第三章 模索の連続! カレー力って何なんだ-5
誰もいない居間の壁掛け時計が、正午ちょうどを指した。
それと同時に、障子を開けて、蕃が入ってきた。
「二人とも、そろそろ持ってくるかな」
蕃は、座卓の前に正座しながら、二人がカレーを持ってくるのを待っていた。
離れからカレーを作るにおいがしたため、そろそろ真咲良と新輝が来るのだろうと、彼は予想していたのだ。
その予想通り、廊下からドタドタと、走ってくる足音が聞こえた。
「蕃じいちゃん! イケる、今度こそイケるよ!」
真咲良と新輝は、同時に入ってくるやいなや、大声で蕃に呼びかけた。
真咲良の持つお盆には、チキンカレーとスプーンが載っていた。
その見た目は、カレールウが明るいながらも深みを感じる黄土色ををしており、鶏肉も野菜は、カレールウに負けずに鮮やかな色彩を放っていた。
「そうか。是非食べさせてくれ」
蕃は、一言だけ述べたが、二人の様子や持ってきたカレーを見て、今までとは何かが違っていることを直感した。
真咲良は、そんな彼の前に、チキンカレーとスプーンを置いた。
「では、いただきます」
蕃は、手を合わせた後、素早くスプーンを手に取った。
そして、カレーを一口食べ、目を閉じながらそれを味わい始めた。
「……」
二人は、今までのように蕃に感想を訊くことなく、ただひたすら彼の咀嚼を見つめていた。
蕃のそれは、いつもより速く、今回のカレーが、彼に今までとは違うインパクトを与えているのだと確信したからであった。
やがて、蕃はカレーを飲み込み、目を開けた。
その身体全身が、震えていた。
「蕃じいちゃん、大丈夫?」
見たことがない蕃の様子に、新輝は思わず心配して声をかけた。
しかし、彼は何も答えず、その震えが止まることもなかった。
「……別に、食ったら悪くなるものなんて、入れてないよ?」
さすがの真咲良も、心配になって声をかけたが、蕃の状況は相変わらずだった。
そして、急に震えが止まった、そのとき。
「うまい!」
蕃は、二人が今まで聞いたことがないような大声で絶叫し、勢いよくカレーを食べ続けた。
「!?」
真咲良と新輝は、彼の様子の変わりっぷりに驚き、呆然としてその場に立ち尽くしてしまった。
そうしているうちに、蕃は異常な速さで、カレーをたいらげた。
「……よくやったな。真咲良、新輝!」
二人の顔を交互に見て、蕃は笑顔でほめたたえた。
「初めて、蕃じいちゃんを納得させるカレーが作れたね」
「これで、『ジャンキーカリー』のカレーにも対抗できるよ!」
真咲良と新輝は、お互いの顔を見て頷き、確信した。
「二人はようやく、本当の意味で、力を合わせてカレーを作れるようになったな。どうやって、その答えを見つけ出したんだ?」
「突貫工事だよ」
興味津々の蕃に、真咲良は堂々と答えた。
「突貫工事?」
「そう。姉ちゃんのアイデアさ。限られた時間の中で、父さんのレシピにできる限りのアレンジを加えたんだ」
今度は新輝が答え、それから二人は、レシピに加えた改良点について語った。
メニューを根本から変えている余裕は無いため、スパイスの量や調理手順の時間配分などを、繰り返し話し合った末調整し、それをもとに完成したのが、このカレーだった。
「素晴らしい! 二人とも、よく自分たちの力で、ここまでたどり着けたな」
蕃の称賛に対して、真咲良と新輝は照れ笑いした。
「でも蕃じいちゃん。いいカレーが出来たのはいいけど、結局カレー力が何なのか、よくわかんなかったよ」
表情を戻した新輝は、首を傾げながら言った。
「大丈夫だ、新輝。お前も真咲良も、カレー力はある程度身に付いておる。これで、『ジャンキーカリー』とまともに戦えるはずだ」
「ある程度身に付いてる、って……」
蕃の返事に、新輝はどう反応していいかわからなかった。
そして、苦しまぎれに、真咲良に「姉ちゃんは、何なのかわかった?」と訊いた。
「うん。なんとなくね」
真咲良の回答は、新輝の予想だにしないものだった。
「そうなの!? じゃあ、カレー力って何なのさ?」
新輝の顔は、明らかに真咲良の言葉を信用していない様子だった。
しかしそれでも、真咲良の態度と自信は変わらなかった。
「新輝、このカレーを作ってるとき、どう思った?」
「そりゃあ、いろいろ試行錯誤して、大変だったよ」
「それ以外に、何か感じなかったか?」
「それ以外……?」
真咲良の問いに、新輝は答えたが、それでも彼女の意図をつかむことはできなかった。
少し考える間をおいて、彼は口を開いた。
「……楽しかったよ。姉ちゃんとレシピを考えて、カレーを作って、楽しかった」
新輝は、もじもじしながら、真咲良から目をそらしつつ答えた。
「それだ! 新輝」
蕃は大声を上げ、持っていたスプーンを新輝に突きつけた。
「へ? カレー力って……楽しく料理をすることなの?」
蕃の反応に目を白黒させた新輝は、妙に甲高い声を出した。
「いや、そういうわけではない。カレー力とは、料理に思いを込める力のことだ。二人にとっては、その込める思いが楽しいという感情だった、ということだ」
「思い……」
蕃の言葉を聞き、新輝は、このカレーを作るまでの、自分のカレーの作り方を振り返っていた。
確かに、レシピや技術にはこだわってきたが、カレーに込める思いのことは、ほとんど考えたことがなかった。
しかし――。
「そんな、非科学的なことを身につけるために、数日間頑張ってきたってこと?」
新輝はまだ、蕃の理論を信じきれていなかった。
「非科学的だから、いいんじゃないか」
新輝と蕃の会話に、真咲良が入ってきた。
「姉ちゃん?」
「『ジャンキーカリー』は、蕃じいちゃんの言うとおり、レシピを研究し続けてる。そういう科学的なことに勝つには、非科学的なことしかないだろ?」
「はあ? そんな論理……」
「何より、楽しくカレーが作れてよかったじゃないか。でしょ?」
真咲良は、新輝の肩をたたいて、明るく笑っていた。
彼女の話を聞いて、新輝はとうとう吹っ切れた。
「わかった……わかったよ! もう、理論とかそういうのだけを考えるのは、やめるよ。レシピや技術も大事だけど、作る者の心も大事。カレー力って、つまりそういうことなんでしょ?」
新輝はこのとき、まだカレー力のことに納得しきれていなかった。
しかし、真咲良の話も聞いたことで、じょじょに、こうした考え方もありではないかと感じるようになっていた。
「そうだぞ新輝。ハートだ、ハートが大事なんだ」
蕃は饒舌に語った。
「とにかく、これでカレー力も何なのかわかったし、『ジャンキーカリー』のヤツらにカチコミできるな」
真咲良は、新輝の肩に腕をまわして、がっちりと組んだ。
「カレー力の本質が、こんなことだとは思わなかったけどね」
新輝は、げっそりした顔をしていた。
「何言ってんだよ。蕃じいちゃんの言ってること、すげぇわかりやすいじゃん」
真咲良は、新輝にガッツポーズした。
どうやら、本人は完全にカレー力を理解したつもりでいるらしい。
「僕は、姉ちゃんほど単純じゃな人間じゃないからね。カレー力を理解するには、まだ時間がかかりそうだよ」
「おっ、言うねえ新輝。それって、蕃じいちゃんの話を否定してるのと一緒だよ」
「それは……!」
皮肉を言った新輝は、真咲良の返り討ちにあう形になった。
そしてしばらくして、二人は同時に吹き出した。
「二人とも。リラックスするのはいいが、気を抜くんじゃないぞ。まだ完全にカレー力を身につけたわけじゃないんだからな」
蕃は姿勢を正して、二人に忠告した
「もちろん、わかってるよ」
「僕らなら、大丈夫さ」
真咲良と新輝は、力強く答えた。
このときの二人は、自信に満ちた、清々しい顔をしていた。
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