文化祭の出し物が決まらない件
少しづつ賑やかになるグラウンドにつられてふと三階教室からの景色に目を向けると、涼しそうな色をしたツバメがのびやかに町へと向かって飛んで行った。もう七月だというのにずいぶんと間抜けなツバメもいたものだ。けれど、不思議なことにその光景は私に穏やかな日常のことを思い出させた。それと、これから起こるであろう面倒ごとへの憂いも。
私はありていに言って存在が可愛い事以外、特筆すべき点のない人間であると自覚している。とある田舎町の、当たり障りのない住宅街に決して広々としてはいないが温かみのある一軒家を構える、町工場の一社員の父親と保育士の母親に育てられた、ただ可愛いだけのごく平凡な女の子。それが私。
そんな私が、いや、そんな可愛い私だからだろう、自分に与えられた、私にとって果てしなく大変な役目に不安を隠しきれないのは。
高校生にとって一番のイベントとは何かと問えば、大方の人間はこう答えるに違いない。『それはずばり体育祭に文化祭——つまり学校祭である』と。今、私の通う高校に嵐にも似た興奮が渦巻いていた。そう、学校祭である。普段勉強という抑圧により鬱憤をたまらせていた思春期真っただ中な学生諸君がここぞとばかりに暴れまわる一年に一度の祭典、否災天。浮かれポンチなハッピー野郎の熱に浮かされ普段は平穏な毎日を生きる小市民たちも、ほんの少しの出来心で一生物の黒歴史を作ってしまう恐るべき戦争。思えば私の不運もそこに理由があるのかもしれない。
それは三日前、クラスで行われた初の文化祭係決めでの出来事。
『じゃあ一番重要な役職、実行委員長やってくれる人いませんか?』
クラス委員長の一言は、その場にいる全員を凍り付かせるに足る力がこもっていた。
文化祭実行委員、それは一見名誉のある文化祭の全てを手中に収めるような、いわば文化祭の王のごとく役職。しかしその実態は雑事、雑用、雑仕事、なんでもござれの便利屋と化している。学校祭を素直に楽しみたい人は勿論、普通なら誰もやりたがらないような仕事だ。
私のクラスも例外ではなく、誰一人として立候補しない近郊の状態が続いていた。と、その時。
『ミホ、こう言うの向いてそうだと思うな』
どこからともなく聞こえた他薦、否、贄の選出。契機だ。慌てて声のした方を見るも、残念ながらその特定にまでは至らない。
そしてこうなると、面倒ごとはその『ミホ』さんにお鉢が回ってくるわけで。で、ミホさんとは、このクラスでは唯一のミホ、西方美穂である私の事で。
『…………あ、西方さん……』
教卓で指揮をとるクラス委員長と目が合い、私は悟ってしまった。
『…………ああ、私やるよ』
逃げられぬ、と。
そして今日、放課後、私は、同じクラスの生徒何名かと共に机を囲んでいた。私たちは文化祭実行委員として、文化祭でやる出し物を決めなければならないからだ。憂鬱、ひどく憂鬱である。なにせ、このメンツは……。
私は実行委員長として、全員が席に着くのを確かめると静かに息を吐いた。
「それじゃあ、今から話し合いを始めます」
チラホラと乾いた拍手が飛んだ。そう言うのいらない。
「……とりあえず、出来れば今日中に片付けたいから、みんな意見があればどんどん出して行ってね」
全員の目を確認するように見やる。意思確認、もとい集中力をあげて貰うための仕草。出来るだけの事をしようという私の覚悟の表れである。
さて、みんなの手前片付けるなどと言ったが、しかし私は今日中に話し合いがまとまるなんてこれっぽっちも考えていなかった。なんせ、ここに集められたのは奇人、変人、変態のオンパレード。なかなかにケイオスな我がクラスの中でも特に癖のある人たちばかりだからだ。
……正直、委員長になってなかったら、関わることのなかった部類の人でもある。ハッピー野郎という事だ。
目に涙を溜めながらルーズリーフを一枚出してペンを手に取ると、それを確認したからか一人の男の子がスッと手を挙げた。
「中林くん、なにかな?」
彼は中林くん。成績優秀で学級委員を務めてる秀才。普段は寡黙であまり人と喋ってるのを見たことがないけれど、そのクールな出で立ちは今日集まったメンバーの中で唯一、どこかまともな気がする。
「……ディスカッションを始める前に、西方、一つクエスチョンいいかな?」
四角フレームの眼鏡を指先で軽く上げてカナ言葉混じりの確認をした中林くんに少し戸惑いながら、遠慮なくどうぞ、と私は言った。
「すまない。じゃあ、俺から一つだけ。これはこの後のディスカッションにもベリー関わるインポータンシングスなんだが…………、西方」
優しげな声で、私が呼ばれた。私は先生から直接指示を受けている。なので、システムについて訊くには確かに私で正解だ。けれど、別段、言い忘れている事に心当たりはないのだが。とりあえず返事をしよう。
「はい、なんでしょう」
「ユーのバストは何カップある?」
言葉を失った。
早速、意味不明である。
こいつも又、頭がアレな人だったのか。
いくら私が可愛過ぎるからって、それは我慢してほしい。
私の胸と文化祭にどう言う因果関係があるというのか。
いや、待てそれは早計ではないか。そうだとも、もしかしたら私の聞き間違いかも知れないじゃないか、きっとそうに違いない。もう一度訊き直さねばならないだろう。
「申し訳ありません、いま、なんと?」
「ミス西方のバストは、ハウカップなんだ?」
「バカなのか貴様」
「ユーのソーキュートなおっぱいはハウマッチビッグなんだ?」
「やはり、とんでもないバカなのか貴様」
なんてこった、期待するまでもなく頭のネジが著しく外れてるじゃないか!
いや、待て我慢だ。わかってた事じゃないか、ここにいるやつはバカばっかりだ。こんな些細な事で腹を立ててちゃ話し合いが進まない。
「コホン、さ、バカはほっといて話し合いを進めましょう」
「ストップ西方! マイクエスチョンに答え——」
「シャラップ」
「うぇぐぅっ!!」
これ以上喋られると蕁麻疹が止まらなさそうだったのでとりあえず殴った。壁にバカが一人めり込んだ気がしたが、うん、きっと気のせいだろう。あんな奴、始めからいなかったのだ。
「じゃあ早速話し合いを始めよっか!」
「……アレをスルーするのか」ボソボソ
「……とんでもないな」ボソボソ
「……ある意味大物かも」ボソボソ
「誰かいませんかー?」
「はい! はいオレ!!」
ゴミ林に変わって元気よく手を挙げたのは少し小柄な体が特徴の鈴木くん。クソ林とは打って変わって勉強が苦手な子だ。そのかわり元気がいっぱいで、クラスのムードメーカー的存在となっている。
「なら、鈴木くん」
「オレはやっぱ定番がいいと思うんだ!」
「定番? お祭りの?」
「そう! お祭り、縁日の定番! 確かうちって飲食物の販売もオッケーだったでしょ!?」
最近は禁止になってる学校もあるらしいが、我が校では飲食物の販売を制限するルールは特になかった気がする。
「だから、アレをやったらいいんじゃないかなって思って!!」
「アレ、ですか?」
「そう! 祭りに定番のアレ! あの食べ物!」
「んー……、心当たりは焼きそば、かき氷、たこ焼き辺りでしょうか?」
「違うって、もっと定番のアレだよアレ!!」
身振り手振りを交えながら懸命に伝えようとする鈴木くん。その様子は小動物じみててかわいいが、定番のアレとはどれのことだろう。たこ焼きとかでは無いとすると、フランクフルト、わたあめ? わたあめは砂糖で手がギトギトしそうだなー、なんて。
「で、アレとはいったい何ですか?」
「ケバブ!!」
「え…………」
「…………!!」
いやそんな嬉しそうな目されても。無理じゃん。普通に考えてケバブとか無理じゃん。てか南米じゃん。あなたのいう祭りって南米の地域じゃん。
「他は何かありませんか?」
「無視した!!」ボソボソ
「なかった事にして、ついでに鈴木もいなかった事にされたよ!!」ボソボソ
「ついでに言うとケバブって中東の料理だよ!!」ボソボソ
「あ、あの、私、あの……」
「あら、高橋さん」
控えめに出された声と所在無さげに挙げられた手の先には、途轍もなく暗めの声の主、高橋さんの姿があった。
お腹のあたりまで乱雑に伸びたトリートメントしてなさそうな黒髪。何をしてたのか充血した目。乾燥した土色の肌。その姿は失礼ながら幽霊を彷彿とさせる。
「高橋さん、なにかあります?」
「え、えっと、その、私は、あ、あの、個人的に、なんだけど……」
「なんでも良いですよ。なんせ、まだ何にも出てないんですから」
「ケバブ……」ボソボソ
「ケバブ……」ボソボソ
「ケバブ……」ボソボソ
「お、お、お、お化け屋敷、とか、い、良いんじゃないかな!……って、思ったりなかったり……」
「お化け屋敷ですかー」
確かに良いかもしれない。お化け屋敷といえば、学校祭の顔とも言える出し物だし、集客率も高まりそうだし。
「でも、いかんせんアイデアが思い浮かびませんねー」
お化け屋敷はいいと思うのだが、アイデア勝負の一面もあり大変そうだと顔をしかめた。すると、高橋さんは嬉々として自分の鞄を漁り始め、
「そ、それなら、実は私、考えてきてるの」
「え、ホントですか!?」
「ええ、ここに、企画書も。今日に備えて、準備してたの……」
えらい量があるレポート用紙を取り出した。受け取るとなるほど、少し育った子猫ぐらいの重さがある。表紙には【文化祭企画書・お化け屋敷】と書かれていた。
「……いま、読んでも?」
高橋さんは黙って頷く。私はとりあえず読む事にした。
【文化祭企画書・お化け屋敷】
タイトル 絶叫!! 迫り来る吸血ミイラとデング機関の恐怖!
内容 かつてこの地にはタタラ神と呼ばれる大地の主がおったそうな。そこは不死の里と呼ばれ、死者が蘇る不思議な村だと噂されていた。そんな魔の森こと亡霊谷は現在、ある機関によって科学技術の研究場と化して——
予想予算 二〇方円位
ツッコミが追いつかねぇよ!!
設定が詰まりすぎて軽く休日のディズニ○ランドだよ。
まずタイトルどうなってんだよ。
ドラキュラなのかミイラなのか統一して欲しいし何より機関の名前!!
なんで代々木公園あたりの蚊が媒介する病気みたくなってんだよ!
っていうか舞台!
里だと思ったら村だし、森のような谷だし!
っていうか呼び名多すぎるだろ! ゲームのラスボスか!
タタラ伸どこ行ったんだよ!!
ひとクラスの予算二万円だわバカ!!!
……え、ちょっと待って。
予想予算 二〇方円位
二〇『方』円!!!!
「…………ど、どう、かな?」
ボツです。
とは、流石に面と向かって言えないので、とりあえずにこやかに笑ってごまかした。私の可愛さに驚いた高橋さんは少し戸惑った様子で、微笑み返してくれた。可愛いって、こういう時に便利だ。
「ひとつ、ぼくも案が」
人も食えなさそうな大人しい顔の子が今度は手を挙げた。彼は山田くん。私以上に当たり障りのない事が特徴の少年である。
「あの、展示とか良いんじゃないかな」
「展示、ですか?」
「そう展示。それだったら費用もそんなにかからないし、ハードルも低そうだよ」
なるほど妙案なり。それなら用意も片付けも楽チンで済むではないか。個人的にすごく推したい。
「なぁ山田、それって、なんの展示?」
「え鈴木くん、うーん」
頑張れ山田くん! この案の是非は君にかかってる!
山田くんはしばらく逡巡した後、えらく落ち着いた様子で一言。
「川に生えてる、草、とか」
君に期待した私がバカだった。
「オレ、ケバブとかいいと思うんだけど!」
「あんたもうそれいいでしょ!!」
「あの、私の企画書は…………」
と、その時。
「俺は、レディーの、スリーサイずぅぇ!!」
教室後方で何か気色の悪い汚物が動いた気がした。怖かったのでとりあえず机を投げたが上手く殺せただろうか。
「拙者からもいいでふか?」
やけに汗をかいた様子の太めの一般男性——じゃなかった、太めの学生がかけてた丸メガネをキラリと光らせた。彼はデブ山モブ男。とかいう名前だったと思う。
「デュフ、名前の覚え方適当でござるwww 拙者の扱いゴキブリ並で竹www」
「いいからサッサと言ってください雑草」
「オゥフwww 応えるwww 拙者喫茶店とかアリ寄りのアリじゃねとかwww 特に可愛い萌えたん女子がケモ耳メイドなんてしてくれたらドプフォwww」
「死になさい」
「容赦なさすぎワロタwww」
しかし、喫茶店というのは存外いいのではないだろうか。喫茶店といえばお化け屋敷と並んで文化祭の花。客寄せホイホイ待った無し。しかも私という最強無敵の超絶美少女もいる。これは、珍しく良案なのでは?
「自分のこと美少女って……」ボソボソ
「あの子ナルシス度に難ありだから……」ボソボソ
「この集まりの長に選ばれるだけあるよね……」ボソボソ
「そうと決まれば早速詳細を決めないと!」
出し物は仮に喫茶店としておこう。さてまずは何を売るかだが。
「なにか、売りたいものはあります?」
「あ、あれ? 私の、き、企画書は…………」
トン(肩に手を置かれる音)
フルフル(静かにかぶりを振る音)
「そ、そ、そんな……」
「誰かいませんか?」
「はいはい! 俺ケバブがいい!!」
「ケバブ以外で」
「やっぱり、オムライスとか良いんじゃないかな」
「山田くん、確かに良いですね! 流石ミスター凡人代表!」
「褒めてないよね、それ絶対褒めてないよね!?」
オムライスっと。これは幸先の良いスタートだ。
「他には?」
「やはりこのシーズン、かき氷はパーフェクトニードだとぉぅぃ!!」
「誰か、何かないですか!?」
手を挙げたのは、今まで静観を決め込んでいた最後の砦、野球部補欠、守川くんだ。
その丸太のような腕、壁にも似た身長、何より鋭い目つきに反して万年補欠という詐欺じみた男である。
「ワシは、やはり常夏と言えばやはりかき氷など良いと思うのじゃが」
「か、かき氷! その手がありましたね!」
「幸いにも、ワシの実家は時代遅れの氷屋じゃ仕入れは比較的簡単じゃろ」
「なんて無駄設定! 素晴らしい案です!」
私はサラサラっとルーズリーフにメモしていく。そこら辺に入らないレポート用紙が何故かあるので、紙には困らない。
「ドゥフ、衣装なら拙者の姉上がメイド服数着持ってたでござるwww それ丸ごと貰うンゴwww」
「やけに手際がいいですね! 採用!」
「あの、わ、私、家に、白装束ですけど、結構持ってるので、お、お役に立てれば」
「高橋さん!!」
モジモジと何か別のことを言いたげな高橋さんの提案はとても素晴らしいものだった。なぜ家に大量に白装束があるのかは措いといて、喜んでその提案受けることにしよう。
素晴らしい、全てが噛み合い始めている。私は今日まとまるはずがないと思ってたのに、なんだか今日だけで終わりそうなペースだ。
しかし、同時に私はどこか引っ掛かりを覚えていた。何かが足りない。何かあと一つが、どうにも。
と、その時だった。
「待て!! ユー達は大事な事をフォゲッてる!!」
ごみ虫に水を差されたのは。
「なんなのよケシカス以下。あなた間が悪いんですけど」
「そんな事をセイしたって、ゼイフォゲッてるサムシングは、どうしてもマイマウスからテルしないといけませんから」
カス虫は、酷い罵倒にも涼しい顔でグイと前に進み出て引こうとしない。中林だか外林だか墓荒らしだか知らないが、なにかよっぽど重大な事らしい。私たちは渋々聞く体制になった。それを見て、ファッキン林は口を開いた。
「ゼイのプロジェクト、ベリーナイスです。バット、オンリーワンミステイクしてます。」
「ミス? どこが」
「……アクセントです」
雷に打たれた気がした。
そうか、気がつかなかった。そんな単純な事だったんだ。
「ユーたちのコーヒーハウス、グッドです。ハウエバー」
「私たちのは、代わり映えしない。ほかの有象無象と変わらない」
「なら! 変えてあげればオーケー!」
「何かひとつ変化球を入れてやる事で!」
「ギャップがラージのインパクトになります!」
「でも、祭りから離れない方がいい!」
「むしろ、フェスティバルならではのもの!」
「変化球で!」
「アブノーマルで!」
「祭りならではで!」
「インプレッションに残って!」
「かつ食べ物で!」
「食べ応えのハードな!」
「「もの!!」」
「だからオレ言ってるじゃん! ケバブだって!!」
こうして私たちは【絶品! 迫り来るメイドと学祭期間の恐怖!】と題した、喫茶店をやる事になった。
みんなで夜遅くまで推敲して作り上げた企画書。帰ってきたそれにはデカデカと【再考】の判子が押されていた。