第56話 秋山と鈴原act5
バイトの帰り。
俺は育と一緒に夜の街を歩いていた。
今日は二人ともバイトだったので、二人で鈴原を家まで送っていってから店に入った。
鈴原は育や育の友達と打ち解け始めていた。今日の帰りも俺の後ろに隠れること無く、育と普通に会話をしていた。
本来は悪いことじゃない。鈴原に友達ができるのはむしろ良いことだ。
育が俺から鈴原を奪うと宣言していなかったらな!
「育、何かあったか?」俺は歩きながら隣を歩く育に話しかける。
今日の育はいつもと何か違った。
「え? 何もないよ?」育は微笑んで答える。いつもと変わらない。
同じ女を取り合っているライバルに、いつもと変わらない対応できる時点でおかしいだろ。
俺はできない。
「何かあるんだったら俺に言えよ」
「えー。鈴原をどうやって落とすか考えてたんだけど?」育はイタズラっぽく言った。
嘘だな。
もしそうなら俺に本当の事を言うわけない。
言いたくないのか?
「あ、たまちゃんだ」俺は声に出して育に伝えた。
ビル前の植え込みに座っているたまちゃんを見つけたからだ。かずくんが通っている塾の前だ。
「あ……」育が小さく返事した。
何? 育が緊張した?
「前もいたな。彼氏の帰り待ってるなんて、健気だな」たまちゃんはけっこう可愛いところがあるよな。
かずくんが学校や塾で忙しいから、こんな時間まで会えないのだろう。
「ん……、そうだね」育が上の空の返事を返す。
やはり何かあったのか?
「たまちゃん」俺はたまちゃんに近づいて声をかける。
「あ、こうたくん! ……いくちゃん」彼女は俺に笑いかけて返事をした。そして育を見て微妙な間の後に声をかけた。
!
彼女の顔は腫れあがっていた。
殴られた痕か?
「たまちゃん、どうしたの?!」
「あ……」彼女はバツが悪そうに視線を泳がせた。
俺は彼女の肩をつかむ。
「誰にやられた!? 何があった!?」
彼女は俺の剣幕に驚いて身を引く。
たまちゃんがここまでやられるなんて、余程の相手なんだろう。
たまちゃんをここまでやれる相手に俺が勝てるだろうか?
いや、勝てるかどうかじゃない。俺の友達に手を出したやつは必ず後悔させてやる。
「あ、いや、ちょっとかずくんとケンカして……」
俺は膝から崩れ落ちて、路上にへたりこんでしまった。
「もー! 驚かせないでよ、たまちゃん……」
「ごめんごめん!」彼女は俺の手を取って立ち上がらせる。
俺は安心して苦笑いになってしまう。
幼馴染み達のケンカはいつもの事だ。
「タイマン?」
「けいくんとコンビで」
「勝ったの?」
「負けた!」たまちゃんが楽しそうに笑った。
俺もつられて笑う。
けいくんとたまちゃんの神がかり的なコンビでもかずくんには勝てないのか。
「かずくん強すぎ」
「ホントにねー!」
ちなみに俺は誰とやっても負ける気しかしない。
俺が幼馴染みたちとケンカするときは、何故か大体はたまちゃんが加勢してくれる。俺がたまちゃんの足を引っ張って結局は負けるんだけどな。
そう言えばたまちゃんとはあまりケンカしないな。大抵ケンカになりそうなときは、たまちゃんが引いてくれているような気がする。
……俺、たまちゃんに甘やかされてるのか?
育は呆然と俺達を見ていた。
何故この状況で笑いあっているのかわからない、といった顔だ。
顔が腫れ上がる程殴られて笑っていられる状況がわからないというのは、まあそうかもしれないけど……。
?
育はたまちゃんの腫れた顔を見ても驚かなかった?
たまちゃんがかずくんとケンカしたことを知っていた?
「ねえ、たまちゃん。何でかずくんとケンカしたの?」俺は育に視線を向けたまま尋ねた。
育がビクッとする。
育は視線をそらそうとして踏みとどまり、俺をまっすぐに見てくる。
育はケンカの原因を知っている。
「んー、何だったかな……? 忘れた!」たまちゃんはちょっと考えてから、明るく言った。
今のは考えるフリだったね。
俺に気をつかってる?
「俺が原因?」今度はたまちゃんを見て尋ねる。
「違うよー」たまちゃんは嘘をついているようには見えなかった。「何か理由はつけてたけど、結局は私とかずくんのどっちが強いか試してみたかっただけだよ」
それはそれで本当の事を言っているようにも聞こえる。
「いつもの事だよ」
「……いつもの事だな」
たまちゃんの中ではそれで完結しているのだろう。
俺は話す相手を育にかえる。育は原因を知っている。
「で、何があったんだ?」
「たまちゃんが言わないなら、私の口から言うことはないよ」
俺はムッとして育をにらみつける。
育はまっすぐに俺をにらみ返してきた。
わずかの間、にらみあう。
……、昔と変わらない育だった。こうなったとき、育は絶対に引かない。そして相変わらずの威圧感だった。
動悸がして嫌な汗がでる。
耐えきれなくて手が出そうになる。
育が怖くて、その恐怖から逃げるために殴り付けるなんて、そんなカッコ悪いことはできない。
「こうたくん!」たまちゃんが救いの手を差し伸べてくれた。彼女の胸の中に抱き締められる。
助かった。
「こうたくん、ごめんね。こうたくんがいくちゃんとケンカすることないんだよ」
何か最近こんなんばっかだな。
「わかったから、たまちゃん、離して」
たまちゃんは離してくれない。
「たまちゃん、公太を返して」育の不機嫌そうな声音が聞こえた。
「こうたくんにいじわるばっかする、いくちゃんには返してあげない」
たまちゃんの胸に埋められている俺には二人の様子は見れないが、何か顔を上げたくない空気がする。
「何やってるの三人とも」かずくんの声がした。塾が終わったのか急に人の気配が増える。
「あ、かずくん、お疲れ!」たまちゃんの嬉しそうな声がした。
「えっと……たまちゃん、こうたくんが困ってるから離してあげて」
かずくんがたまちゃんにそう言ったようだが、たまちゃんはすぐには俺を離さなかった。
しばらくしてからたまちゃんはゆっくりと俺を離した。
息を詰めていたからちょっと苦しかった。息を吐き出す。
「ふみゅっ!」
突然かずくんがたまちゃんを抱き締め、たまちゃんが変な声を出した。
俺も育も呆気にとられる。
「どうしたの? かずくん。妬いてるの?」抱き締められたたまちゃんが平然と尋ねた。
「そんなわけ……」かずくんは言いかけた言葉をやめる。そして、「……そうだよ」と言った。
塾の帰りだろう。かずくんと同じ学校の制服を着た学生達が、驚いたように二人を見ている。
かずくんは何も気にすることなくたまちゃんを抱き締めていた。
「昨日、あんな派手にケンカしてたのに……」育が納得いかないような口ぶりで呟いた。
「いつもどおりだろ? ケンカしても次の日には仲直りしてただろ、俺達」
「……そうだね」
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