第54話 秋山と鈴原act3
土曜日の早朝。まだ空が白いうちにいつものA峠の駐車場に二台のバイクを停めていた。
けいくんが俺のバイクのモノショックを弄っている間、俺達はその作業を見ているだけだった。俺と育は物珍しいのでその作業を興味深く見ていたが、たまちゃんはそうでもないのか空を見上げていた。
空には巨大な白の風車のブレードが風切り音をあげながら回転していた。
今日はサスペンションのセッティングを変更するためにけいくんとたまちゃんについて来てもらった。
最近は育とタンデムすることが多い。今度、タンデムツーリングに行くのを機会にサスペンションのプリロードを変更してもらうことにした。
けいくんは育の代わりにたまちゃんを俺のバイクの後ろに乗せて何度が峠を走り、その度にダンパの減衰圧を調整していった。
「こうたくん、いくちゃん、一遍走ってみて」けいくんが工具を片付けながら言った。
育は無言で胸部プロテクターとライダースジャケットの前を止め、グラブとメットをつける。
俺も装備を着けてシートに跨がる。育に目で合図をしてからバイザーを下ろした。
育がタンデムシートに座った。
「最初は飛ばさず挙動を見て」
けいくんに頷いて返事する。
育が右肩に置いた手で軽く叩いたのを合図に、パワークラッチを握力で押さえ込みながら半分繋げた。
行きは軽く流す。
コーナリングのタイヤの接地も戻りも問題ない。スプリングの跳ねも無い。
尾根の終点にあるレーダサイトを越えてUターンしてから今度はペースを上げて峠を攻める。
育は俺の身体かのように思いどおりに動いた。
もっと速くなれる。
駐車場に戻ってエンジンを止める。
「どう?」
「良いと思う」
けいくんの問いにメットを脱ぎながら答える。
「路面への吸い付きも良いし、余分な跳ねも無いよ。ソロで乗ることも考えたら、これ以上固くなくてもいいかな」育もメットを取りながら答えた。
育がバイクから降りてからサイドスタンドを立てて俺も降りる。
「私たちはもっと速くなる」育が俺を見て言った。
俺は返事をせずに目を反らした。
「ねえ」たまちゃんがいつになく真面目な顔をして俺達を見る。「ケンカでもしてるの?」
「「してない」よ」俺達は何の感情も乗せずに同時に答えた。
「仲良いよね」けいくんが笑いながら言った。
たまちゃんは笑ってなかった。
バイトを始めた。
前と同じメイド喫茶。
俺と育は職種が違うのでシフトがバラバラだ。逆に言えば同じ日に入っても良いし、同じ日に休んでも良い。
夏休みと違って、平日は学校が終わってからしかバイトに入れない。
ほとんどの日は二人ともバイトなので、鈴原を育と二人で家まで送ってから、育と二人で出勤する。
どちらかだけがバイトの時はオフの方が鈴原を連れて遊びに行く。
鈴原は育の誘いを断らなくなった……。
「今日は奈々ちゃんは育ちゃんとデート?」
「女の子同士で遊びに行っただけですよ」俺は春ちゃんにそう答えた。
育はデートと言ってるけどな。
「……怒らないで……」
「……」小さくため息を吐いた。「怒ってませんよ?」春ちゃんに笑いかける。
バイトの帰り道。
駅前を通って帰ることにした。何となく人が多いところに行きたくなった。
ビル前の植え込みに座っているたまちゃんを見かけた。
かずくんが通っている塾の前だった。
普段と違って可愛い服を着ておとなしく座っている。
彼氏待ちか……。
「たまちゃん」誰かと話をしたかったので声をかけた。
「あ、こうたくん!」たまちゃんがいつもどおり楽しそうに返事を返してきた。
「かずくん待ち?」
「うん!」彼女は立ち上がり、俺の前に向き合った。
「かずくんが出て来るまでどれ位?」
「後5分くらいかな?」
あ、もうすぐか……。たまちゃんと話をしている時間はないようだ……。
「そう。じゃあ俺行くわ」
たまちゃんとかずくんの時間を邪魔するのは悪い。
たまちゃんはパチクリとまばたきしてから表情を改めた。
「待って、こうたくん!」
「え?」
「場所かえよ?」たまちゃんは俺の手を取って歩きだした。
「ちょっと、たまちゃん! かずくん待たなくていいの?!」
「約束してた訳じゃないから!」
たまちゃんは俺の手を引いてずんずんと歩く。
かずくんの塾から大分離れて、人通りが少なくない場所まで来てからやっと立ち止まった。
俺に向き合い、両手をつなぐ。
「どうかした? こうたくん」
「え?……どうもしない」
「……」たまちゃんは不審そうに……、いや、心配そうに俺の目を覗き込んでくる。
俺は耐えきれなくて視線を外した。
「いくちゃんとケンカした?」
「してないよ」
「……鈴原と何かあった?」
「……無いって」
いきなり顔を両手で挟まれた。反らした顔を彼女の方に向けられる。
目の前に彼女の瞳があった。
覗き込む瞳から視線を外せない。
「いくちゃんと何があったの? ちゃんとお姉さんに言って!」
「お姉さんじゃないだろ……」
「いいから言いなさい!」
言いたくない。
「……、育が……」
「うん」
「俺じゃ鈴原を救えないって……」声が震える。
「うん」
「だから育が代わりに鈴原を愛して上げるって……」
「うん」
「……」嗚咽が漏れそうで口を開けなくなった。
「いくちゃんだよねー」そう言ってたまちゃんは笑った。
俺は息を飲む。
たまちゃんの目は笑っていなかった……。
たまちゃんは俺の顔から手を離す。
そして俺の頭を抱き締めて胸に沈めた。
「おい、やめろよ」
「頑張ったね。こうたくんは頑張ったよ。えらかったね」
涙が出た。
彼女の胸を濡らすだけで何もできない。
抱き締められていたせいで、たまちゃんがどんな顔をしているか見れなかった。
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