第34話 新学期episode1
「おはよー、育ちゃん」
学校の教室。先に来ていた由紀ちゃんが笑顔で挨拶してきた。
「おはよう、由紀ちゃん」
この状況で笑えるんだ……。
新学期になってからも、夏休み前の事件が尾を引いている。
公太が女子トイレで女の子を何人か殴って、由紀ちゃんに乱暴をしたとされる事件。
事件後欠席していた生徒の一人は退学した。後の3人は夏休み明けから登校している。
彼女達はあの事件の事を語らない。みんなは公太に脅されて怖がっているからだと思っているようだ。
公太を怖がっているのはそうなんだろうけど、公太に脅す理由がない。
彼女達は沈黙で保身を図っているだけだ。
彼女達が沈黙するせいで公太が由紀ちゃんに乱暴したという噂が否定されることはない。
腹が立つ……。
そしてみんなが乱暴されたとされる由紀ちゃんに気をつかって由紀ちゃんにその話題をふることはない。そのせいで由紀ちゃんはその噂を否定できない。
たとえ由紀ちゃんが積極的に否定したところで噂は消えないだろうけど。
脅されて言わされている、或いは嫌な過去を忘れたがっていると曲解されるだけだ。
誰もが真実よりもセンセーショナルなゴシップを信じたがる。
ホント、クダラナイ。
誰もが由紀ちゃんには腫れ物を触るような扱いをする。これって、無視? シカト?
いじめとどう違うの?
由紀ちゃんと仲の良かった友達もあまり絡んでこない。
美和と浩子を目で探す。
二人は美和の席で何か話をしていた。
ふと浩子がこっちを見る。私と目が合って、慌てて視線を外した。
「育ちゃん、怖い顔してるよ?」由紀が笑いながらからかってくる。
「うそ?」私はにこやかな笑顔を作る。
「……余計に怖いんだけど?」
こんな可愛い私のどこが怖いの?
教室の空気が変わる。
公太と鈴原が教室に入ってきたのだろう。いつもの事だ。
「おはよー、公太くん」由紀ちゃんはあっさりと公太に挨拶した。席が離れているから、大きな声で。
わざとやってるよね。
「おう」最近は公太も返事する。何かエラソー。
公太は吹っ切れた由紀を気に入っているように見える。
公太と目が合った。けどなにも言わない。
私も無言のまま。
鈴原が立ち止まって公太を見る。そして視線の先の私を見る。なにか言いたそうな顔をする。
公太が鈴原の背中に手を添えて席に促す。鈴原は私から視線を外して公太を見上げる。
公太は優しい微笑みを鈴原に返した。
「だから育ちゃん、怖いって」由紀がからかうように笑った。
昼休み。お弁当は由紀ちゃんと二人で食べた。
1学期は由紀ちゃんの友達も一緒だったけど、彼女達は彼女達だけでグループを作っている。
由紀ちゃんは孤立している。由紀ちゃんと一緒にいる私も前みたいにみんなに囲まれることはなくたなった。
これはこれで静かでいいんだけど……。
いや、良くない。
私は前みたいにちやほやされたい!
三馬鹿トリオも私にちょっかいを出してこなくなった。それはそれで別にいっか、と思っていたら、三馬鹿の一人、斉木が私たちのところにやってきた。
「飯島、ちょっといいか?」斉木は由紀ちゃんに遠慮がちに話しかける。
いつもは三人で固まっているのに一人で来た。
加藤と藤原は離れたところで仏頂面をしている。こっちを見ていないが意識しているのがわかる。
「何? 」由紀ちゃんは硬い表情で返事した。警戒してる?
「いや……」斉木は友好的でない由紀ちゃんの態度に言い淀んでいる。
「どうしたの? 斉木くん」私はにこやかに斉木に助け船を出した。由紀ちゃんが孤立したままっていうのは不本意だから。
「……何か……宮野に脅されてるの?」
「脅されてないよ」由紀ちゃんは不機嫌に返事する。そう言えば由紀ちゃんは前から三馬鹿とはあまり絡んでない。
いや、由紀ちゃん。もっと積極的に誤解を解きにいこうよ。
公太のために!
「最近、宮野と話してるじゃん……」
「友達になったから。何か変?」
「変だろ! あんなヤバいやつ。何か騙されてんじゃないのか?」
「うるさいな、関係ないでしょ」
吹っ切れた由紀ちゃんは怖いもの知らずだ。
斉木は言葉を失う。
斉木は斉木で由紀ちゃんの事を心配しているのだろうか? ……バカだけど。
「斉木くん、ここじゃ何だから、放課後時間ある?」斉木もこちら側に引き込む。
「え?」斉木は私に誘われて喜色を浮かべる。
まあ、私に誘われて舞い上がらない男はいないよね。
「加藤くん達も呼ぶ?」
「……いや、やめとく」三馬鹿と一括りにしていたけど、いつも一緒って訳ではないようだ。
鈴原の席を見る。
公太も鈴原も教室にいなかった。
「だから何で勝手に人連れてくるんだよ!」公太に怒鳴られた。
勝手に連れてこられた斉木は正座して下を向いている。明らかに怖がっている。顔が真っ青だ。
公太の家のリビング。
ローテーブルに私と斉木が対面して座っていた。
公太はキッチンでお茶の準備をしている。由紀ちゃんもちゃっかりと公太の手伝いをしている。
私の公太に家庭的な女の子アピール?
「育ちゃん、にらむぐらいなら手伝いしたら?」由紀ちゃんが面白そうに煽ってくる。
「……任せる」人には得手不得手ってものがあるのよ。
「コーヒーと紅茶、どっちが良い?」公太が訊いた。
「紅茶!」
「じゃあ、私も」由紀ちゃんが私に合わせる。公太の手間を減らすためか。
「斉木はどっちにする?」公太が斉木にも訊ねる。
「あ、……」斉木はビビりすぎだ。返事もできない。
「斉木くんも紅茶ね」代わりに私が決めてあげた。
「勝手に決めんな、育」公太に怒られた。
「……紅茶で……」借りてきた猫みたいな斉木が答えた。
由紀ちゃんがチョコレートケーキをテーブルに並べた。
公太が全員の分の紅茶を丁寧にティーカップに注ぐ。
「美味しい!」由紀ちゃんが幸せそうな声をあげた。「公太くんの手作り?」
「ああ」
「作り方教えて」
「今度、一緒に作る?」公太も嬉しそうだ。
……モヤる。
「育も一緒に作るか?」
「……試食だけしに来る」
公太が苦笑する。由紀ちゃんは面白そうに笑った。
「斉木くんも食べなよ」ずっと下を向いている斉木に声をかける。
「……ああ」彼は誰とも目を合わさずにフォークを手に取った。
「気の毒だろ」
「うーん、いけるかと思ったんだけどなー」
二人が帰った後の公太の家のリビング。
公太は公太ママと夕食の支度をしていた。
今日は私の両親の帰りが遅いので、宮野家で晩御飯を食べる事になっていた。
私はやることがないので公太パパとニュースを何となしに見ている。
「ああいう態度取られると俺だって傷つくって、前も言ったよな」
「だからごめんって」
斉木は最後まで借りてきた猫だった。
「何があったの?」公太パパが口を挟む。
「んーとね、公太が殴った男の子を連れてきたの」
「どうして?」
「マンガだと、殴り会った後に友情が芽生えるみたいな?」
「今までもそんな事にはならなかっただろ!」公太がキッチンから怒鳴ってくる。
「殴り合いじゃなくて、公太が一方的にボコっただけだったからかな?」
「そんな上手くは行かないよね」公太パパが呆れたように言った。
晩御飯は中華だった。
「青椒肉絲……」
「ピーマンも食えよ」
嫌がらせかな……。




