ローザと暗殺者ハンス
「――大丈夫ですか?」
気を失っていた女が目を覚ましたのに気が付き、声を掛ける。
「……あなたたちは?」
「――俺たちは……。」
「――やっ――。」
目覚めたばかりの女の質問にイクスが答えようとすると、女は小さな悲鳴を上げて警戒する。
「……イクスさんは、大きくて怖いので黙っててください。」
ベルはイクスに言う。
「お、おお……すまん……。」
イクスは小さくなってしまい、控える。
「私はベルです。私たちは街で偶然あなたをお見掛けしたのですが、少し様子が変でしたので、心配でついてくることにしました。」
ベルは自己紹介と合わせて事のいきさつを簡単に話す。
「そうだったのですね……。ご迷惑をおかけしたようで申し訳ございません……。」
ベルの外見を見て安心したのか、女は素直に答える。
答える女の様子からは、街で見た異様さは既になくなっていた
「それは構わないのですが、なぜあなたは今このようなことに?……覚えて……いますか?」
ベルは気を遣いつつも聞きたいことを聞く。
「はい……。なんとなくですが覚えています……。私は……夫と子供たちと一緒に、この家に住んでいました……。私たちは、貧しいながらも幸せに生活を送っていたのですが…………ある日夫が仕事を失い、そのまま消息を絶ってしまい……。」
話すのが辛いのか、女はそこまで話して黙ってしまう。
「この街の現状では、そういうこともありますよね……。」
「はい……。もともと貧しかったこともあり、子供たちのいる私だけでは当然生活をして行くことはできず……飢えてしまい……。うっ、うっ……。」
女は何とか再び口を開くが、話している途中で泣き始めてしまう。
「そうですよね……。今のこの世界では……。」
ベルは聞こえるか聞こえないかギリギリの小声で独り言を言う。
「私も、なんとかしたいとは思っていたのですが……。」
それが聞こえていたのか、そうではないのか、女は涙をこらえてそう口にする。
「………………もしよければ、あなたも私たちに協力してもらえませんか?」
ベルは考え、女にそう提案する。
「……協力……ですか?」
女はベルの言葉を受けて質問を返す。
「…………私は……この世界を殺したいと思っています。」
「――――っ。」
目を覚ましてそれなりに正常な思考になった女は、ベルの言葉に驚いた反応をする。
「……この世界を殺して、その後は……みなさんが楽しく生きていける世界に変えていきたいと思っています。」
女の反応を見たことによるものか、もともと考えていたことなのか、ベルは続けてそう口にする。
「――ああ、ベルの嬢ちゃんはこう見えても結構すごいんだぜ?」
小さくなっていたイクスが話に割り込んでくる。
二人の話が聞こえていたのだろう。
「……でも……私に何かできることがあるのでしょうか……?」
「……お名前を……お聞きしてもいいでしょうか?」
「――ああ!これはこれは申し訳ございません!私は……ローザと言います。」
「ローザさん。きっとあなたにも何かできることがあるはずです。だから、あなたさえよければ、私に協力してもらえないでしょうか?」
「…………他に当てがあるわけでもありませんし……本当に、私なんかでいいのでしょうか?」
ローザにはまだ迷いがあるようだ。
「はい、是非ともお願いします!こちらにいるイクスさんも協力して下さっている方ですので、ローザさんもいて下さると私としてはとても助かります。」
ベルはさりげなくイクスの紹介をしつつ言う。
「……そんなに仰るのでしたら……。どうぞ、よろしくお願いいたします。」
考え込み、ローザは優しい微笑でそう返事をした。
ローザに、念のためにと自分の住んでいる場所を教え、帰宅する。
「――それじゃあ、ベルの嬢ちゃん。また明日な。」
「あ、はい。こんなところまでわざわざありがとうございます。」
「気にすんな。こんなちんちくりんなのが一人で歩いてたら危ねぇからな。」
そう口にし、イクスはガッハッハと笑う。
「――むう……い、イクスさんこそ!大きくて怖いので、もう少し可愛くなった方がいいと思いますよ!」
ベルはムッとして言い返す。
売り言葉に買い言葉とでもいうのだろうか。
「可愛くか……そりゃ俺には難しいな。まぁ、いい。それじゃあ、また明日迎えにくるからな。」
イクスは真顔で考え、そんなことを言う。
「はい、分かりました。お願いします。」
ベルの言葉を受けてイクスは去って行く。
――ドンドンドン!
「ベルの嬢ちゃーん!いるかぁ?」
起床し、支度を整え、迎えが来る様子もないのでそろそろ出掛けてしまおうと考えていたころだった。
扉を叩くあとに聞こえたのはイクスの声だった。
「はい。」
そう答えながら玄関の戸を開ける。
「おう、待たせたな。」
イクスは友達の家にでも遊びに来たようにそんなことを言う。
「……遅いです。」
ベルは待ちくたびれたといった様子で切り返す。
「申し訳ありません。」
ふわりとした様子でそう口にしたのはローザだった。
「――あ、ろ、ローザさん!おは……こんにちは!」
ベルは挨拶を迷ってしまう。
「はい、こんにちは。お待たせしてすみません。」
ローザは気にしていない様子で謝る。
「あ、いえ、それはイクスさんが悪いのであってローザさんは何も……。」
ベルは全てをイクスに押し付ける。
「まぁ、そういうなって。妙な話を聞いたんで教えてやろうと思ってな。」
イクスは早々にそんなことを言う。
「――妙な話……ですか?」
ベルはイクスの言葉を受けて真面目に聞き返す。
「ああ。近頃、夜になるとこの街には殺人鬼が徘徊してるなんて話だ。」
「――殺人鬼、ですか?」
ベルは家の外に出て詳しく聞くことにする。
「それでまぁ、こんな世の中じゃ金目当ての殺人やら強盗なんかがあってもなにもおかしくはねぇが、その殺人鬼とやらはどこぞのでかい時計塔のある街にでも出るような殺人鬼らしくてな。女は当然のことながら、子供すらも狙うらしい。」
「……女性と……子供もですか?」
「ああ、しかも子供の方も女限定らしい。」
「それは怖いですねぇ……。」
ローザは本当に怖いと思っているのかも分からないような、のんびりした様子で感想を言う。
「でもそれなら、そういった趣向の持ち主というだけなのでは?」
ベルは少し濁しながら聞き返す。
「ああ、俺もそれは考えた。だが、そういう性癖の割には、殺すことだけを目的として殺されてるような遺体ばかりらしいんだ……。」
「なるほど、確かに性的なことが目的であれば、強制的な性行為の被害に遭っているような方がいてもおかしくはないですよね?」
ローザはほんわかとそんなことを口にする。
「……だろ?俺もそう思うんだ。」
「ですが、それこそ、そういう趣味趣向というだけなのではないでしょうか?」
「まぁ、ベルの嬢ちゃんのいうことも分からなくはねぇがな……こんな世の中じゃそんな変態がどこから湧いてきてもおかしくはねぇからな……。」
「はい、そう思います。それほどまでに今のこの世界はおかしくなってしまっています。」
「ああ、世界がこれだけ酷くなっちまうと、むしろ世界そのものがそれを推奨していると言っても過言じゃねぇからな。」
「……はい……。だから私は、この世界を殺したいと思っています……。」
「…………まぁ、なんにしてもベルの嬢ちゃんやローザがいるのに、そんな物騒なもんを放置しておけねぇと思ってな。そういうことならいっそこっちから解決にでも踏み出しちまおうと思ったわけだ。」
そう言いながら並んで歩いていたイクスは、曲がり角で足を止める。
「……どうかしましたか?」
突然の挙動にベルが聞く。
「ああ、ここがその殺人現場になった場所らしい。」
何の変哲もない街の中だ。
ベルやローザの家からはそれなりに離れていて、一つ道を挟めば静かな通りだが、普段から人通りの多い場所だ。
「……こんなところで……。」
「ああ、性癖を拗らせちまったやつなら、もっとひとけの少ない所でもいいはずだろ?それにも関わらず、わざわざこんな人の多いこんなところでやってやがると来たら、そりゃおかしくも思うだろ?」
「……確かに……。」
「ホントですねぇ。まるでたくさんの人の中から殺す相手を吟味して殺しているように感じちゃいますね。」
「――――っ!?」
ローザは深く考えずに感想を言ったのだろうが、それが合っているような気がしてくる。
「ああ、きっと間違っちゃいねぇ。もちろん、女子供を狙ってってのもあるかもしれねぇが、その中でも好みのタイプってのがあるのかもしれねぇな。」
イクスが結論を口にする。
「私もそう思います。そうなると、何か別に目的があるのかもしれませんね。」
「ああ、こりゃ調べてみた方がよさそうだな。」
ベルたち三人は、殺人鬼の現れるという夜を待つことになる。
夜。
殺人鬼が事件を起こしている複数の場所から、今夜もその殺人鬼が現れそうな場所を推測し、張り込むことにする。
さすがに単独での行動は危険だと判断し、街中を広く見ることができつつも、三人の姿がお互い目に入るような位置で監視をする。
そしてそれは最初にして大当たりだった。
通常の成人女性の平均身長よりも少し低い程度の女性が、人通りの少なくなった大通りから路地へと入っていく。
――そこに現れた。
暗闇の中にどこからともなく火が灯されたように、フードを目深にかぶった人間が音もなく突然現れた。
その路地の一番近くにいたのはローザ。
ベルは即座にその殺人鬼と思われるフードの人間と、路地に入って行った女性の下へ向かうが、あの殺人鬼がすぐに動き出せば絶対に間に合わない。
手には刃物と思われるものを持っている。
殺人鬼は今すぐにでも動き出すだろう。
「――待ってください!」
ローザは、なんの武器も持っておらず丸腰だ。
それにも関わらず、躊躇うこともなく、路地へ入って行った女性のうしろに立つ殺人鬼のうしろから声を掛ける。
ローザは想定以上に度胸のある人間らしい。
「――なんだ?お前は?ケケケケケ。」
突然声を掛けられた殺人鬼が怯んだのはほんの一瞬だった。
聞こえてくるのは気味の悪い余裕の笑い声。
その一瞬の隙の間にも、ベルとイクスは全力でローザのもとへと向かう。
「あなたが殺人鬼さんですね?そんなことをしたらメッですよ?」
その間にもローザと殺人鬼のやり取りは続く。
「……お前は……ママじゃない……死ねぇ!!」
殺人鬼はローザの全身を舐めるように確認し、襲い掛かる。
「――待ちやがれぇ!!」
イクスの渾身の一撃。
その拳がローザに迫った殺人鬼の頬を殴り付ける。
殺人鬼はその衝撃に飛ばされるが、すぐに体勢を立て直し起き上がる。
飛ばされたことによりフードが脱げた。
顔が隠れるほどに長い髪をしているが、それが男なのも確認できる。
「――なんなんだお前らはぁ!!僕の邪魔をするなぁ!!」
殺人鬼はイクスとローザの方へ向かって再び刃物を構え、飛び出す。
「――やめて下さい!!」
その殺人鬼に向かって、ようやく追いついたベルが叫ぶ。
予想もしていなかった三つ目の声が聞こえ、殺人鬼は足を止め、ベルの方をギョロリと見る。
――沈黙。
殺人鬼はベルの方へと向き直る。
――来る!!
ベルはそう思った。
いや、そうでなければおかしいとすら思った。
「――――ま……ママ……?」
だが、殺人鬼が口にした言葉はこの状況には異質すぎる一言だった。
「――――――…………え?」
「――ママ!僕だよ!!ハンスだよ!やっと会えた!ママぁ!!」
殺人鬼の名前はハンスというらしい。
ハンスは子供のような様子で、自分よりも身長の低いママ……もとい、ベルの方へと駆け寄る。
「――――なっ!!何を!?わ、私はあなたのママじゃありません!!」
ベルは本当のことをはっきりと言いながら、駆け寄って来たハンスを両手で妨げる。
「――ママじゃないの?でも……ママだよ!――ママぁ!!」
ハンスは殺人鬼であることが分からなくなるくらいに甘えた声を出す。
「あらあらぁ。ベルちゃんもママだったのね。」
ローザはそんなことを口にする。
「……べ、ベルの嬢ちゃんは……子持ちだったのか……。」
イクスまでそんなことを口走る。
「――そ、そんなわけないじゃないですか!助けて下さい!」
ベルとハンスの小さな攻防は終わらない。
「――おい、やめろ。ベルの嬢ちゃんが嫌がってんだろ?」
ようやくイクスが止めに入ってくれる。
「そうよぉ。女の子にしつこくしちゃダメよ?」
ローザも一言。
「……なんだお前ら……。僕とママの邪魔をするのか?」
ハンスは殺人鬼の目に戻る。
「…………ハンスさん!いけませんよ!」
ベルはやむを得ず一言。
「――はい、ママ!!」
素直に聞くハンス。
どうやら、もう心配はいらないようだ。