第50話 宮野と鈴原peace3
「男の人が怖いなら私が愛してあげる」
一曲も歌わなかったカラオケ屋さんで、震える鈴原を抱き締めながら紡いだ言葉は愛の告白なのだろうか?
私は白々明けの空に回る巨大な風車を見上げていた。
いつもの朝。A峠の駐車場の欄干に私はもたれて空をあおいでいる。巨大なブレードの一定リズムの風切り音を聞いていた。
隣で公太がペットボトルの水を飲んでいる。今日の走行を終えて休憩中だ。
明るくなってきたので、そろそろ帰る時間だった。
「公太」
「ん?」
「昨日、鈴原とカラオケに行った」
「ん? 鈴原は歌わないだろ?」
「歌わないね」
「だろうな」
公太はただの雑談のつもりのようだ。
「鈴原から聞いた」
「何を?」
「公太と付き合いだした理由」
公太がこっちを見る。
「鈴原、急に叫びだして、それから狂ったように喋りだした」
公太が持っていたペットボトルを落とした。
公太の右手が私の胸ぐらを締め上げるまで一瞬だった。
公太の左手は顎のしたで軽く握られていた。殴る寸前で押し止めたのだろう。
公太の目は怒りを通り越して殺意に満ちていた。私をつかんだ手が震えている。呼吸が荒い。
怒りに任せて殴り付けようとするのをかろうじて押し止めていた。
無理やり聞き出したわけじゃない。そんな言い訳は通じないだろうな……。
「殴りたければ、殴ってもいいよ」
公太は目を閉じて深呼吸をするかのように息を大きく吐き出す。
次に目を開いたときには殺意は消えていて、そして手を離した。落としたペットボトルを拾って砂を払う。もうこっちを見ない。
「殴られて楽になりたいやつを殴ってやるほど、俺は親切じゃないんだ」
「あんな話、聞きたくなかった」
公太は胸くそ悪い話だからしたくないといっていた。公太はちゃんと警告してくれていた。
鈴原の事件がそんな生易しいものでないことは想像できた筈だった。
相手を入院させるほど大ケガさせたのに、退学になったのは相手だけで公太は学校に居続けている。暴力事件を起こしたのに、公太は教師から信用されている。
春ちゃんの事件のときも公太は警察官から信用されていた。そもそも公太は未成年だから少年担当の刑事と面識があっても不思議ではないが、普通に刑事事件の刑事と面識があった。
由紀ちゃんの事件の後、公太が由紀ちゃんをトイレでレイプして無理やり付き合わせている、と噂になったことがある。
過去にあったことが中途半端に漏れて伝わって、面白おかしくゴシップに変換されたのだろう。
公太の言動を注意深く見ていたら気づけた筈だった。
公太は空を見上げていた。その顔は怒りに染まっていた。
公太は現場に殴り込みをかけている。胸くそ悪くなる現場を思い出しているのだろうか?
それとも、鈴原を追い詰めた私に怒っているのだろうか?
「育、もう鈴原に手を出すな。ここしばらくは落ち着いていたんだ」
公太は、あの狂ったような鈴原を何度も見ているのか。
私には手に負えない。生半可な覚悟で鈴原とは付き合えない。
壊れてしまった鈴原と向き合う公太と同じだけの覚悟が私にあるだろうか?
「いやだ」
「あ?」公太がこっちを見る。明らかに私に対して怒っている。
「いやだ」私ははっきりと公太に言った。
「公太が鈴原にこだわるのは何? 助けられなかった罪悪感?」
公太が由紀に優しいのは、間に合わなかった罪悪感が影響しているのだと思っている。鈴原も同じ事ではないだろうか。
「ちがう。俺は手の届く範囲で出きることだけをする。全部を助けられると思うほど傲慢じゃない」
「じゃあ同情?」
「それもちがう。俺は鈴原が好きなんだ。好きな女を救いたいと思って何が悪い」
「それこそ独りよがりよ」
「え?」
「鈴原はそれを望んでいるの? 鈴原は公太の事が好きじゃないと言っていた」
「……」公太がショックを受けた顔で言葉を失う。
「鈴原は男の人が怖いのよ。仕方ないと思う。公太が悪いんじゃない。でも鈴原は公太も怖いんだよ。公太が鈴原を好きだと言っても、鈴原には負担にしかならない」
ごめん、公太。イヤなことを言ってる。嫉妬が混ざっていることも自覚している。
公太を鈴原から解放したい。公太に私だけを見て欲しい。
私は私の恋に誠実であり続ける。
「公太では鈴原を救えない」
今度は殴られた。
「おはよー」
朝の教室。隣の席の由紀ちゃんに声をかける。
「おはよう」由紀ちゃんがこっちを見て挨拶を返してくる。
「! どうしたの、その顔!」由紀ちゃんが私の顔を見て大きな声を上げた。
「えへへ、公太に殴られた」私は照れ笑いで答える。
「……何で嬉しそうなの?」
朝、公太に顔を殴られて鼻血が出た。止血して帰ってから、公太に処置された。止血し直して鼻にガーゼが当てられている。
公太は鼻骨は折れてないから傷跡は残らないと言っていた。
「子供の頃ケンカばっかしてたのに、顔キレイなままだよな」と公太に言われた。
公太に、顔が綺麗と誉められた!
いつものみんなや加藤達が集まってくる。
「どうして殴られたの?」
「いや、いつも通りだよ。鈴原と別れろと詰めよったら殴られた」
本当の事は言えない。でも概ねあってる。
「えー」
みんなコメントに困っている。
「バカなことばっかやってないで。ちゃんと公太くんに謝ったの?」由紀ちゃんの中ではいつでも公太に理があるらしい。まあ、そうなんだけど。
「謝らないよ。今回は100パーセント私が悪いけど、絶対に謝らない」
公太に謝ることは、私の恋心に対する裏切りだ。
「……そう」由紀ちゃんは、仕方ないわね、って顔をした。
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