新聞記事と七不思議
桜の気配は跡形もなく失せたが、穏やかな気候が続くとある春の日。高校入学1ヶ月と1週間にして、僕はピンチに陥っていた。原因は手に収まる、A4藁半紙に印刷された1枚のプリントである。
僕が先月入学した黎明総合高校は、一般的にはマンモス校と呼ばれるほど生徒数が多い。1学年に普通科だけで8クラスある…といえば想像しやすいだろうか。
普通科の他に、体育科、家政科、美術科があり、その規模の大きさに見合うだけの設備と面積、そして豊富な部活動が存在する。特に体育科があるだけのことはあって、運動部には有名なところが多い。
そんな中から僕が選んだのはなんとも地味な新聞部だ。所属人数、18人。そのうち何人が幽霊部員なのだろう。未だに半分も顔を知らない。決まった活動日はほとんどなし。熱心すぎるわけではないが、適当すぎるわけでもない。大抵の記事は善良で、誰も傷つけないが読んだらそこそこ面白い。そんな評価の校内新聞を1ヶ月に1回発行するのが主な活動である。地味だ。だがそこが良い。
正式な入部を決めたのが4月の終わりで、その翌週に部長である3年生の男子部員に呼び出されて受け取ったのが例プリントだ。
普通科校舎3階には、他学科が集まる校舎との間を繋ぐ渡り廊下があり、その周辺には様々な部の部室が密集している。部室通りという通称で呼ばれるらしいこの廊下の一角に、新聞部部室も構えられていた。
そこに集う、緊張気味の新入部員たちに手際よく配られた、学校ではよく目にする紙質があまりよくないそれにはこう書かれていた。「新入生お披露目号に掲載する記事について」。
6月号には、僕を含めた5人の新入生の書く原稿から選抜されたものがいくつか載るらしい。が、やっと校内で迷う回数が減ってきた程度の僕たちは、ありありと困惑の表情を浮かべている。
「まあ、そういう顔にもなるよね」
というのは苦笑する部長の言だ。いわく、「そんな大げさなものじゃないから、自分の興味あることとか発見とか、適当に文章にまとめてくれれば良いよ。いくらでも先輩を頼ってくれて構わないし」
というのも、6月号が新入生お披露目号になるのは新聞部の伝統のようなものであり、先輩たちがもれなく通った通過儀礼でもあるらしい。先輩に質問したり、校内で聞き込みをしたりする中で高校に馴染む、という意図もありそうだ。
「とりあえず締め切りは5月23日月曜日。今日からちょうど3週間後だね。その日の部活でどれを載せるか決めるから、それまでに仕上げること。詳しい規定はプリントに書いてあるから目を通しておいてね。23日までに決まった活動日はないけど、毎週月曜日は比較的部室に人がいるから、困ったら来ると良いよ」
そう言われてその日は解散となり、先輩も同級生も各々帰路へついたが、僕は新聞のバックナンバーを読むために部室にとどまった。今までの先輩たちの記事から、参考になりそうなものを探すためだ。
2年前の6月号には部長の記事もあった。「黎明総合高校、七不思議の歩きかた」…今時珍しいくらいに丁寧な喋り方で、柔和な印象の優しい部長にしては、少し意外な内容だ。好きなことを記事にしろって言ってたくらいだから、オカルト好きなんだな。
ジャーナリスト志望、という噂がある部長の記事は、きちんとした裏付けの入念な取材がうかがえる本格的な仕上がりだった。
何年分かさかのぼったところ、みごと掲載を果たした記事は「購買パン食べ比べ」「近くでおすすめの店」「先生のプロフィール紹介」など、当たり障りなく、しかし新入生にとってはリアルに役に立つものが多い印象を受けた。新入生の目線で書かれていて、文章もきちんと面白い。中には「校内おすすめさぼり場所」なる記事を書いている猛者もいたが、それもちゃんと面白かった上に、真面目な文体と不真面目な内容のギリギリを狙って書いた感じが伝わってきて、とても良かった。
一気に読み尽くし、触発された僕は新入部員らしくよくある感じのやる気に満ち溢れていて、テンションは簡単にマックスまで上がった。元来真面目な性格の僕は、やるからにはきちんとしたものを書き上げて、あわよくばそれが新聞に載ればいいなと考えていた。このモチベーションなら良いものが書けるだろう。そう軽く浮かれていた。
が、慣れないことはそう簡単にできるものではない。
考えがまとまらないまま、内容を考えては面白くない気がしてボツにして、テーマを決定してはボツにして、フラフラと特に意味のない徘徊をして時間を無駄にして、6月号以外の過去の新聞もひたすら読んで、を繰り返して負のスパイラルにはまっているうちに、気がつけば2週間弱が経っていた。その間に特に根拠のない自信は底をついたしなんか負の方向にハイだ。しかも今日は13日の金曜日(不吉)な上、土日が明ければ締め切りまであと1週間である。最悪だ。お終いだ。
今から極上のテーマを考えついたとして、それが内容をリサーチするのに時間がかかるようなものだったら意味がなくなってしまう。しかもスパイラル大回転虚無逃避行動中に他の新入部員に話を聞きに行ったら、なんと全員がテーマをもう決めていて、中にはすでに書き上げたものを先輩に見せに行ったやつまでいた。僕の焦りはピークに達した。
元来真面目な性格の僕は、追い詰められるのもとても早かった。
これはもう先輩の手を借りるしかない!と、遅すぎる判断をようやく下して、意を決して放課後の新聞部部室に駆け込んだのである。何度も読み返したせいで若干ボロボロなプリントを握りしめながら。
月曜日ではなかったため、不安はあったが幸いなことに中には部長がいて、本棚の整理をしていた。突然現れた、ほとんど肩で息をするような僕に少し驚きながらも、「真昼くん?どうしたの?」と問う部長の眼鏡の奥の瞳は、優しい。
それにつられるように、半泣きで情けない顔を上げた僕は、まるで身も蓋もない発言をした。
「記事って…何書けば良いんですか?」
「この前も言ったけど…ほんとになんでも良いんだよ、些細なことでさ」
そう言って、部長は半ば投げやりになった僕の質問を茶化したりせず、煮詰まった僕の考えの整理を手伝ってくれた。
「趣味は?」とか「担任は?」とか「どんな友達ができた?」とか、記事につながりそうな質問をいくつか投げかけてくれたが、解決の糸口にはならなかった。僕は、写真を撮るのが強いて言えば趣味だが、それは内容を決めてから役に立つことである。ある理由から放課後はまっすぐ家に帰るので、遊ぶほどの親しい友人もまだいない。他も似たり寄ったりで、面白みに欠ける回答になっていった。
その後も部長はテンポよく質問を続けてくれたが、そのスピードも次第に落ちていった。
「そういえば…部長が書いた初めての記事、読みました。オカルト好きなんですか?」
答えにつまり逆に質問をすると、部長はまた少し驚いた顔をした。顔に出やすい人なんだな。
「よく読んでるね…うーん、別に苦手じゃないんだけど、特別好きなわけでもないんだよね。
実を言うと、僕も君みたいにテーマ決めるの遅くてさ。焦って有名な新入生何人かへのインタビューをまとめようとしたんだけど、その中の1人にオカルトにやたら詳しいのがいて、初めて七不思議なんてものがあるのを知ったんだよね」
「ってことは、その人の話を聞いてテーマを変えたってことですか?」
締め切りギリギリでも内容の大幅な変更に踏み切るほど、魅力的な話であったなら、それはすごいことだと思った。
「そう。今時七不思議なんて、とは思ったけど、あいつは話が上手くて。気になって調べていったら7つきっちり揃って、不覚にも感動してさ。一晩で記事にしたんだよね」
「とても一晩で書き上げたとは思えない内容でしたけど、やっぱ調べるのには時間かかってますよね…僕はどうしたら…」
話が現実に戻ってきてしまって、また落ち込み出す僕に、部長は「じゃあ…僕から1つ、ネタでも提供しようかな」と微笑んだ。
「そんな…部長が温めてたネタの横取りなんてできないですよ!いつか書こうと思っていものじゃないんですか?」
手振りまでまじえて慌てだした僕に、その気は無いんだよね。と部長は答えた。というか、したくてもできないんだよねとも。
したくてもできない?それはどういう意味だろう。
「そのネタっていうのが、僕の初めての記事の延長にあるんだけど。あれを書いた後も気になって、七不思議について緩く調べ続けてたら、結構古い情報まで見つかってね。
七不思議は昔からあったみたいなんだけど、その時々によって内容はかなり違っていて、時期によっては6つしかなかったこともあれば、8つあったこともあるみたいなんだ。結構適当だったみたい。噂なんてそんなものなんだろうけど。
肝心の内容も適当で、何年も連続で同じ話が七不思議に入ってることがほとんど無いんだよ。2、3年周期で内容が完全に入れ替わっているんだ」
それこそ、不思議な話だ…と思った。いくら語り手が適当に伝えていったものだとしても、そんなに流動的になるだろうか。誰かが人為的にそうしている、と考える方がいっそ自然だ。
…でも誰が、どうやって?
「音楽室の動く肖像画、誰もいない体育館から響く笑い声、宿直の先生が見た幽霊に、トイレの花子さん…内容はよく聞くようなのばかりでありきたりだけど、入れ替わりが激しいから数だけはは異常なほど出てきた。本当に、異常なくらい。
…けどね、七不思議の中には、1つだけ、様子の違う話があるんだ。
その話は他の噂とは真逆に…いついかなる時にも、どんな時代のどんな時期にも、必ず、七不思議の中に残りつづてていて、しかもいつ見ても一字一句内容が違わないんだ。そして必ず七不思議の4番目に上がっている。
…いったい、何十年もどうやってその形を保ち続けてるんだろうね?」
背中に冷たい汗が流れたのがわかる。
部長が語る不思議な話に、僕は言葉にできない不気味なものを感じた。部長はその異常さを強調したが、なるほど、異常だ。得体の知れないものは怖い。方法も分からなければ意図も不明で、でも確実に誰かいる。ずっとずっと昔から、学校の七不思議を背後から操作し続けている、誰かが。
いっそ悪意でも感じればわかりやすいが、生徒を驚かせ続けようなんてことでは無いのは、少なくとも明らかである。執着や妄執とでも言うのだろうか。狂気じみている。
僕は何度も読み返した部長の記事の記憶を必死に呼び起こした。そこには、2年前の七不思議の詳細な内容も当然載っていた。その4番目、そう、それは確か、こんなものではなかったか。
僕は思わず唾を飲み込んでから、再度問いかけた。
「『旧校舎の404番の下駄箱に心からのねがいごとを書いたおてがみを入れると、時々かなうよ』…でしたっけ、4番目。
まさか、今もあるんですか?」
部長は笑みを絶やさないまま、平然と答えた。
「うん。もちろん。4番目にちゃんと残ってるよ。通称幽霊ポストとしてね。
この話だけでも十分記事にはなりそうなんだけどね。ぜひ試したいと思って僕も何度も入れてはみてるんだ。でも1度も叶う兆しなくて。他にも、噂を聞いて誰かが試したって話は聞くけど、叶ったって話は聞かないし、いくら探しても成功したって話は出てこないんだ。なのに話だけはいつまでも残ってる。実績もないのにね。…なんとなく、返事も裏付けもなしに自分で記事にする気は起きなかったんだよ。
だからさ、真昼くんも、試してみない?で、返事があってもなくても、記事にはなるんじゃないかな?」