してきた、本当の貴女」
にっこり笑う自分と同じその顔に、恐怖しか湧かない。それでも、ニノンは逃げようとも出来ない。身体が硬直してしまう。だって、他でもない自分自身が、ニノンを責めるような目で見てくるから。
「ねえ、あの時のこと覚えてる?」
「あの時…?」
「ほら、ロビンと喧嘩したあの時!ロビンは私に言ったよね!〝親から捨てられたくせに〟って!あれ、傷ついたなぁ。ほら、あの時はパパの存在も知らず、親から捨てられたって私も信じてたし。ロビンは親を事故で失うまで、愛されて育ってきたもんねー。酷いこと言うと思わない?」
それは、孤児院時代。ロビンという年下の少年と口論になった時に言われた言葉だ。ニノンはすっかりと忘れていた。
「あ…うん」
「ねえ、今思い出して一瞬すごく苦しくなったよね?でもね、私。無意識のうちに貴女が殺してきた私は、本当はずっと覚えていたんだよ?ずっと苦しんでいたんだよ?」
「え…」
「貴女が忘れたふりをして、笑顔でいる間に。貴女の無意識の部分である私は、こんなに傷ついてたの。わかる?無意識の部分の方が人間の多くを占めるのにね。それなのに、貴女という意識は傷ついた私を置き去りにした」
「…あ、そんな。ごめんなさい、そんなつもりはなくて、あの」
ニノンは言葉を紡ごうとするが、本当に苦しそうな自分自身に掛ける言葉は思いつかない。
「ほら、これ見て!あの時のぬいぐるみ!ほら、ここがちぎれて可哀想に…。ルヴィクはわざとじゃないって言ってたけど、あんなの絶対嘘だよ」
「あ…」
それは孤児院時代、大切にしていたぬいぐるみ。貧しい孤児院で、物資もそんなに多くはなく。当然おもちゃやぬいぐるみなんて、貴重だった。そんな中で、孤児院の子供達の面倒を見るシスター達が手製で作ってくれたぬいぐるみ。当時のニノンの宝物。それを、年上の意地悪な少年ルヴィクに壊されたのだ。もう昔のことで、すっかり忘れていた。
忘れていたと、思っていた。
こんな辛い気持ちを、忘れたふりをして癒しもせず放置していた。その結果が、無意識の自分からの敵意だ。
「ねえねえ、ほら、ここの傷見て!ナターシャに引っ掻かれた時の傷!酷いことするよねぇ」
「…痛かったね」
「そう!すごく傷ついたの!喧嘩の原因はナターシャが年下の子を虐めたのを注意したことなのに、ナターシャはこんなになるまで強く引っ掻いたのよ!」
それは孤児院時代。同じ年の子ナターシャが、年下の子を虐めるのをシスターに言いつけたりせず優しく注意したのだ。なのに、彼女は自分に突っかかってきて肉体的に攻撃までしてきた。身体だけでなく心まで傷ついたのに、ぐっと堪えて許してあげた。そのぐっと堪えた結果が今だ。私は私を許してくれない。
「ほら、このハンカチ!流行病で亡くなった、孤児院の近所に住んでいた優しいおじいちゃんのくれたやつ!今でも大切に持ってるよね?屋敷に〝本物〟が大切にしまってあるよね?あんなに可愛がってもらったのに、病が移るといけないってお葬式にも行けなかったよね」
あの時は、シスターに何度も訴えた。おじいちゃんの最期に一目会いたいと。けれど、見舞いはおろか葬儀にすら参加してはいけないときつく言われた。
幸いおじいちゃんの親族も良い人達ばかりで、子供達に移してはいけないと孤児院の方針を援護してくれた。あれだけ孤児院の子供達を可愛がってくれたおじいちゃんの最期にも会えない自分達を許してくれた。
けれど本当は、やっぱり会いたかった。それでも、シスター達の言っていることは理解できた。流行病だから。シスター達は自分達を心配してくれているから。文句も悲しみも飲み込んで、結局良い子に振る舞った。それを無意識の自分は今でも恨んでいる。シスター達ではなく、自分自身に対して、だ。
「ねえねえ、今私が許せないこれ全部。あなたがわたしを殺してきた結果なんだよ」
私は、私を許してくれない。




