秘密
秘密
翌朝、シャナスは目覚まし時計ではなくリアの声で起こされた。
「…きて、起きて、シャナス。ねえ、起きて」
リアは彼の身体を揺すった。
「……ん、…う、ううん…」
シャナスは目を瞑ったまま寝返りを打った。
「もう、目覚めが悪いのねぇ。おーい、起きろ、フィオナが呼んでるぞぉ!」
リアは彼の耳に口を近づけて言った。
「えっ!? ええっ! フィオナだって!!」
シャナスは飛び起きると部屋の中を見回した。
「おはよ、シャナス! 目は覚めた?」
彼のすぐ目の前でリアがニコニコして訊ねた。
「あれ…フィオナは…?」
シャナスはまだ呆けた目をしながら言った。
「いないわよ。さあ、起きて、ご飯よ。今日から一緒に学校に行くのよ!」
リアはそう言うと、部屋を出て行こうとした。
「…なあ、何でお前がフィオナの名前を知っているんだ?」
「…そうねぇ、シャナスが寝言で呼んでたかしらねぇ…」
リアはお道化た調子で答えた。
「…寝言…」
シャナスは彼女が部屋を出て行くのを見つめ、その後ろ姿をボーっとして見送った。
そして彼らは朝食を済ますと、一緒に並んで学校へと歩いて行った。
「どうやら、シャナスも納得してくれたみたいね。まるで本当の兄妹みたい」
カレンは彼らを見送りながら呟いた。
シャナスはリアと学校へ向かいながら考えていた。彼は昨夜母から言われたことを思い出していた。
――カレンは夕食の間、事情を話すと言ったにも拘らず、そんな素振りを全く見せなかった。シャナスが質問すると、彼女は上手くそれを逸らかして答えようとはしなかった。彼は母がリアの前では話し難いのかもしれないと察して食事中に質問するのを控えた。カレンはリアが食事が済ませると、部屋に彼女を案内しに席を立った。しばらく経って母は戻って来ると元の席に座り、いつになく神妙な口調で彼に話し始めた。
「シャナス、これからあなたに少し難しい話をするわ。この話は本当はするべきじゃないと思ったけど、リアのことをあなたに納得してもらうためには必要だって考えたの。あなたも、もう十二歳だし大人の世界のことも少しは分かり始める歳よ。だから私の話を聞いて少しでも納得してくれたら、リアをあなたの妹として受け入れてやって欲しいの」
シャナスは母の顔が少し強張っているので少し怖くなった。
「分かったよ、母さん。話してよ」
「ありがとう。これから話すことをよく覚えておきなさい。この話はあなたたちの世代には極力秘密にされてきたことよ。
リアはね、戦争の犠牲となったある女性の体内から取り出された受精卵から誕生した娘なの。受精卵はその後、ずっとアルフ研究所で冷凍保管されていたらしいの。でも、そのままにはして置けないということで、シボラ管理委員会からの要請で研究所は人工子宮で誕生させることにした。そして生まれてから、戦災遺児施設で七年間育てられていたらしいわ」
カレンはそこで話を一旦切った。
「それが、どうして家に来ることになったんだ?」
シャナスは当然の疑問を口にした。
「地球のことをあなたがどれくらい知っているのか、私には分からないけど、地球はね昔は楽園だったの。今は銀河暦、つまりGC45年だけど、かつては西暦という暦法が使用されていたの。西暦は2174年で終わり、銀河暦に切り替えられた。その頃の地球は『限界問題』と呼ばれる人類存続の危機問題を抱えていた。簡単に言うと、地球の状態をそのまま放置すると、人類は存続できない恐れがあった。
それから人類を他の生存可能な惑星に移住させる計画が進められた。そこで地球に最も近い金星と火星がその候補地となったの。でも、どっちの惑星も『テラフォーミング』、つまり惑星を地球化しなければ人類が住める星ではなかった。結局、人類が選んだのがこの火星だった。火星は地球からの距離は遠いけど、地球化するには容易だと判断されたの。そのために多くの国々、公共機関、そして民間企業が動き始めた。そして到頭そのお蔭でこの星は何とか人類が住めるようになるまで整備された」
シャナスは母がこんなに改まって話すのは初めてだと思った。彼女の語る内容は彼が知っていることもあったが、初耳なことが大部分だった。
「母さん、地球が楽園だったって言ったけど、今の地球はそうじゃないの?」
「今の地球がどうなっているかを知る術はないわ。あの謎のシールドの所為でね。私もこの星で生まれて地球に行ったこともないから。だけど一つだけ言えることは、地球は私たちシボラ人を決して受け入れてはくれないってことよ」
母の表情はいつになく苦渋に満ちたものに彼には思えた。そんな彼女を見たのは初めてだった。
「どうしてそんなことが言えるの?」
「それはね、あなたも知ってる通り、このシボラは火星最初のコロニーよ。でもね、地球の指導者たちはテラフォーミングが不十分な状態であることを隠して植民を急いで行ったの。それは火星で新しい鉱物、『ブリオングロード』が発見され、地球の汚染を除去する可能性が出てきたためよ。
そこで人体を過酷な環境に適応させるため『アルフ細胞』、つまり人工生命体を作り出すために使用された人工細胞を、入植者やまだ地球に残っていた入植が予定されていた人々に投与したの。それが人体にどんな影響を齎すか、十分に解明されていないにも拘らずにね。投与された人々は自分たちがモルモットになっているとは知らなかった。そのためにその副作用で、私たちの親の世代は多くの犠牲を出すことになった。だから身体に『アルフ細胞』が適合した人々だけしか生き残ることができなかった。そして植民人口は50%以下に激減してしまった。いい、よく覚えておきなさい。七万七千人もいた植民者が三万七千人にまで減ってしまったのよ。
それにも拘らず、地球側は『ブリオングロード』を採掘するための労働力を確保するため、このシボラを強制収容所のように扱って採掘量を予定通りに強要した。人手も足りない、まともな設備もない、十分な機器も揃っていない、そして食料さえ不足していたにも拘らずにね。多くの人々がその過酷な労働のために倒れていった。私たちの親の世代で生き残った僅かな者たちは到頭、地球側と戦うことを決意した。その戦いは長期に及んだ。私が物心ついた時には、既にここは戦場だった。私たちの親たちは多くの犠牲を払いながらも、地球に屈服することはなかった。負ければ再び地獄のような日々が訪れることが分かっていたから。
私もあなたの年齢の頃には既に戦っていたわ。私たちは負けるよりも戦って滅ぶことを選んだの。そんな状況の中で、私はあなたのお父さんと出会ったの。彼はとても勇敢だった。私たちが挫けそうだった時、彼は味方を鼓舞して希望のために戦えと言った。その言葉に誰もが勇気を取り戻し、戦い続けることができた。私は次第に彼に惹かれていって、遂には彼と結ばれたの。
だけどある時、私たちの部隊は敵に追い詰められてしまった。彼は私たちを逃がすために単身で囮となった。私たちは彼のお蔭で生き残れたけど、彼は戻って来なかった。彼がいなくなって、私も仲間たちも絶望に陥った。そして、いよいよ核攻撃が行わるという噂が出始めていたの。地球側は手に負えなくなって、シボラ人を滅ぼすことにしたのよ。
しかし奇跡が起きた。核ミサイルがこの星に放たれた時、火星は謎のシールドに覆われた。そのお蔭でこの星は守られたの。核ミサイルを防いだシールドはこの星全体を覆っていた。それからこの星は地球と断絶されて、互いに行き来することも交信することもできなくなった。
その後、私はあなたを妊娠していることを知った。私は彼との間に授かったあなたを何よりの歓びとして必死に育てた。それからこのシボラは漸く平和の裡に復興と発展への道を歩むことができるようになった。新たなコロニーをいくつも建設して自給自足することも可能になっていった。
そんなことがあって、私はあの戦争で犠牲になった人たちのため、親を失った子供たちを引き取りたいと考えたの。そして今日、やっと私たちに適合する性格の子供がいるって知らせが届いたという訳なの。私も申請してからあまりにも時間が経っていたから驚いたけど、リアを見てすぐに了承したの。一目見た時、私にはまるで自分が生んだ子のように感じられたのよ」
母カレンが彼にこんなに長い話をしたのは初めてだった。
「母さん、僕…知らなかった。そんなことがあったなんて。僕の父さんのことも全然知らなかった。僕、リアを本当の妹って思うようにするよ。この星はまだまだこれからなんだ。それ位は俺にも分かっている。僕らシボラ人がこの星を守るには地球に勝つ力が必要なんだよね。だったら、もっと人を増やして、もっと強くならなくちゃならないんだ!」
シャナスは両手に拳を作って、母から聞いたことを胸に刻み込んだ――
「おーい、シャナスぅ、どこに行くつもり?」
リアがシャナスを呼んでいた。
「あ、あれ?」
シャナスは歩きながら昨日のことを思い出していて、校門を通り過ぎてしまっていることに気づかなかった。
「シャナス、ずっと黙ったままなんだもん。深刻そうな顔してさ。話し掛けるなオーラが凄かったぞ」
リアは剥れた表情で言った。
「おい、リア、ちゃんとお兄ちゃんって呼べ! 僕を呼び捨てにするな!」
シャナスはキッパリと言った。
「分かったわ、シャナス!」
リアはニコニコして返事した。
「コラァ、また呼び捨てにしたな!」
シャナスが叱ろうとすると、彼女は既に校門の中へと駆け出していた。
「お、おい、僕の話を聞け! 僕はお前の兄だぞ!」
シャナスは彼女の後を追い駆けた。
「知ーらない! シャナスはシャナスだよ!」
リアは彼の方を振り返って立ち止まると舌を出した。




