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ハードワークはいつの日も  作者: せうたろ
8/9

【2話】それぞれの死闘【々】

お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません。いやお待たせしました。ほんとに。

リアルで思いっきり傷心したり忙しかったりと、創作の世界顔負けのメンタルブレークなイベント盛りだくさんだったので、苦しみと共に年を越しました。

僕のことはさておき、ようやくそれぞれの死闘の決着が着くようですよ。

以上です。




隼人が職員室の扉を後ろ手で閉めた瞬間、それは起こった。

「チクチクチクチク舐め腐ったことしやがってよォボケがァ!覚悟しろやオラァ!!」

砕賀の声だ。まるで校内放送のように学内に響き渡っている。

「おいなんだなんだ!?アイツも来てたのか!?」

「みたいだな。相当気が立ってるなこりゃ。…いいか、絶対着いてくるなよ。今度こそ命が危ないかもしれない。いくら俺の存在は俺だけでも、お前の存在もそんなもんだ。お前らしく俺より地味に生きてな!」

廊下中にガラスが散らばっている。職員室を除き、1階の全ての教室の窓ガラスが等間隔に割れているようだ。隼人はそんなこともお構い無しに走り出した。

「おいおい……15歳でも夜でもねえだろぉ。」

安東は近くの掃除棚からほうきを取り出し、端の方へガラスを退け始めた。

「俺に出せる勇気…これくらいが1番絶妙かね。…死にたかねえもの。」




「ううっ…兄さん?あぁ…まだ具合悪い…泡吹かせるのは余計でしょ……?兄さん?」

稲田弟こと稲田辰信が目を覚ましたのは本が散らばりオレンジの陽の光が差し込む教室。氷が一部ドロドロにとろけて、その溶けだした水の冷たさが目を覚ます要因となったようだ。稲田の兄の姿はおろか、隼人の姿すらなかった。何をやったのかは知らないが、トイレのドアから出たのだろう。

スマホを取り出すと着信がいくつか入っていた。ソシャゲのスタミナ回復の通知とチャットアプリのRoutesの着信がいくつか。その中には兄からのものもあった。

『チャンスは与えた。目覚め次第全て終わらせろ。』

「…言われなくてもわかってるさ。僕にもできる。この能力は無敵なんだ…!」

自分のカバンから小さな箱をいくつか取り出した。中には何もないように見える。

「絶望するヤツの顔をもう一度見られるなんて…兄さんには感謝しなくちゃ…!」

すると突然、窓の割れるけたたましい音が響き渡る。まるでこの教室以外の窓が割れるような音。何かを悟ったかのように稲田は慌てふためいた。

「しまった!このままじゃ能力に勘づかれる!」

急いで近くの扉に触れる。鉄骨が飛び出した扉だ。ためしに少し半開きにすると、その先には自宅の自室が見える。


稲田辰信の能力は至ってシンプルだった。

その正体は、『開くものを別の開くものに繋ぐ』能力である。彼の触れた『開くもの』は彼の能力の管轄下に置かれ、繋ぎたいもののどちらか片方に一瞬でも触れればそれは『繋がる』。

それがドアであれば繋いだもう片方の空間に移動することができ、その空間に物が敷き詰められていたなら、それらはこちら側になだれ込む。鉄骨や氷がその原理を活かしたものだった。

しかし、開くものが途中で破壊されれば、もう片方の開くものも破壊されてしまう。現に2ー4の教室の窓が校舎の教室の窓全てを割った。例えそれが窓に繋いだ先が防弾ガラスの窓だとしても、鉄の扉だとしてもその一蓮托生は避けられない。繋ぐというのは運命を共にするということなのだろう。

そんなリスクがあるのにも関わらず、彼が遠方に赴き触った開くものの数はなんと幾千にもわたる。その中でも最も強力ないくつかを、床に置かれた本に繋げていたのだ。

最強の自己防衛の手段を床に張り巡らせるという圧倒的な能力への自信も、手の内がバレたかもしれないという元も子もない絶望感に苛まれていた。



「どうする!?…どうするんだ!?どこに繋ぐべきなんだ!?こんなとき兄さんなら…」

応急処置で扉を自室に繋ぎ、しばらく考えこむも答えは出てこない。そもそも何故ガラスが割れたのかすら原因も分からないのだから、ヤツが能力の全貌を把握しているか否かも定かではない。おそらく確証を得るため一つ一つの教室をもう一度見て回るだろう。

「…ならいっそのこと他の教室の『1つに』繋げば…!時間も稼げるし私の能力もいまいち釈然としないまま再度戦闘だ!」

稲田は己を奮い立たせるように周りの本の整理を始めた。

「これがこっちで…これが…丁度いい。もう氷はいらない。」

取り上げた本を開くと熱風が吹き荒れる。もう溶けゆく運命だった氷たちは液状と化し、床におびただしい濡れ跡を残した。とばっちりの氷結から開放された鉄骨がむなしく転がっている。

「…このままじゃ帰れない。…兄さんを見返せない。この聖域を守りたい!ヤツに勝ちたい!」


稲田辰信の人生の道の先にはいつも兄がいた。兄はなんでも出来た。勉学も、スポーツも、人を笑わせるユーモアすら持ち合わせていた。まさに天才だ。弟として兄を尊敬していた。そして恨んでいた。


弟故に兄と比べられることがよくあった。兄と違う自分を責めた。責められもした。何を頑張っても兄には追いつけない。自分を褒める人間はどこにもいない。…兄と自分自身をのぞいて。


子どものときに読んだマンガに、どこにでも繋がるドアがあった。あのドアのように、今いる場所より遠い、どこかに繋がるドアがあれば。全てを忘れて、誰かに比べられもせず生きられるのに。


そんな思いを胸に彼はいつもどこかの扉を見つめていた。扉を開くとそこは花園か、いやお菓子の国か。あの夏家族と行った海もいい。

どこかに逃げ出して、独りになりたい。


これは彼の願いである。兄に認められようとする彼の本心である。能力に目覚めた今現在、皮肉にもそれは叶ってはいないが、確かに彼の願いである。



稲田は扉や窓を順繰りに撫で、勢いで校内の色々な扉に繋いだ。

「これでいい。ヤツも迷うことなく来れるだろう。…さあ。来るなら来い!」

そして、その言葉を言い切るのを待ちかねていたかのように、その扉は開かれた。

「チクチクチクチク舐め腐ったことしやがってよォボケがァ!覚悟しろやオラァ!!」



「…さっ!砕賀ぁぁぁぁああああ!!!!??」

高校に入学して以来一度も解放していなかったバイオレンスを解放し、怒りのままに突撃した砕賀の前に立っていたのは、学生服に身を包んだもやし男だった。…いや、隼人もどちらかといえばもやしに属する体型なのだが、彼は品種が違った。きのことたけのこぐらい違う。

そんなもやしを目の前にして砕賀は更に怒りを爆発させた。

「お前今更他人のふりしたってどうにもならねえんだぞ…!その小細工も全部割ってやる。それになんだこの教室のザマは!ふざけているのかお前は!」



稲田もやし は状況を理解出来ていなかった。

適当に近くの教室の「1つに」繋いで、入って来たのは隼人でも誰でもない。体育館裏でよく見かけるヤンキー。砕賀だ。

『し……しまったぁあ!!窓を割ったのはこいつだったのか!?確かにこのヤンキーなら窓のひとつやふたつ割ってもおかしくはない!非能力者には手は出せない…このままじゃ隼人乱入で最悪の事態だ…!どうする?どうする!?』

「あ、あの…ぼ、ぼくいきなり窓割れたのが怖くて、近くの教室に入ったら…」

「嘘をつくのが下手だな最上。透明マントや紐に机、椅子の次は下手な小芝居か。呆れる。」

『話が通じない!?…しかし、 あの飄々とした男の名前が最上だとわかったのは収穫だったな…いやそんな場合じゃない!』

稲田の脳ははち切れんばかりのストレスを緩和するために、無闇矢鱈とポジティブになっている。そして砕賀の鋭い眼光に耐えきれず、稲田の口から出任せがオートマチックで始まった。


「…もしかして最上さんのことをご存知なんですか?いやあ私もあの人には随分困ってまして。この部屋をびしょ濡れにしたのも、この鉄骨を置いていったのもあの人の仕業なんで」

「やかましい。…果し合いの距離だ。」


今までの剥き出しの敵意はどこへ行ったのか。突然とって食われてしまいそうな殺気が消え去り、いつの間にか間合いが一度前に出れば相手とぶつかる所までになっていた。

『持ってる。』

稲田はそう感じた瞬間、片手に忍ばせたマンガを開いていた。


ぼふっ と何かが膨らむような音。それは破裂音にも聞き取れた。少し間をおいて砕賀の呻く声が聞こえた。

「…どうやら本気で私を最上と勘違いしていたようだけど…まさかあなたも能力者とはね。しかも近接型と来たか。」

ガラスと化して散り散りになった風船のような何かの一部が血と共に床に落ちる。

「今年受験のあなたならわかるでしょう。時事。とある日本の企業が、今年の1月に自社商品の大々的なリコールを行いました。…さて、一体それはどの企業でなんという商品でしょうか?」

「…R社のエアバッグ。」

飛び散った金属片が砕賀の至る所を傷つけている。中には大きめのものが生々しく胸に突き刺さっていた。

「ご名答!ただの一般的な輩と勘違いして怯えた甲斐がありましたよ。あなたの能力でエアバッグも問題なく作動してくれた。

…普通の人間ならただただ目の前に現れた車の内装に驚きながら、手を痛めるだけですから。…まぁ、素のあなたでも作動したかもしれませんね。恐ろしい。」

「…今度はよく喋るクズだな。確かにお前は最上じゃねえ。」

頭から赤い筋が2本、3本と垂れてくる。先程の戦闘も相まって砕賀の体はボロボロのはずだが、体のふらつきも、ケガを庇うような動きも見られない。

「さっきの画鋲、効いたぜ。机なんかよりずっと効く。」

満身創痍の砕賀の口から出た言葉は、彼の知る由もない事実だった。しかし稲田には、彼にとっては朦朧とした男の妄言にしか見えなかったのも事実だ。

「…でもよ。俺は約束してんだよ。アイツと。

…どんだけクズのヤツでも根は良いヤツなんだ。だから…絶対どんなことがあっても相手は殺さないってな。…性善説ってやつだな。」

砕賀の足にとんでもない力が加わるのがわかる。

「だからよォ…無理やりお前の善起こしてやるよ!殺さない程度にブン殴るッッ!!」

「なっ…!?」

「能力」が与えた生命力と馬鹿力。…?

稲田がそう頭でプロファイルしようが、到底どうにかなるものではなかった。

目の前の景色は集中線のような流星を発して砕賀に遠ざかった。後ろの棚にぶつかる音がデクレッシェンドに小さくなっていく。今にも無くなってしまいそうな意識に砕賀の声が問いかける。

「…どうだ?目は醒めたか?」




「ん…なんだあの机。」

2階に上がって何気なく振り向いた隼人が見たのは、同じような割れ方のガラスに添えられた物。壊れた机だった。

それはまるでそこらの教室中で割られたガラスの元凶のように倒れている。そして辺りには血のついた足跡。間違いなくここで何かがあったようだ。

「2ー1か。…一応見てくか。」

割れた窓から恐る恐る様子を見るが、特に変わった様子はない。

そして最大の警戒の下、扉を開けた。何も起こらないことを確認して中に入る。稲田の能力はかかっていなかったようだ。が…

床から突き出た手に握られたナイフが、その手を離れるまで、隼人はそのシュールな状況を理解出来ずにいた。

「はあ!?」


勝った。という感情と、は?という感情が襲撃者の心の内で渦巻いていた。砕賀が派手に窓を割ってバックレたその数分後。砕賀の怒声のしばらく後に現れたのは…あの男だった。

名前は知らない。かといって存在は知らないわけではない。ある日、屋上でこっそりエロ本を読んでいたら彼が突然現れた。

この『能力』のおかげで身を隠したおかげで恥はかかずに済んだ。彼は袋とじの部分をしばらくめくった後、急に本を鷲掴んで階下へ放り投げた。そして何事もなかったかのようにその場で横になり、眠りについた。そう、あの男だ。あの直後、オレは物凄い勢いでエロ本の救出に向かったが、遅かった。彼女はもう昨日降った雨で出来た水たまりに浸かっていた。…許せない。

その男が今目の前に突然現れた。扉が開いたらナイフを投げる。という決め打ちに、気づいた時には魂すらこもっていた。


しかしその刹那。激しいブロウでナイフは弾き返され、隼人の3本目の腕が何事もなかったかのように体へと収納されていく。

「おおぅ…ナイス…ハードリィ。」

襲撃者は安堵していた。が、同時に身の危険を案じていた。

ハードリィと呼ばれた腕が何者かはわからない。しかしそれは砕賀や自分のような能力を持った者であることを意味していた。

相手が砕賀でなければ自分も正体を明かしても問題はない。それに、能力者であれば話は早い。…体は自然に動いていた。溝から上半身を出し、正体をさらけ出す。

「ええっ!?稲田じゃない!?」

「予定とは違うが…お前のことオレは大嫌いなんだ。命かエロ本置いていきな!!」

そう言うと男は再び体を床に滑り込ませ、ブロック状に繋がれた線を素早く動き始める。片手に握ったナイフはまるでサメの背びれのように表出し、B級サメ映画のクライマックスシーンの用に暴れ狂っていた。

「ハハハハハ!…やべーって!エロ本ってなんだよ!笑い死ぬわマジで…で、どうすんだよそれで。」

隼人は緊張感のきの字もなく、笑っている。

「笑うな!つっ立ってるだけじゃ切り刻まれるだけだぜ!」

完全に目の前の光景をギャグと勘違いして1人ツボに入っていた隼人に、イルカのジャンプのように飛び出した男がナイフを振りかぶった。完全に油断していた隼人のカッターシャツに赤い筋が引かれる。傷は浅いが、隼人の笑いを抑えるには充分すぎたようだ。

「…見た目は面白いけど殺す気マンマンってか。」

再びナイフの背びれをたなびかせて様子を伺う男。そのスピードはギリギリ目で追えるくらいのもので、常人は目で追っているうちに体中を切り刻まれることだろう。しかし隼人にはもう2つの目があった。

「ハードリィ。目貸せ。」

隼人がそう言うとすぐに、おそらく世界の誰もが体験したことのない空間が現れた。


時は正常に進んでいるはずなのに、相手の動きが鮮明に、そしてゆっくり見える。ワイルドキャットが打ち出した超高速の弾丸でさえ。

まるで試合中にエンドルフィンが溢れ出したボクサーのような視点がハードリィに解除を命じない限り永遠に続く。詞音にまだ教えていない能力の1つ。ハードリィ個人の能力の譲渡だ。

こんなスペックを持ち合わせた怪物が肉体に同居しているのは至って不気味なものである。

目以外の部位にも様々な効果があるが、体への負担が大きいため乱用はできない。故に


「あーやっぱりこれ気持ち悪い。もう目痛いし。早く済ませるぞ。」

目の違和感を早々に終わらせるために隼人は周囲の床に手を置いた。四角い床に1つ1つ触れて部屋の真ん中に寄っていく。

そんな隼人を男は何度も切りつけようとするが、全てかわされる。

「クソっ!お前の能力はなにか知らんが!オレの動きを完全に理解しているのはオレ1人だけだ!この『溝に忍び込む能力』は確実にお前を追い詰める!」

未だにスピードを緩めない男を隼人は鼻で笑った。

「あのなぁ。この床ってのは何をするものだ?俺たちみたいなバカ学生が半分寝ながら勉強したりスマホ見ながら飯食ったりするための大切な地盤だ。その使い方を守らないならよぉ…」


怪我しても仕方ないって事だよな?


隼人が触れた床がガタガタと震えだす。

「なんだ?床が…知るか!全方位攻撃だ!」

再び飛び出してナイフを振るう男。しかしハードリィの目を持った隼人にはなんてこともなかった。男はもう余裕を失ったのか、ついにナイフを溝から出さなくなってしまった。

「く…!クソがァ!避けるな!避けるなァ!!」

何度も色んな角度から攻撃しようとするが全く当たらない。隼人はまるで後ろに目があるかのように反応し、避けるかいなすかを繰り返す。

「仕込みは終わった。次で一気に決めるぜ。」

「ハアッ…ハッ…ぐっ!次で決めるッ!」

冷静に宣言する隼人の声が、宙を舞い、乱れた呼吸混じりの男の叫びでかき消される。

「何言ってんだ。次はもうないぞ。」

何を言ってるんだコイツは。次の一撃は今までに見せなかった最大級の加速だ。そう男は心の中で薄ら笑いを浮かべ、完璧な角度で溝に入った。

はずだった。

体に強い衝撃。違和感。

失敗?否、あれは完璧な角度だった。なら何故?


状況を理解出来ずに痛みと不可解の最中を床の上でのたうち回る男の姿を、ハードリィの目ではなく隼人自身の目が、それを見つめていた。

「あーあ。怪我しても知らないって言ったろ?床は床なんだから…溝でスイスイ泳げる訳なかろうに。泳いでんのか走ってんのか這ってんのか知らないけどさ。」

「お前…何をした!?」

「床見りゃわかる。」

床に答えはあった。ない。溝がない。あったはずの溝がない。ホコリまみれで黒ずみ、存在感のあったあの溝がない。

「俺の能力の応用だ。床に『正しい床であれ』と念じた。…床はただ床であることを守っただけだ。少なくとも溝をすごいスピードで移動して飛び上がるなんて使い方するやつなんていないよなぁ。」

「クソっ…ふざけるな!」

「さっきから似たようなセリフしか吐いてないな。ボキャ貧か?その口黙らせてやる。」

隼人はサッカーボールを蹴るように男の腹部を狙った。が、男は足が腹にたどり着くかなり前に横に転がっていた。

「うわ…ダッサ。」

「…シャバいのはどっちだろうなぁ!?」

男がたどり着いた先は教室の校庭側の窓のない壁。勝ち誇ったような顔で立ち上がる。すると隼人は苦い顔をする。

「…うわぁマジか。まさか溝だったらどこでも行けるわけ?」

「そのまさかだ。」

男はそのまま吸い込まれるように姿を消した。


男の背後には『溝』ともとれる『亀裂』がそこにあった。天井の網目状の溝のあちこちから声が聞こえてくる。

「旧校舎こそオレの独壇場だ…お前が溝を塞ごうが!塞いだ分さらにそこに隙間が出来るように!お前のことを追い詰める!さあ本来のスピードを見せてやる!」

ハードリィの目を借りるまでもなかった。おそらくF1カーよりも速い。

「…こりゃお手上げか。」

呟いた隼人の頬に切り込みが入る。先程のように浅いが、まるでかまいたちのように男の出処がわからない。そして知らないうちに学生服上下が傷だらけになっていた。


「溝から溝へ!今度は無駄のない直線運動だ!瞬きしている間にお前の喉を搔き切ってやる!」

どうやら壁から壁へ飛び交う合間に攻撃をしてきているようだ。壁の亀裂を確認すれば軌道もわかるだろうが、元々ある壁の筋とひび割れが多すぎて話にならない。

「おいおい。俺は生きるぞバカ。」

再び床を撫でた隼人。今度は高く隆起し、筒状に隼人を守る。

「ちいッ!手が出せねェ…卑怯者!さっさと観念にしろ!」

「うるせぇよ。服どうすんだよこれ。親になんて言い訳すりゃいいんだ。…わかったよ。今から10秒後に、この壁のどれかを床に戻す。これでフェアってもんだろ。…最高速で来いよ。拒否権無し。1、2、3…」



隼人を包む壁は縦3横2のブロック床で構成されている。どっちみち突っ込むのも危険を伴う。しかし守りの手段を相手が得ている以上長期戦に持ち込まれるのはこちらの体力が持たない。ならば


…男の作戦は5秒後には決まっていた。


何もしない。先程窮地のところを救われた壁のヒビに埋まりアイツ人の腹の中を伺う。オレが何もしないあまり、能力を解除したそン時はアイツの喉元をズバっと。

…どうズバッと切るのかは大体2通りあるが、勝ちは決まったようなものだ。


「…8…9…10!」

ドンッ という音が鳴った途端、視界の真ん中を遮っていた木柱が消え去り、拳を握りしめる青年の姿がそこにあった。

「時間だぜ。」


ナメている。コイツはオレの能力をバカにしている。壁のうちの1つはおろか、全てを解除しやがった。疲れで乱れた呼吸はいつしか怒りに震え、乱れる呼吸に変わっていた。込み上げる感情に身を任せ飛び出す。確実にヤツの喉元を掻っ切る角度で。

「やれる。」

そう言ったオレの目に写ったのは、目を閉じたアイツだった。



『3組の葵ちゃんの胸ってでかいけど絶対パッド入れてるよなぁ。たゆんたゆんしないし。』

『なんだこのクーポン。半額にもなってないじゃん。』

『ママゾンで頼んだスマホケースまだ届かないんだけど。マジありえないわー』



「チッ……これ正直使うの嫌なんだよ。どうでもいい雑音も100倍マシで聞こえてくる。それに痛えし。」

自分の舌打ちが音波となり周囲に反響していく。

隼人は壁の中でハードリィの耳を借りていた。ハードリィの聴力は非常に高く、自らが発した音の反射を活かして、物や場所の位置を立体的に把握する超人的な技術、エコーロケーションが素で出来る。…ただしそれも持って10数秒しか持たない。理由は以下同様。

男の場所は特定できていた。しかしあえて全ての壁を解除した今、どこから攻めるかは彼の自由。その強力なスピードに対応出来る目と耳はもう数秒もすれば使えない。というか使いたくない。

目は奥がギリギリと痛み、耳は引きちぎれそうな鋭さの痛みが今もなお進行形で襲ってくる。間違いなく数秒も持たない。ハードリィの耳が解除されてからは尚更、自分の決断力と運命にかかっていた。

「さあこいよ…死なない程度にやってやるからよ。」


ハードリィの耳解除まで2秒の所で、男は壁を蹴った。

来る。


ハードリィの耳解除まで1秒。即座に舌打ちをして位置を更新する。そしてそれを確認する前に右手を強く前に突き出した。…動きは変わっていない。


…ハードリィの耳解除。激痛が幾分かはマシになる。

おかしい。…もう2秒は経った。

嫌な予感を察して目を開くとナイフの切っ先が目の前にあった。男が隼人のポーズを真似てにやけた顔で立っている。


「やっぱり決め打ちかよ。」

隼人は急いで飛び退いたが、ナイフの切っ先は隼人の頬を掠める。鮮血が飛び散り、赤のカーテンが顔を染め上げた。

「…くっ!」

「次で終わりだ!」

誇らしげにナイフを振り回し、高らかに宣言する男。何も持っていない隼人からすれば能力があったらなんとかなる相手のはずだが、生憎床を解除すれば相手の真価が発揮されてしまう。溝というものさえあればなんでもできる。そんな男の能力を封じ、慢心させた今、やれることは一つだけだ。

「いくぜハードリィ…練習通りやるだけだ!」

いよいよ2人の男が拳を交差させた。

「死ねやぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!」

「うらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!」


ナイフを突き出す男と拳を突き出す男。そのリーチの差は歴然。のはずだった。

「手ぇ伸びろォおおぉぉぉおおお!!!!」


男は隼人が願掛けか冗談で言っているのかと思考していた。はずだった。

視界を遮る隼人の拳が視界の隅からど真ん中に迫るのを、男の目は焦点すら合わせる暇もなかった。

「っしゃああ伸びたぁぁ!!」

男の体はあまりの衝撃に少し浮き上がり、その後重力に従って落ちた。

「お前の敗因は…自惚れもあるだろうが、『俺ら』の手が伸びないと思ったその固定観念だな。」

伸びた手の正体はハードリィワーキングであった。背中からハードリィが飛び出すように、隼人の手から腕を伸ばしたのだった。伸びた方の手がピースサインした後、出番を終えたことに満足したのか、体の中へと引っ込んでいった。

「…しばらく寝てな。」



男こと船井 雅文は、薄れていく意識の中で自分の不幸を呪っていた。


砕賀さんにやられたらそれはそれでよかった。それが何も関係ない野郎にやられてしまうなんて。悔しい。

少し砕賀さんをからかったら正体を明かして不良とは何かを思い出してもらうはずだった。…なんなら負けてしまっても後悔はなかった。中学の頃に見た砕賀さんの勇姿をもう一度、今度は間近で見たかった。

この能力は無力なオレに勇気と希望をくれた唯一の救いだった。卑怯な手段とはいえ相手に話し合いの機会や、何らかの復讐ができる。自分は裏に回ってもいい。何をどうしようが砕賀さんのような男にはなれない。だからオレは。オレは。

「さい…が……さん…」





「クソっ!クソぉぉっ!」

効かない。全くもって全ての攻撃が効かない。稲田の叫びはそんな砕賀の不敵な笑みを増幅させる。

「まだやるか?」

あらゆる手を尽くし、鉄骨や画鋲、果てには目潰しの粉塵。極力使いたくなかった手段を全て使い尽くし、残ったのは今や本来の用途でしか使えなくなった本たちとボロボロの砕賀だった。

「なんだよお前!まさか兄さんもやられたのか!?最上がお前を呼んだのか!?なんなんだ!!」

そう叫んだ稲田はその場に崩れ落ち、大粒の涙を流す。後ろ側の窓に手をかけ、開けようとしているが、鍵が掛かっていて開かない。

「こんなはずじゃ…こんなはずじゃあ…」

「バカかてめえ。ブラコンのお前に用はねえんだ。最上出せ。じゃねえと…」

砕賀は近くの本を取り上げて窓目掛けてぶん投げる。稲田はヒイィ!と慄き、両手で身を守る。窓は綺麗に砕けた。余韻もなく、そのまま砕賀は稲田の胸ぐらを掴んだ。

「お前も粉々にするぞ。」

「ヒイイイイィイィィイイィイイ!!!!やめて助けて!お願いします許してください!」


「…へえ。この変な状況もこれで納得だわ。

おい砕賀、もうその辺にしとけ。あとそいつは俺のだ。」

教室の窓の先に教室が広がっているのは妙な光景だ。そこには隼人が立っていた。さっき投げた本を片手に。そして隣には

「最上!なんでお前が…船井?船井なのか!?」

仲間の船井が倒れていた。しかも因縁の男の傍で。

「おっと、誤解するなよ?こいつ俺の事襲ってきたんだぜ?しかもそこらの溝に潜り込んでナイフ振り回す能力者ときた。…で、お前もお前でその稲田辰信1年生の被害者か?血まみれじゃんか。グロイわ。」

稲田のことを指で指す隼人。稲田もバツの悪そうな顔をしている。

ここで砕賀も事の顛末を理解したのか、仲間を案ずる鬼の表情が、冷徹な男の表情へと変わった。

「うう…よくもお前…えっ、あれ!?砕賀さん!?」

丁度よく目を覚ました船井。目を覚まさないほうが幸せだったかもしれない。


「…最上。交換だ。」

「了解。こっちもそのつもり。」

初めて出会って日も浅い2人だが、今だけは相手のやりたいことと自分のやるべき事が一致していた。

隼人が船井の体を丸太の如く両手で勢いよく持ち上げ、砕賀は掴んでいた稲田の胸ぐらを引きちぎる勢いで持ち直した。

「「行くぞ!!」オラァ!!」


2人はありえないスピードで互いの方向に人を投げた。船井と稲田の恐怖する顔が窓を境目に交差する。

「しばらく寝てろボケがァァァ!!!」

「カタギには手を出すなって言ったろうがァァァ!!!」

隼人はインド人を右に切るように左手を返し、アッパーをかまし、砕賀は投げた後に回転しつつ、ウリアッ上の要領で、肘で床に叩きつけた。

「………」


船井も稲田も、声を出すことはない。それぞれの部屋に刻まれた惨劇の跡は、2人が気を取り戻すのにかかる時間を容易に想起させた。どれだけ時間がたっただろうか。顔を真っ赤にさせた砕賀と、意外と涼しい顔をしている隼人の目と目があった。

「…お前の睡眠は永眠か。死ぬぞそいつ。」

「加減してこれだよ。多分死なねえ。…てかお前カタギって。ヤクザじゃないんだからさ。」



「…最上。」

「…何?」

「………決闘の件だが。」

「いやもう中止でしょこれ。疲れたわマジ。」

隼人は学ランのポケットから果たし状を取り出し、ビリビリに破いた。

「………俺はこいつが気がつくまでここにいる。用がないなら今すぐ帰れ。」

「…おう、帰るわ。…お前も早く帰れよ。」

窓のそばの扉を開くと廊下があった。つくづく奇妙な光景だ。最後にもう一度窓を覗き込んで手を振ったあと、隼人は外に出た。


廊下に出た隼人はさっきまで散らかっていたはずのガラス片が綺麗に片付いているのを見ると、マイクにわざとらしく口を近づけて話しかけた。

「安東!どうせ聞いてんだろ?1つ言っとく。バチバチに戦ってる最中にガラスの処理なんかしなくていい。」

『 バレてた?』

「当たり前だバカ。巻き込まれたらどうするんだ全く。………帰るぞ。玄関来い。」

『もういる。早く来い。』

「…おうよ。」

ありがとうございました。

船井くんの能力は隙間に潜むだけではなく、ものすごい勢いで移動できることに魅力がありますね。

溝さえあったら長距離もらくらくですね。溝さえあれば。

もうちょっとだけ続くんじゃよ。

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