第一章 黒船来襲! 踏みにじられたウチらのカレー‐2
午後2時すぎ。
『カレーのやすなが』の昼営業時間が終わり、真咲良たちは店内の片付けをしていた。
そして、片付けが終わると、真咲良は扉の外に『昼営業は終了しました』の札を引っかけて、店内に戻った。
「あー、今日もてんてこ舞いだった」
真咲良は、カウンター席に座るやいなや、頬杖をついて、疲れた口調で言った。
「これくらいでへばってたら、店は回せないぞ。はい、昼ごはん」
桂樹は、厨房から彼女へ、どんぶりを手渡した。
中身は、余り物のカレーを使って作ったカレー丼であり、このまかない飯が、真咲良たちのいつもの昼食だった。
「父さん、ありがとう。新輝! 掃除はやめて、いったん飯にしよう」
「はーい」
顔を上げて真咲良が呼び掛けると、店の奥から新輝が小走りでやって来た。
そして、彼女の右隣の席に座ると、桂樹は彼にもどんぶりを手渡した。
「いただきまーす!」
真咲良と新輝は、同じタイミングで、カレー丼を食べ始めた。
「さて、私も……」
ひと段落した桂樹も、自分のぶんのカレー丼を食べようとした。
だがその前に、ふとテレビのリモコンを手にとって、テレビの電源を入れた。
カウンター席の斜め上に設置されたテレビがつくと、軽快な音楽と、人々が青いカレールウのカレーを持って狂喜乱舞している映像が流れた。
「あっ! 見てよ姉ちゃん。『ジャンキーカリー』のCMだよ」
新輝は、真咲良の右肩を左手で叩いて、テレビを指さした。
「いよいよ来週末、この街にも開店するんだよね」
真咲良は、カレー丼を食べながら、ぶっきらぼうに言った。
「こんな田舎にまで出店してくるだなんて、やっぱり世界的なカレーチェーン店は、勢いあるよね」
感心している様子の新輝の一方で、真咲良の表情はどんどん険しくなっていった。
「新輝はのんきだな。あの支店がどこに出来るか知ってるだろ? そこの通り挟んで、ウチらの店の真向かいだよ」
真咲良は、出入口の扉を顎で指しながら、苦々しく言った。
『ジャンキーカリー』。それは、アメリカ・ニューヨークに本社を置く、外資系のカレーチェーン店である。
2年前に、日本一号店を東京に開店したと直後に、国内のあらゆるグルメ情報誌やグルメサイトのランキング1位を総なめ。
その後も全国各地に出店を続け、あっという間に日本一のカレーチェーン店の座に上り詰めていた。
『ジャンキーカリー』のカレーの特徴、そして人気を獲得した理由は、ラインナップされたカレーの個性的な見た目と、唯一無二の味、そして提供の早さであった。
そのカレールウは、青色やピンク色など、食べ物としてはかなり変わった色味をしているが、味は辛味と甘味がうまく混ざった濃厚なものだった。
また、カレールウやご飯は全てセントラルキッチンであらかじめ作っており、店舗ではそれらを解凍して温めるだけ。そのため、注文を受けてからカレーを提供するまでの時間は、他店に比べて圧倒的に早かった。
これらの要素が組み合わさり、今やジャンキーカリーのカレーは、日本国民のほとんどの胃袋をわしづかみにしていた。
そんなジャンキーカリーが、唯一出店していなかったのが、真咲良たちの住むT市のある県だった。
しかしとうとう、その県下第一号店が、よりによって彼女たちの店の真向かいに、開店することになったのだ。
「まったく、あいつらの作るカレーって、トンチキな見た目だよね。本当に都会じゃ、あんなのが流行ってるっていうの?」
真咲良は、カレー丼をむさぼるように食べながら、怪訝な顔をしていた。
「何のデータかは忘れたけど、東京での『ジャンキーカリー』の支持率は、驚異の9割超えみたいだよ」
怒る彼女とは対照的に、新輝は淡々としていた。
「それに、カレールウはあんなにどぎつい色をしているが、使われている食品添加物は、当然日本で許可されているものだけだ。違法でもなんでもない」
桂樹もまた冷静な様子で、ゆっくりとカレー丼を食べ始めた。
「そうかもしんないけどさ……納得できないよ」
二人からの指摘を受けた真咲良は、悲しげな顔をして、すっかりトーンダウンしてしまった。
「それにしても、『ジャンキーカリー』ができるって話が出てから、この商店街のカレー屋も寂しくなったよね」
「ついこの前までは、ウチ含めて6つあったのに、今じゃ営業してるのはウチだけだからね」
新輝と桂樹が、ぼやくように話をしていると、カレー丼を食べる手を止めて、真咲良がカウンター席から身を乗り出してきた。
「そう、おかしいのはそれだよ! 皆、『ジャンキーカリー』に恐れをなしたとか言ってるけどさ、本当かどうだか……」
先ほどのトーンダウンが嘘のように、彼女は興奮気味に、早口でしゃべった。
彼女の言う通り、ここ数か月で、商店街のほかのカレー店は、明らかに様子がおかしくなっていっていた。
以前、この商店街には、『カレーのやすなが』を含めて、6つのカレー店があった。
どの店も、個性的なカレーを出すことで知られており、お互い切磋琢磨しながら、その味や技術を磨きあってきた。
そのようなことを、何十年にもわたって続けてきたのだから、どの店も、少しの苦境等で音を上げるような店ではないはずである。
ところが、約3か月前に、その状況は一変した。
ジャンキーカリーの支店が、この商店街にできるという情報が入った途端、相次いでほかの店が閉店を発表し、そのままどんどん廃業していったのだ。
商店街内での噂では、真咲良の言う通り、「『ジャンキーカリー』に恐れをなしたから」とまことしやかにささやかれていた。
しかし、廃業した店の中には、『カレーのやすなが』以上の老舗店もあったことから、真咲良たちにとってその噂は、にわかには信じられなかった。
「どこのお店も、チェーン店ができるってくらいで、廃業するような店じゃなかったからなぁ」
「閉めたあとは、皆すぐに引っ越してるし、どこ行っちゃったんだろうね」
桂樹と新輝が話していると、テレビには、別の『ジャンキーカリー』のCМが流れ始めた。
ウェーブのかかった髪型をした、陽気な男性が、ガラス張りのビルを背景に、自信満々な口調でカレーのプレゼンをするようなものだった。
「あのオッサンが、『ジャンキーカリー』の社長って話、本当なの?」
真咲良は、新輝の左腕を右ひじで小突き、スプーンでテレビの男性を差しながら、訊いた。
「話も何も、実際そうだよ。姉ちゃん知らないの?」
新輝は、やれやれといった様子で答えた。
ムッとした真咲良は、すぐに言い返そうとしたが、その前に桂樹が再び口を開いた。
「ガラム・ミハギノ。『ジャンキーカリー』の社長。普段は、ニューヨークにある本社にいるけど、今は東京の日本支社にしばらくいるらしいぞ」
その話を耳にして、真咲良は、彼の方を向いた。
「なんでそんなこと知ってるの?」
「この前の新聞に書いてあったんだよ。はい、これがその記事」
桂樹は、厨房にある戸棚の下の方をガサゴソとあさり、折りたたまれた新聞を真咲良に手渡した。
記事には、『飲食業界の風雲児 日本に凱旋帰国』と大見出しが書かれており、空港内を歩くガラムの写真が掲載されていた。
高級スーツに身を包み、秘書と思われる女性やマスコミに囲まれているその姿は、芸能人か何かと見まがうほどだった。
「本当だ。でも、いかにも成金みたいな見た目していて、なんか気に入らないなあ」
大見出しと写真だけ目を通した真咲良は、カウンター席のテーブルに、投げるように新聞を置いた。
「これ、『凱旋帰国』って書かれ方してるってことは、ミハギノ社長は日本人なんだね」
その新聞を手に取った新輝は、記事に目を通しながら、ぼそっと言った。
「日本人とアメリカ人の間に生まれた、ハーフらしいぞ。本人が素性を明かしていないから、それ以上のことはわからないけどね」
桂樹は、厨房から身を乗り出して、記事を覗きこみながら言った。
真咲良は、新輝の隣から、再び記事に掲載されている写真を見た。
はっきりとはわからなかったが、瞳の色が青か緑のような、日本人離れした色をしているのが確認できた。
「こんな成金野郎のカレーチェーンに、ウチらは負けてらんないよな。父さんから譲ってもらったあとも、死ぬまでこの店を守っていかなきゃならないし」
真咲良は、力強い口調で言った。
「真咲良と新輝にはまだ早いよ。店を継ぐには、まだまだ勉強しなきゃならんことが、たくさんあるからな」
桂樹は笑いながら、再びカレー丼を食べ始めた。
「勉強しないといけないこと? カレーの作り方は、もう教わったけど……」
新輝は首をかしげた。
「カレー作りに必要なのは、技術だけじゃないんだ。親父も昔よく言っていたよ」
そう語る桂樹は、遠い目をして、昔を懐かしんでいる様子だった。
「その、技術以外に必要なものって何さ?」
「それはだな――」
真咲良の問いに、桂樹が答えようとした、そのときだった。
ドンドンドン!
店の出入口の扉を、激しくノックする音がした。
真咲良たちが、驚いて扉の方を向くと、はめ込まれたステンドグラスの窓越しに、人影が見えた。
外には、女性一人と男性数名が立っているようだ。
「すみませーん! 今休業時間中です!!」
真咲良は座ったまま、大声で呼び掛けた。
しかし、相手はノックするのをやめず、むしろそれは激しさを増していった。
「父さん。今日、なんか荷物が届く予定ってあったっけ?」
「いや、何も」
新輝と桂樹が話している間も、ノックは鳴りやまなかった。
「そのうちあきらめて、ノックもおさまるだろう。真咲良、ほっときなさい」
「……はい」
桂樹の指示を受け、真咲良は言葉通り我慢した。
しかし、2、3分耐えてもノックの音がやまないので、とうとうしびれを切らした。
「あー、もううっさいな! 今は休業時間中だって、何度も……!」
声を荒げながら、真咲良は扉に向かった。
そして、ドアノブに手をかけた瞬間、なんと相手が扉を蹴破ってきた!
耳をつんざく大きな音ともに、蹴破られた扉はそのまま店の内側に向かって倒れた。
ステンドグラスの窓は、床に叩きつけられて、粉々に砕け散った。
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