第一章 黒船来襲! 踏みにじられたウチらのカレー‐3
「な、何!?」
驚いた真咲良は、思わずのけぞり、その場で尻もちをついてしまった。
扉が破壊された出入口には、女性一人と、彼女の取り巻きと思われる、サングラスに黒スーツ姿の男性四人が立っていた。
女性は、30代半ばくらいに見え、ロングの茶髪に大きな目をしており、きりっとした面立ちをしていた。
またその服装は、上は濃いグリーンのフライトジャケット、下は迷彩柄のカーゴパンツを履き、頭にはえんじ色のベレー帽という、かなり特徴的なものだった。
フライトジャケットは、チャックが全開にされており、中からは無地の黒いシャツが見えていた。
「えっ……自衛隊の人?」
新輝は、カウンター席に座ったまま、女性をまじまじと見た。
「ここでへたってる女の子がお姉さんで、向こうに座っている男の子が弟さん。そして、厨房に立っているのが店主のお父さん。なるほど、情報通りね」
女性は、ポケットに手を突っ込みながら、店内を見回して言った。
ゆっくりとした口調ながら、冷たさととげとげしさが感じられた。
「あの……どちら様ですか?」
厨房から出てきた桂樹は、ゆっくりと女性に近づいた。
「失礼しました。私、布勢頼香と申します」
頼香は、ベレー帽をとって、深々とお辞儀をした。
「扉を蹴破るようなヤツが、よく言うよ」
真咲良は、お尻をさすりながら立ち上がり、小声で吐き捨てるように言った。
「おい真咲良。いきなりその言い方は……」
「これも情報通り。姉の真咲良さんは、威勢のよさは一級品のようね」
桂樹の言葉をさえぎった頼香は、にやにや笑っていた。
「さっきから、情報通り情報通りって、いったいあなたは誰なんですか?」
頼香の態度にいらだったのか、新輝も立ち上がり、真咲良の左隣にやって来た。
「向かい側に来週オープンする、『ジャンキーカリー』の支店長ですよ。ライバル店の情報収集をするのは、当たり前でしょう?」
「『ジャンキーカリー』だって!?」
真咲良は、頼香に突っかかろうとしたが、桂樹がそれを手で制止した。
「そうでしたか。しかし、開店のごあいさつにしては、少々手荒すぎやしませんか?」
桂樹は、穏やかな口調で話していたが、その表情は険しかった。
内心では怒り心頭なのは、明らかだった。
「いくらノックしても、誰も出てきてくれませんもの。だから、やむを得ずこうさせていただいた次第です」
頼香は、けろっとした表情で答え、自分たちは何も悪くないと言わんばかりの様子だった。
「いや、『昼営業は終了しました』ってプレート、出してるんだけど……」
新輝は、頼香に聞こえないようにぼそっと言った。
しかし、彼女はそれを聞き逃さなかった。
「へえ。弟の新輝さんも、言うときは言うのね。料理オタクで、気はそこまで強くないって聞いてたけど」
頼香は、小馬鹿にしたような表情で、新輝の顔をじろじろと見た。
「なっ……!」
これには、さすがの新輝も頭に来て、何か言い返そうとした。
だがその前に、桂樹が口を挟んだ。
「開店のごあいさつなら、私の子たちにあれこれ言う必要はないでしょう。用件はそれだけですか?」
顔をしかめる桂樹に、頼香は、涼しい顔で彼の方を向いた。
「もちろん、違いますよ。来週開店するにあたって、店主である桂樹さんに、我が『ジャンキーカリー』の新作カレーの味を知っていただきたいのです」
頼香が指を鳴らすと、彼女の背後にいた男性たちのうちの一人が、出入口から外に出ていった。
その後すぐ、大きなカバンを肩にかけて戻ってきた。
男性が、そのカバンをカウンター席のテーブルに置いて開くと、プラスチックのトレーに盛られたカレーが入っていた。
かけられているカレールウは、ショッキングピンクをしており、かなり派手な見た目をしていた。
「ついさっき作った、我が社の新作・トリップカレーです。メニューに並ぶのは少し先ですが、どうぞ」
頼香は、トリップカレーをカバンから取り出して、カウンター席のテーブルの上に置いた。
「あなたのところのカレーでしたら、いくつか食べたことはありますが――」
「ですが、それらはほとんど、スーパーで販売されているレトルト版でしょう? こちらは、店舗調理のものですよ」
「いや、『ジャンキーカリー』のカレー、は全てがセントラルキッチン製だから、レトルトと大差無いんじゃ……」
頼香の勧めに、桂樹はなかなか乗ろうとしなかった。
そのとき、彼の両隣に、真咲良と新輝が相次いで駆けつけた。
「父さん。食っちゃってよ。あれだけ啖呵切った『ジャンキーカリー』のカレーが、どんなものか確かめてよ」
「姉ちゃんの言うとおりだよ。それに、ライバル店の最新作の味を知れる、めったにない機会だし!」
桂樹とは反対に、真咲良と新輝は、彼にそれを食べるように勧めた。
『ジャンキーカリー』の作るカレーが気になるからよりも、頼香に挑発されたせいで頭に来たからという理由の方が、大きかった。
二人は、桂樹を半ば無理矢理カウンター席に座らせ、トリップカレーに向き合わせた。
「……わかったよ。そこまで言うなら、食べてみよう」
桂樹はスプーンを持ち、一瞬ためらったあと、カレーを一口食べた。
「なるほど。見た目と違って甘みの強いカレーだな。これはファミリー層に受けそうだ」
桂樹は感心しながら、カレーを口に運ぶ手を速めていった。
「父さん。ウチのライバルになる店のカレーだよ? そんなに感心することないって」
「いやいや。ライバルとはいえ、いいところをしっかりほめることは大切だぞ、真咲良」
不機嫌そうに寄り添う真咲良をよそに、桂樹は余裕の表情で、カレーを食べ続けた。
しかし――。
「……!」
彼がトリップカレーを食べ始めてから、数分後。その様子がおかしくなり始めた。
カレーを食べる手をぱたりと止め、口を手で押さえ始めたのだ。
「父さん? どうしたの?」
新輝は心配して声をかけたが、桂樹は首を横に振るのみで、何も答えなかった。
やがて、桂樹の両頬がハムスターの顔のように膨らみ、顔がどんどん青ざめていった。
「父さん!? おい! まさか、毒か何か持ったんじゃないだろうな!?」
原因がカレーにあると見た真咲良は、頼香のもとへ駆け寄り、その顔をにらみつけた。
「毒なんてとんでもない! 我が社で使用している化学調味料は、すべて日本で許可されているものですよ」
頼香は、両手のひらを前に突き出して、真咲良を制止しながら答えた。
しかし、そんな彼女たちをよそに、桂樹の様子はさらにおかしくなっていった。
次の瞬間。
「うわあああああっ!」
突然絶叫した桂樹は、カレーを吐き散らしながら、カウンター席から吹っ飛び、向かい側の壁に思いきり身体をぶつけた!
その衝撃で、壁にはクレーターのようなひびが入り、天井近くにかけられていた賞状の額縁や楯が、次々と床に落下して割れた。
「父さん!」
真咲良と新輝は、桂樹のもとへと駆け寄って、その身体を抱きかかえた。
彼は意識を失っている様子で、身体をゆすっても起きる様子がなかった。
「ああ、忘れていました。トリップカレーはまだ試作段階なので、正式に提供予定のメニューよりも、調味料が10倍配合されているんです。だから、ぶっ飛び具合も10倍になりますよ」
頼香は、フフッと笑いながら、人差し指を立てて補足した。
「あんた、それを知ってて父さんに食わせたな!」
真咲良は振り返って、再び頼香をにらみつけた。
「ぶっ飛び具合は人それぞれなので、食べた結果がどうなるか、私にはわかりませんでしたよ。ただ、この辺りのカレー店の店主さんは、皆食べると気を失うくらいにはなっちゃいますね」
そう答えて、頼香は高笑いをした。
「この辺りのカレー店って……まさか!」
「周りのカレー店が閉めたのは、『ジャンキーカリー』のせいか!」
ハッとした真咲良の後ろで、新輝は絶叫した。
「周りの店をつぶして、自分たちだけいい思いしようって魂胆なの? 汚いよ!」
真咲良は、桂樹の身体を新輝に預け、立ち上がって頼香を指さした。
その指は、怒りのあまり震えていた。
「どんな手を使っても、カレーで最後にシェア一位を獲得できればOKなんですよ。それが、社長の方針ですから」
頼香は、あくどい顔をしていた。
このとき、真咲良と新輝は、彼女ひいてはジャンキーカリーという会社そのものの本質を、見たような気がした。
「カレーはそんなものじゃない! 絶対、ウチらのカレーでベソかかせてやる!」
「そんなにアツく言われなくても、この店のカレーの味は知っていますよ。それに、店主の桂樹さんが倒れた今、どうやってカレーを作るんですか?」
怒りのあまり興奮していた真咲良に対し、頼香は涼しい顔をしていた。
「ウチらだって、カレーのレシピは知ってるよ。なんなら、今から作ろうか?」
「いえ、結構です。店主の手伝いをしているひよっ子姉弟の作るカレーなんて、たかが知れていますし」
「それは……」
頼香の反応を前に、真咲良は言葉に詰まってしまった。
自分も新輝、まだ桂樹のもとで修業している身であること。
その彼から、まだ作ったカレーを認めてもらえていないこと。
それらから考えれば、自分たちのカレーがまだ桂樹の認めるレベルに達していないことは、彼女自身が一番よく知っていたからである。
「とにかく、私からのごあいさつはここまでです。これからお互い、仲良くやっていきましょうね。もっとも、そちらは営業できる状態ではないと思いますが」
頼香は、再び高笑いをしながら、取り巻きの男性たちを連れて、店を出て行った。
「待て! まだ話は終わってないぞ!」
「姉ちゃん待ってよ! あの人たちを追いかけるより、父さんの方が先でしょ?」
頼香たちを追って、店を出ていこうとした真咲良を、新輝が大声で呼び止めた。
「新輝! だって……」
真咲良は、険しい表情で振り返ったが、新輝の悲しげな表情を見て、我に返った。
「……ごめん、アツくなりすぎてたよ」
真咲良は小声で謝り、小走りで新輝と桂樹のもとに戻ってきた。
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