もしも彼女が悪魔でなければ
「…アリア、何故」
アルスラーンは帝国の南の端、森の中でぽつりと呟いた。
「貴女なら、僕を見捨てれば逃げ果せたでしょう…?」
その瞳には涙が浮かぶ。
「僕を愛して、僕と一緒にいてください…僕にはもう、貴女しかいないんです…そう、言ったじゃないですか…」
ぽたぽたと、涙が地面に滴り落ちる。
「貴女がいないのに…生きている意味なんてない…」
ぐっと拳を握る。
「…貴女を見捨てて逃げるくらいなら、いっそ」
ハンカチで涙を拭う。そのハンカチには、イニシャルが刺繍されていた。それは、アリアの施してくれたものだ。それを見てアルスラーンは小さく笑う。
「ふふ、貴女は本当に人の心をくすぐるのが上手い」
ポケットにハンカチを入れて、彼は真っ直ぐに前を向いた。
「今助けに行きます。きっと貴女を封印なんてさせません。…たとえ、無駄な足掻きで何の意味もないとしても。貴女を救えないとしても。貴女を見捨てることだけは、絶対にしません」
覚悟は決まった。アルスラーンは、動き出した。
「アルスラーン、ご飯できたわよ」
「ありがとうございます、アリア」
アリアの手料理は、最初は食べられたものではなかった。しかし、アルスラーンが懇切丁寧に説明して二人で何度も料理を作ると上達した。その時間の記憶さえ、アルスラーンにとっては尊いものだった。
「アルスラーンの大好きなシチューよ。美味しい?」
「…おお。とても美味しいですよ、アリア」
「ふふ、おかわりもいっぱい作ったわ。たくさん食べてね」
「ええ。…貴女との時間は、本当に穏やかだ」
アルスラーンは母を亡くしてから、父には蔑ろにされ兄弟達からは頼られて息を吐く暇もなかった。今ではその忙しさ、苦痛、悲しみから解放された気さえしていた。みんな死んでしまったのに自分は薄情だと思っても、それでもアリアと過ごす時間に安堵してしまう。
「僕は、いつかきっと父の待つ地獄に落ちるのでしょうね」
「…それまでは、貴方に私が寄り添うわ。寂しさなんて、感じさせないから」
「ふふ。アリア…本当に、心から感謝します。僕と契約してくれてありがとう」
「アルスラーン…愛してるわ」
「アリア…僕も貴女を愛しています。たとえ、偽りの愛であっても構わない。貴女のことは、手放さない」
偽りの愛。たしかに、始めはそうだったかもしれない。けれど年月が経つごとにお互いがお互いに必要不可欠になったのも事実。もう、二人はこの愛を捨てることは出来ない。
「ところで…もう気付いてる?」
「何をです?」
「私の特性」
「…夜な夜な、キメラを生み出していることですか?」
アリアは頷いた。
「私は、愛する人とまぐわいあうとキメラを生み出してしまうの。材料となるのは近くにいる動物達。人間が混ざることは少なくとも今のところはないのだけど」
「…それで?」
「キメラもだいぶ増えたわ。そろそろ、大人しくしていたあの子達も暴れるでしょう。被害が出るかもしれない」
「…契約は破棄しませんよ。僕は貴女を手放さない」
「アルスラーン…」
アルスラーンは、考えていたことを告げる。
「もし、貴女が嫌でなければ。帝国の南の端にある森へ逃げませんか?あそこは瘴気が濃くて誰も立ち寄りません。瘴気の影響は、貴女なら打ち消せるでしょう?キメラを生み出したって、あそこでなら問題ない」
「…そうね。なら、二人でそこに逃げ出しましょうか」
その森へ逃げ出す途中で、ついキメラに襲われるニノン達を見て良心が咎め名乗り出てしまい通報されてしまうことになった。黙って逃げるのが正解だったのだろうが、アルスラーンとアリアは結局そうしなかったのだ。




