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逃走


 司祭は豪奢な真っ青な原色のローブを着ていた。

 穏やかそうに細められた瞳に、タイチはいつも胡散臭さを感じていた。

 授業で龍神学を教えているときも、睨みをきかせていた。


「水陽タイチ。先ほど都市警邏の君の話を教会警邏の人間から窺ったよ。大変ご苦労だった。そして検討、調査の結果、ゼノアが都市に侵入していることがわかったのだ」


 ノアのことがばれた……? 


 タイチは驚きの表情を隠しきれていなかった。


「居住地のある一角でゼノアの力の痕跡が見つかった。間違いなく最近つけられたものだった。ゼノアがカルガにいるのだよ」

「どける?」


 隣のノアが末恐ろしくなるような発言。

 左手でノアを押さえ、やめろと忠告する。


 司祭は意味がわからなかったようで、視線がノアとタイチの顔を往復する。


「ゼノアと人とは相容れない。はやく君にも対処して欲しい。同じ化け物の力でな」


 皮肉も多分に含まれているだろうが、嘲りの色をタイチは多く感じ取った。


「化け物を二人も引き連れてて、あんたは良いのかよ」

「それは問題ない。教会警邏の擬士には龍油の洗礼を施している。彼らは君とは違う」


 祈ればカルガ様がゼノアから守ってくれる。洗礼を受ければ教会では擬士が受け入れられる。


 もう教会の教義は沢山だった。

 現在の状況を都合の良いように解釈する教会は本当に大っ嫌いだ。


 タイチは一つ気になったことがあり、司祭に訊ねることにした。


「……カルガの外には、別の世界があるって知ってるか」


 眉がぴくりと動き、一瞬表情が強ばった。タイチは司祭の動きを見逃さなかった。


「何を言ってるんだ、君は。カルガ様は私たちだけを下の泥とゼノアからお守りくださっているのだ。外に世界は、ない」


 教会の教義でもそう習った。そして日々を生きる習慣でも外に世界はないと朧気に悟っていた。

 しかし、手紙が指し示す通り、ノアが言う通り、外に世界はあるのだ。


 どうして、教会は外に世界があることを隠す? 知られたくないことがあるのか?


 都市長ですら、外に世界があるとは言っていなかった。

 都市は何か隠してるのか? 

 それに龍の地図がどうして狩りの禁止場所にあったのか。

 これは偶然か?


 司祭は長いローブを翻し、タイチに背を向ける。

 事件発見の功労者として直々に礼と進展を伝えに来てくれたのだろう。

 本人は嫌だろうが、それが都市の掟でもある。


「そうだ言い忘れていた。ゼノアは誰かに匿われている可能性がある。でないと、こんなに見つからないはずがないからな……例えば、君のような擬士にね」


 最後の言葉は探っているわけではない。

 ただ、同じ化け物同士が庇い合っていると言外に含ませているだけだ。

 単なる嫌み、皮肉。ノアがゼノアだとはばれていない。


「お嬢ちゃん、ゼノアって知ってる? どこかにいなかったかな?」


 ノアの視線に合わせるように司祭は腰を曲げ、温和な笑みを浮かべた。


「知ってる。ノアがゼノア。ここにいる」


 緩やかに流れていた場の空気が何かにせき止められるように固まった。

 ノアが嘘も吐かずに真実を語りやがった。


 何で嘘をつかない、このバカ!


 二人の擬士の見る目が険しくなり、腰の袋に手が伸びる。

 司祭の取り繕った笑顔の仮面が剥がれ、驚きで満ちている。


「お嬢ちゃん、それはどういう……」


 タイチはノアを片手で肩に抱え、右手でカルガの背を殴った。

 カルガの筺の命水が揺れ、水の揺れが衝撃となりカルガに痛みを与える。

 カルガが痛みに震え、龍地が脈動し司祭の立つ部分が急激に盛り上がった。

 三人は空高く吹き飛ばされた。


「逃げるぞ、ノア!」


 このままだと詰問され、いずれ身体を傷つけられゼノアかどうかがわかってしまう。


 ノアとの会話の前に呑んでいた擬薬が役に立った。相手の擬士より先んじて龍震をたたき込めた。

 

 タイチは足に凝水しそのまま足系の第三級技で跳ねるように龍地を蹴り、繭の外に飛び出た。

 タイチが龍震撃をぶち込んだ辺りでは騒ぎが広がっているようだった。だがそれも当然だった。

 教会の司祭様と二人の擬士をぶっ飛ばしたのだから。

 このままだとじきに追っ手が来てノアとタイチは捕まるだろう。


 軽く舌打ちしてから肩に抱き上げたノアに視線をやる。


「まったく、お前は何やってんだよ。どうして嘘をつかない」

「……嘘? ノア、よくわからない」


 おおかたゼノアが使っている念話には嘘という概念がないのだろう。

 思考をそのまま伝えることになるから、嘘の意味がない。


「これからは嘘も覚えろ」

「うん。わかった……これから、どうする? 行き止まり」


 目の前には大空が広がっているだけだ。逃げなければ捕まってしまう。


「逃げるんだよ。しっかり俺に抱きついとけよ」


 ノアはタイチの背中にしがみつき、首に両手を回す。

 タイチは縄もなしでカルガの側部の突起に指と足を掛け、ゆっくりと降りる。

 激しい風になぶられれば一気にタイチは下の泥に真っ逆さまだった。


 ノアに袋から擬薬を取り出させ、口に入れさせる。

 再び証紋が熱を持ち、ゼノアの汚染が額に広がる。

 タイチは舞うような大きな動きをせずに筺の命水を揺らした。

 舞なしの凝水は困難だったが何とかやり遂げ四肢に命水を凝水することができた。


 ノアの体温を背中越しに感じながら、カルガの側部から腹部にまで移動する。

 腹部の荒々しい龍皮にぶら下がりながら移動し、腹部の中央で一気に両腕に力を入れる。


 ノアと自分の身体を持ち上げ、腹部にある空洞に身体を投げ込む。

 額に汗がにじみ、息が荒くなる。緊張のせいもあるが、ゼノアの汚染が進んでいるせいもあるだろう。 


 変な雑音のようなものも脳内に響き渡り始めた。

 タイチは直ぐに袋からカルガの乾肉ほしにくを口にした。

 何とか中和が終わると、タイチは一息吐いた。


「ここ、カルガの龍皮のなか?」


 ノアはきょろきょろと視線を動かし、周りを見渡す。

 青い龍皮に囲まれた洞窟のようなものだった。


「昔掘って穴にしたんだ。腹の龍皮は厚いから身体の重さも耐えられる。すごいだろ?」

「すげぇ」

「しかもな……ここは絶対に見つからないところなんだよ! それでよ!……」


 言葉尻が急に萎む。


 一体自分は小さい子に何を自慢してるんだとばからしくなった。


 この洞穴は幼い頃のタイチの逃げ場所として作ったものだ。

 自慢できる要素なんてない。

 ここに来ると自分の境遇をひどく痛感するだけだ。


 冷静になって今の状況を確認してみると悲惨にもほどがある。

 人と姿格好は同じとは言えゼノアと一緒に行動をしている。

 そして、司祭とその取り巻きを蹴散らして逃げてきた。

 傍から見たらとんでもないことをしてるのだろう。


「あの人、言ってた。ゼノアと人とはわかり合えないって。ノアもそう思う。人の間でもその認識なら、どうしてタイチはノアを抱っこして逃げた?」


 ノアは大きく首を傾げる。

 

 もっともな疑問だった。

 普通なら擬士としてゼノアを倒すなり、教会に引き渡すのが当然なのだろう。

 ノアとは少しの間共に生活をしたが、それでも人とゼノアの間には信じられない程の溝がある。


「俺の母親が死んだ話はしたよな。俺の母親は……熱死病で死んだ」

「熱死病?」

「カルガで昔から流行ってる病みたいなもんだよ。ある日身体が突然熱くなって硬くなり、最後に死ぬんだ。人はたいてい寿命まで生きられない。熱死病にかかるからな。母親が空葬されるとき、母親が死ぬ直前に言った言葉を思い出したんだ。『本当なら、わたしはタイチに擬薬を渡したときにゼノアに殺されていたの。でも、もっと長く生きていられたのだから、すごい幸運よ』」


 泣きじゃくるタイチを少しでも安心させようとした言葉だったのだろう。

 その言葉は母親の温かみ以外にも別の意味を持っていた。


「……擬薬を呑んでいない人はゼノアには殺される。だけど、あの襲撃のとき、ゼノアは母親の頭に手を乗せただけだったんだ。まるで、必死に子供を守る母親を褒めるように」

「ゼノアは人のことを何とも思っていない」


 にべもなくノアはタイチの想いを切り捨てる。


「あぁ、そうかもな。だけど、あの光景を見て俺はゼノアとは殺し合うだけじゃなくて、もしかしたらわかり合えるんじゃないかって思ってたんだよ」


 ゼノアに対して周りの人ほど恐怖がないのはそのせいだろう。


「そんな想いがあったから、俺はノアが例えゼノアだったとしても協力しようって思ったんだ。それから、手紙のこともある」


 手紙の話には実は続きがある。


 『もし世界の全ての人があなたを認めなかったとしても、わたしはあなたの傍にいますよ』という言葉の下には、書いた文字を消したような跡があった。

 タイチは何とかその文字を読み取った。

 手紙には更にこう続いていた。

 『わたしも助けて欲しいです』。


 手紙でタイチを救ったリアラも実は何か問題を抱えていたのだ。

 だが、タイチを支えることを真っ先に考えて、タイチへの優しさで自分の気持ちを抑え込んでいた。

 だから、自分の想いを打ち消し、文字を消し去ったのだ。


 タイチに自分を心配させないために。


 たった一通の手紙から、タイチはリアラの性格の一端を垣間見た。

 いじらしいまでの優しさをタイチはしっかりと感じ取った。


 自分を救ってくれたリアラを助けたい。もう遙か昔の手紙だから、とっくにリアラの問題は解決しているかもしれない。

 だけど、まだ助けて欲しいと願っているのなら、自分が何とかしてあげたい。


「……とまぁ、そんな感じだよ。リアラに会いたいんだよ。わりぃかよ」

「意味、良くわからない。何が悪い?」


 もういい、とはずかしげにタイチは吐き捨てた。


「タイチ、もう一度聞く。もう帰って来れないかもしれない。それでも、外の世界に行く?」


 改めての問いに僅かばかりの逡巡。

 その逡巡はリアラへの想いによって塗り潰される。

 だが不安がないわけじゃない。

 外に行けば、全く先行きの見えない未来になる。

 心の内にあるしこりをじっと感じていると、ノアがぽつりと呟いた。


「世界は、とても小さなもの。でも、手を伸ばせば伸ばすほど、世界は広がっていく」


 タイチもかつて世界の外に手を伸ばしていたのを思い出した。

 世界の端っこで外に逃れたいと願っていた。どこかに飛んでいきたいとさえ思っていた。

 ノアの最後の一言でタイチの心の内は晴れ渡る大空へと変わった。

 ノアを真正面から見据えて、力強く答えた。


「俺は外に行きたい。リアラにも会いたい」


 タイチとノアはカルガが天生樹に休憩するまで待つことにした。

 暗い洞穴の中で龍肉を食べながら夜を八回過ごしたときだった。


 洞穴から顔を覗かせると、天に突き出るような大きな幹が段々と近づいてきていた。

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