第29話 夏休みDAY4
育がバイトに入ってから忙しくなった。
元々夏休みは来店が多い。一見さんが増えるからだ。だから俺や育のように夏休みだけのバイトが成立する。
育がバイトに入ってから一見さんのリピート率が上がった。さらに口コミで来店が増えた。
俺の仕事が増えた……。
だから育には自分の影響力を自覚しろと言ったのに!
育みたいな美少女がメイドさんやってたら客が増えるのは当たり前だろ!
育はちゃかりとオーナーに自分の時給を上げるように要求して、そしてそれはあっさりと通った。
それだけではなく、売り上げが多かった日はスタッフ全員に大入り袋を出す事まで約束させた。忙しくなったのに時給が変わらないのは納得いかないからありがたい。
育は自分だけ時給が上がって、周りの反感を買うことを避けただけだろうけど。
育はあっという間に、スタッフの中心人物になった。一番年下で一番の新参者の短期バイトなのに。
これがカリスマって奴か……。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
開いた入り口のドアを見ると鈴原が立っていた。
性格通りのおとなし目のファッションだが、目立つ美少女だ。
彼女に笑いかける。
彼女も微笑み返す。
仕事中だから余計な会話をしない。
鈴原はメイドさんたちとは普通に会話できる。メイドさんたちは接客のプロだし、自分を傷つける事をしないとわかっているから。
育には鈴原とプライベートの会話をしないように言ってある。育も仕事とプライベートをちゃんと分けている。
そしてできるだけ鈴原と絡まないようにも言ってある。他のメイドさんたちも気を遣ってくれている。
「今日も一緒に帰るの?」育が訊いてくる。
「ああ」早番の日は俺の終わりがけに鈴原が来店して、一緒に店を出てそのままデートだ。
逆に遅番の日はデートの後に一緒に店に来てしばらくしてから鈴原は帰っていく。
「私も一緒に帰っていい?」
「断る。デートのジャマすんな」
「むー」可愛く頬を膨らませてもダメだ。可愛いんだけどな!
チャイムが鳴った。この店は電子音ではない卓上ベルを使っている。
今日も忙しい。他のメイドさんたちは動けない。「ただいま伺います、お嬢様」育しか空いていなかった。
呼んだのは鈴原だった。
育しか空いてないときを見越してベルを鳴らしたのか?
育と鈴原は何か話をしている。
鈴原は緊張した面持ちで。育はにこやかに。
育の笑顔は営業スマイルだから当てにならない。
育が戻ってきた。
「何の話をしていた?」
「水のおかわりよ」
それだけの時間じゃなかったよな?
「メイドさんと話したいだけで水のおかわりを頼むのは珍しくないよね?」
鈴原じゃなかったらな……。
私が鈴原に呼ばれて水のおかわりを注いだ二日後。今日は公太は遅番で私は早番だった。
「お疲れ」公太に声をかけてバックに戻る。
「お疲れ」公太も返事を返す。
私は着替えをして裏口から店を出たあと、入り口から店に入り直した。
「お帰りなさいませ、お嬢様。……育ちゃん?」
「ただいまー」同僚のメイドさんに笑いかける。
「どうしたの?」
「んー、待ち合わせ」
テーブル席に案内される。
公太が不審な目を向けてくる。
しばらく公太が淹れたコーヒーを飲む。
そして約束通りの時間に店のドアが開いた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。……え?」
鈴原だった。
公太が遅番のときは鈴原は出勤時に同伴する。この時間にやってくることはない。
他のメイドさんたちもその事は知っている。
メイドさんは振り返って公太を見る。
公太も驚いた顔をしている。
メイドさんは次に私を見た。
「待ち合わせです」鈴原が言った。
メイドさんに案内された鈴原が私と同じ席に着く。私の目の前に座った。
「アプリコットティーを」
鈴原が来るといつも公太が淹れている紅茶だ。
おかげで私はアプリコットティーが嫌いになった。
鈴原は緊張しているのか私と目を合わさない。
公太に鈴原に話しかけるなと言われていたが、話しかけてきたのは鈴原だ。この前、水のおかわりを頼まれたときに今日の約束をした。
私は公太の言いつけを破っていない。
「話って何?」
私の問いかけに鈴原はオドオドするだけで何も喋れない。
「私の話からしていいかしら?」
鈴原はビクッとして私を見る。顔が既に青ざめている。
「私の男を返して」
「……」鈴原は下を向く。そして「……はい……」と小さな声で呟いた。
しばらくの沈黙。結構長く黙っていた。
私の怒りが収まるまでの時間。
こんな覚悟で公太と付き合っていたの?
あんなに公太に大切にされていたのに?
公太が可哀想すぎる!
落ち着くためにコーヒーを飲む。
苦い……。
メイドさんが紅茶ポットを持って途方にくれていた。
「置いていって。後は自分で注ぐから」
メイドさんがポットを置いて立ち去る。
鈴原は紅茶に手を出さずにうつむいたまま。
公太は紅茶を淹れるのも得意だ。公太が紅茶を自分で注げないことを残念がっていた。メイドさんが注がなければメイド喫茶が成り立たないから仕方ないことだ。
注ぎかたでも味が変わる。
公太が言ったので、私が給仕するときは公太に教えてもらった注ぎかたをしている。公太の家で練習した。
公太が鈴原のために淹れた紅茶をダメにしたくないので、カップに紅茶を注ぐ。
熱い紅茶を鈴原にかけてやろうか?
そんな事をしたら公太が飛んでくるだろうな。
それはバウンサーとしてか、鈴原の彼氏としてか?
苦いコーヒーがなくなった。
鈴原は紅茶を一口も口にしていない。
「嘘よ?」私は作り笑いで鈴原に話しかけた。
「?」
「私と公太は幼馴染みだから仲が良いだけ。家族みたいなものだから気にしないで」優しく、にこやかに話す。落ち着いて、感情を出さないように。
「宮野くんもそう言ってました……」
「でしょ?」
しばらくはたわいもない会話をしてみる。
「このバイト、バイクを買うためなんだってね」
「……そうみたいですね」
「鈴原さんもバイクに興味あるの?」
「いえ……。バイクはこわいかなって……」
鈴原は美味しい時間を逸した紅茶を飲む。
「ねえ、鈴原さん。お友達になろ?」
「え?」
「そうしたら公太と三人で一緒に遊べるよね?」
「……はい……」
こんな提案受ける必要ないってわかってるよね?
「ねえ、鈴原さんの話って何だったの?」
「……、秋山さんが宮野くんの事を好きなら、私は身を引こうかと……」
「えー、そんな必要ないよ?」私は笑顔で答えた。
ぶん殴ってやりたい。公太のために……。
読んでくれてありがとうございます。




