外の世界へ
タイチとノアは家から繭の外に出た。
ひんやりと冷たい風が頬を掠めていく。
タイチはなびく髪を押さえながら、カルガに流れる命水を読み取る。
人間より遙かに大きな命水が筺の中に溜まっている。
カルガの転位がどこにあるかわからないが、タイチは適当に龍地を軽く殴った。
命水の揺れが大きい場所を探り出し、カルガに謝ってから少し強めに転位を突いた。
転位を突くことでカルガの命水が大きく動き、筺のなかをまるで波のように伝搬していく。
ノアが不思議そうに……タイチの行動を見つめていたので、タイチは言葉を発した。
「多分、その龍の地図はカルガに埋まってるんだ。ずっと昔から地図があるなら、カルガの皮膚が取り込んでる可能性がある。掘り出し物としてな」
狩りなどで龍地は掘り返されるが、ある一定以上の深さを掘ってはいけないという都市からの掟がある。カルガに痛みを与えないようにするための配慮からだった。
あまりにも深くに埋まっているなら、地図を掘り返すことはできない。
掟を破るかもしれないことに多少の抵抗はあったが、タイチは地図を探し出すことにした。
タイチは暫く様々な方向に命水を揺らした。
カルガの体内を流れる命水がもし異物である地図にぶつかれば、命水の波が乱れる。
そこから地図の場所がわかる。
しかし、人が狩るような浅い領域には何も異物は見つからなかった。
ここからは都市が禁じている深さ程度を調べる必要があった。
掟は破ってしまうが、タイチの興味は今は外の世界に向かっている。
何度か命水を揺らしていると、ある地点で命水の動きが乱れる地点があった。
タイチとノアは急いでその地点に向かった。その地点は周りの龍地とさして変わらない様相だった。
「ここ、埋まってる?」
「あぁ、だけどここ……狩り自体が禁止の場所だ。何か以前、龍肉を取り過ぎたとか何とかで掘るのが禁止になってるらしい」
「らしい?」
「俺も詳しいことは知らないんだよ。俺が生まれる前からの話なんだよ」
タイチは少しばかりの違和感を覚えた。
タイチが生まれる前からなら、今の段階で既に皮膚や龍肉は再生しているはずだった。
それが今現在もどうして掘ることが禁止になっているのだろう?
過度の狩りはカルガを痛めつけるが、この龍地は龍肉も十分に厚く、問題がないと思うのだが……。
タイチが思考を巡らせていると、ノアが裾を引っ張り、はやくはやくと合図した。
疑問を伴った思考は消え去り、そのままタイチは龍刃で龍地を掘り返した。
随分と年月による硬化が進んでおり、掘りづらかったが何とか龍肉まで到達する。
すると、筋肉と龍肉の間に一枚の紙切れが挟まるように埋もれていた。
血に浸っていた地図は確かに青い輝点を浮かべていた。
タイチは筋肉を傷つけないように地図を引っ張り出した。
「これだろ! 龍の地図って奴は!?」
ノアは龍の地図を片手で取り、まじまじと見つめていた。
ノアの表情が僅かに曇り、タイチもその原因に気付いた。
人目に付かないように二人はタイチの自宅へと戻った。
そして意識してはいなかったが、タイチは随分と小声に話した。
「龍の地図なんだよな?」
「これは龍の地図。だけど、破れてる。本来なら龍の数だけ点が浮かぶはず。カルガと同じ青い色の点しかここにはない」
龍の地図は確かに周りに引き裂かれたような跡があった。
「これだと使えないのか。連絡とかは?」
「使えない。事前の情報だと理由はわからないけど、破れている可能性も指摘されてる。本来は高度な技術の都市の所有物。ここにある時点で何らかの問題やトラブルがあったんだと思う」
破れた龍の地図では手紙の子との意思疎通ができない。消沈していると、
「破れた地図はつなぎ合わせられる。ノアは破れた地図を集めてつなぎ合わせる」
「おいおい、ちょっと待て。集めるってどこにあるんだよ」
「もうこの都市にはない。別の都市にある。ノアはそれを回収する。それが与えられた命令」
「回収しに行くって言うけど、どうやって別の都市に行くんだよ。ノアは今は飛べないんだろ。人になった今、この世界からは抜け出せないよ」
人はカルガに乗せてもらっているだけだ。
カルガは好き勝手飛んでいるし、今までの経験から別の龍とも交流を持っていない。
だから生きている人はカルガにしかいないと思っていたのだ。
世界はカルガで閉じている。
カルガに縛られている。
「一つだけ方法がある。天生樹に飛び移って別の龍に移動する」
「バカな! 確かにカルガは天生樹のネストで休憩する。だがそこにはゼノアも……」
言い始めてから気付いた。
カルガがネストで休んでいるときに人が天生樹に移動しなかったのは、ゼノアも同様に拠点をそこに構えていたからだ。
カルガの常識では天生樹に移ることは死に向かいに行くようなものだった。
だけどノアはゼノアだ。
「どれくらいの頻度で龍が天生樹で休憩するかは知らない。だけどカルガから移動して待っていれば、いずれは他の龍も休憩しに来るはず。タイチも移動できる。人と違って目と耳じゃなく、ゼノアは細胞でゼノアを判断してる。擬薬を呑まれればゼノアは人を判別できない。タイチが擬薬を沢山持ってくれば大丈夫。もし気付かれたら、ノアがどける。心配ない。翼がなくたって、世界を抜け出すことはできる」
ノアの最後の言葉がタイチの心をさらりと撫でた。
龍の地図は破れていて手紙の子……リアラと意思疎通することはできない。
だけど、他の龍の存在を知り、ノアがいる今、外に抜け出すことができる。
ずっと都市のなかで息苦しさを感じていた。
擬士の中でもサツキやゴウは見知らぬ都市民から見たら、普通の人間だ。
だから、普通の生活を送ることができる。
しかし、タイチは隠せない場所に証紋がある。
二人と同じように、都市民に紛れることは難しい。
サツキもタイチに構ってくれるが、周りの友人からやめるような忠告を受けている場面をタイチは以前に目撃してしまった。このままだとサツキ自身の立場もなくなるだろう。
できれば、サツキとは距離を置きたい。
擬士の中でもタイチは孤独だった。そういう考えを頭で抱えているうちに、自然と家も外縁部のもので、周りには誰もいない場所のものを借りていた。
自分の居場所がずっとなかった。今でもカルガの中にはタイチの居場所はない。
リアラに会いにいけるかもしれない。
今なら、外に飛び出すことができる。
「だけど、もう帰ってこれないかもしれない。龍がネストで休む周期は知らないけど、人の一生を超えることもある」
最近は頻繁にネストに休息を取りに行くが、タイチが十歳になる頃までは全くネストに行ったことはなかった。
カルガから例え飛び出し、別の都市に行ったとしても帰ろうとすると、非常に長い時間待つ必要が出てくる。
最悪ノアが指摘したようにタイチが死ぬまでの間、カルガが天生樹で休憩を取らないこともある。
そもそも外に行ったとしてもリアラのいる龍に乗ることができる可能性も低い。
カルガから飛び出すなら、相応の覚悟が必要になってくる。
「帰ってこれないかもしれない。それでも、タイチは外の世界に行ってみたい?」
扉がノックされ、ノアの問いは打ち消された。
扉を開けると教会の司祭と教会警邏の擬士が二人。
タイチとノアは扉を出て家の前で対峙した。