第二章 蕃じいちゃんとの再会! ウチらのカレーに足りないもの-3
「すげぇ……こんな山の中に、これだけの設備があるなんて」
母屋から屋根付きの廊下を歩き、純和風な平屋建ての離れの引き戸を開けた真咲良は、感嘆の声をあげた。
その中には、奥にある窓に向かって、システムキッチンが2基設置されており、さらに左右の壁沿いには、大きな戸棚が設置されていた。
システムキッチンのコンロは、1基あたり3口用意されており、カレーを作るには十分な設備だった。
そして、2つのキッチンの間には、業務用と思しき巨大な冷蔵庫が設置されており、この離れの主であるかのような威厳を放っていた。
「ちょうどキッチンが2つあるし、お互い自由にカレーが作れるね」
新輝は、真咲良の肩越しに中を覗きこみ、興味津々そうに言った。
「ああ。さすがは蕃じいちゃん。隠居中、ずっとカレーの研究をしてるだけのことはあるよ……」
真咲良と新輝は、離れの中に入り、戸棚やシステムキッチンの棚、そして冷蔵庫を開けて、その中を確認した。
戸棚には米やスパイスと食器が、システムキッチンの戸棚にはあらゆる調理器具が、そして冷蔵庫には、肉や冷凍保存された野菜などが詰まっていた。
「本当にすごいや。これだけいろんなのがあれば、一生カレー作っていけそうだよ」
「姉ちゃん、さすがにそれは言い過ぎだよ」
真咲良の感想に、新輝は苦笑しながら、システムキッチンの戸棚より寸胴鍋を取り出した。
「それにしても、用意されてる調理器具は、かなり年季が入ってるなぁ」
「それだけ、蕃じいちゃんが今まで使い込んできたってことね」
真咲良も、新輝と同じく寸胴鍋を取り出して、コンロの上に置いた。
寸胴鍋は、くすんだ銀色をしており、火に当たる下部は、赤黒く変色していた。
「じゃあ、戸棚の確認が終わったら、さっそくカレー作るか」
「そうだね。蕃じいちゃん、さっきカレー食べてなかったし。きっと、僕らがカレー作るのを待ってるんだよ」
そう言って二人は、私服の上からエプロンを着て、それぞれシステムキッチンの前に立って、カレー作りの準備を始めた。
* * *
真咲良と新輝が離れに来てから、約20分が経った。
二人は、店の看板メニューであるチキンカレーを作ることに決め、それぞれシステムキッチンに向かって、黙々とカレーを作っていた。
2つあるシステムキッチンは、奥の壁に向かって左側を真咲良が、右側を新輝が使っていた。
真咲良の方では、油のひかれたフライパンが、コンロの火にかけられていた。
「まだだ、まだもう少し……」
フライパンを器用に動かしながら、彼女はひたすら、それを見つめていた。
やがて、油から湯気が立ち上り始めた。
しっかりと、フライパンが温まってきている証拠だ。
「よし、このタイミング!」
真咲良はフライパンを指さし、システムキッチンの空きスペースに置かれていた、一口大の鶏肉の皿を、コンロ脇に寄せた。
そして、火をかけたまま壁際の戸棚へと向かった。
中には、大量の瓶詰めスパイスが、整然と並べられていた。
ガラムマサラやターメリックといったポピュラーなものから、ヒハツなどの少し変わったものまで、そのバリエーションは多種多様であった。
「今必要なのは、ガラムマサラにターメリック。クミンにショウガ……ニンニクもだ」
真咲良は、戸棚から瓶詰めスパイスをどんどん取り出していき、片手で抱えた。
そして、システムキッチンに戻り、鶏肉の皿の横において、素早くフライパンを手に取った。
フライパンで熱されていた油からは、さらに白い湯気が立ち上っていた。
「ここで投入!」
真咲良は、瓶詰めスパイスを手に取った。
「ガラムマサラとターメリックは、しっかりと……クミンとショウガは、まあこれくらいでいいだろ。ニンニクは、入れすぎると腹壊すから……」
真咲良は、スパイスの名前を口に出して確認しながら、次々とフライパンの中に投入していった。
量については、計量スプーン等を使わず、全て己の勘と目分量で調整していた。
素材の量や、投入するタイミング等、料理におけるあらゆるものを、自分の感覚を頼りに作り上げていく。これが、真咲良のカレー作りの特徴であった。
彼女がこのスタイルに行き着いた理由は、2つあった。
一つは、彼女が生来、おおざっぱな性格をしていたから。
そしてもう一つは、桂樹のもとでカレー作りを学ぶ中で、素材やスパイスの量を細かく調整することで、多様な味が生み出されることに魅せられたからだった。
「やっぱりカレー作りは、レシピだけじゃなくてフィーリングも大事だよね。スパイスの配合量ばかり考えてちゃ、絶対に生み出せない味があるからね」
それが、真咲良の持論だった。
一方、彼女の隣にある、新輝のキッチン。
こちらでは、新輝が丁寧に鶏肉をさばいていた。
コンロには、フライパンや寸胴鍋が置かれているものの、火はかけられておらず、真咲良に後れを取っているようにも見えた。
「……」
しかし、彼はまったく焦っておらず、ただ無言でキッチンに向かっていた。
やがて、鶏肉を全て切り終わると、フライパン側のコンロを点火して、フライパンに油をひいた。
そして、少し時間をおいてから、鶏肉を投入した。
「さて、この間に……」
新輝は、素早く壁際の戸棚へ向かった。
そして、真咲良のものと同じく、多種多様な瓶詰めスパイスが並べられている中から、目当てのものを、迷わず手に取っていった。
「これとこれとこれ、それに……これも」
彼がチョイスしたのは、ニンニク・ショウガ・カイエンペッパー・パプリカだった。
そして、キッチンのコンロのもとに戻り、鶏肉の焼き加減を見た。
音を立てながら、香ばしいにおいを漂わせていたが、まだところどころに赤身が残っていた。
新輝は、システムキッチンの引き出しから計量スプーンを取り出した。
「ニンニクとショウガは大さじ1杯ずつ、残りは大さじ2杯で……」
そして瓶詰めスパイスを開けては、計量スプーンで丁寧に量り、順々にフライパンの鶏肉へと振りかけていった。
真咲良とは逆に、料理に関わるあらゆるものについて、その数値を重視する。それが、新輝のカレー作りの特徴だった。
もともと、真咲良とは正反対の、真面目で几帳面な性格をしていたこと。さらに、料理の専門学校に通うようになり、学問として料理を学ぶようになったことから、その傾向はより顕著になっていった。
「感覚だけに頼るなんて、時代遅れだ。カレーは、もっとテクニカルに作らないとね」
新輝の持論もまた、真咲良とは真逆のものだった。
* * *
鶏肉の味付けが終わった後、二人はカレールウ作りに着手し、あらかた材料を入れて、寸胴鍋でそれを煮込み始めた。
入れるスパイスや、鶏肉の味付けには差異があったものの、カレールウの作り方は、二人とも桂樹から教わったものに沿っていたため、だんだんお互いの作業ペースは、ほぼ同じになっていった。
こうして、どんどん時が過ぎていき、二人が離れに来てから、約1時間後――。
「できた!」
真咲良と新輝は、ほぼ同時に大声を上げ、カレールウをかき混ぜていたおたまを、音を立てて寸胴鍋の中に置いた。
そして、あらかじめよそっておいたご飯の皿を持ってきて、おたまを再び手に取り、カレールウをすくってかけた。
真咲良と新輝、それぞれ独自のチキンカレーの完成であった。
「新輝もできたか。割と早かったな」
「そういう姉ちゃんだって、スパッと作ってたじゃん」
自分たちの作ったカレーを、大きなテーブルの上に置いて、二人はお互い笑いあった。
二人の作ったカレーは、カレールウの色が大きく違っていた。
真咲良のカレーは、鶏肉の調理やカレーペーストを作るる際、スパイスを多く入れたこともあり、かなり黄色みがかった色をしていた。
対する新輝のカレーは、店で出しているものとほぼ同じ分量で作っていたため、それとほとんど変わらない、深みのある茶色をしていた。
「しかし新輝。とりあえずカレーを作ってみたのはいいけど、カレー力が何なのか、わかったか?」
真咲良は、腕を組みながら訊いた。
「いや、何も。姉ちゃんは?」
「訊くなよ。新輝が考えてもわからないのなら、ウチにわかるわけないじゃん」
真咲良の回答を耳にして、新輝ため息をつき頭を抱えた。
そんな彼を見て、真咲良は「バカで悪かったな」とつぶやいたあと、こう続けた。
「とにかく、こうしてお互いのチキンカレーができたんだ。蕃じいちゃんに食ってもらって、どこが良くてどこがダメなのか、見てもらおう」
真咲良の口調は、新輝を元気づけるようだった。
そして、壁際の戸棚に向かって、下の方からお盆を取り出し、テーブルのもとに戻ってきて、自分たちの作ったカレーをそれに載せていった。
「……そうだね、姉ちゃん。あ、僕お盆持ってくよ」
顔を上げた新輝は、真咲良からお盆をもらった。
「ありがと、新輝」
真咲良はそう言ったあと、彼とともに離れを出て、母屋の蕃のもとへ向かった。
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