暗黒物質
暗黒物質
ラルフ総督は臨時委員会を開き、調査団の最高責任者、シャナスの心理検査を担当したカウンセラー、調査団行方不明事件の現場調査の責任者を務める警察の捜査本部長、そしてシボラ宇宙局の局長を召喚してシャナスが遭遇したという謎の生物の調査報告の説明を行わせた。
「シャナス少尉の説明によると遭遇した生物の大きさは全高六m位で全幅は二m程だったということです。これはその生物の残骸から計測された推測値とも一致します」
調査団の最高責任者は説明した。
「それで、その残骸は今はどうなっていますか?」
ラルフが訊ねた。
「基礎調査を終えた後、クラン財閥の生物化学研究所に運ばれ、現在も調査中です」
「他に分かったことはありますか?」
「生物の身体は全身が白色系の物質で覆われ炭素が70%を占め、残りの30%は『ブリオングロード』で構成されていました。内臓らしき物も、脳のような神経中枢らしい物も見当たりませんでした。つまり、この物体は生物のような有機物ではなく無機物ということになります」
「だが、少尉の話ではそれは動いていたということだが、無機物が動くということがあり得るのですか?」
「いいえ、無機物が何らかの意志を持って動くということは生物学的にはあり得ません。シャナス少尉の証言がどういうことなのかは今のところは全く不明です。今後の調査で分かることがあるかもしれませんが、今言えることは残された残骸が動いていたと証明できるものは何もありません」
「では、少尉が嘘を吐いているということですか?」
「それは…私には分かりません。ただ、少尉が嘘を吐いているようには私には思えませんでした」
調査団の最高責任者が答弁を終えると、シャナスの心理検査を担当したカウンセラーが言葉を継いだ。
「私たちは少尉を嘘発見器に掛けて彼の言動の真偽を科学的に分析する試みをしてみましが、その結果は白です。彼は真実を言っていると判断されます」
「そうですか。では少尉が同行していたキャラバンのメンバーが、全員紅い鉱物と化して消滅したというのはどのように考えますか?」
ラルフは今度は現場調査の責任者である警察の捜査本部長に訊ねた。
「それは全く不明です。そんな事実が起こり得るということさえ、常識では考えられませんし、それを証明し得るような物的証拠もありませんでした。ただ調査結果ではこれまで調査団が行方不明になった状況と現場の状況は、一致しているということしか言えません」
「ウーム…それで他に分かったことは何かありますか?」
総督は召喚した四人の顔を見回した。すると、まだ発言していなかった宇宙局の局長が立ち上がった。
「本来はこんなことを言うのは適切ではないと思ったのですが、これまでの話を聞いていて私の見解は正しいかもしれないと思えてきました」
局長は説明を始めた。
「ほう。それはどんなことですか?」
「我々は現在も火星を覆っているシールドについての解明を進めています。様々な見解がある中で私が注目している見解が一つだけあります。それはシールド内部――つまり現在我々がいるこの空間で起こった変化に注目して組み立てられた推論です。その推論とはこの火星が実は次元転移しているのではないかというものです。つまり、シールド内部が三次元から切り離されてしまったのではないかという見解です」
局長は自身ありげに説明した。
「だが火星の周囲には特に変化が見られないのではないですか?」
ラルフはその見解に興味を示し始めた。
「少し専門的な話になりますが、我々の住む宇宙――つまり時空は四次元的に歪んでいます。しかし四次元に生物がいたとしても、我々には認識できません。時空というのは高次元に行くに従って、低次元を支配する構造になっています。従って四次元からは三次元を自由に見ることも何らかの作用を及ぼすことができます。もし、この火星がより高次元に移行しているとしても、我々の周囲の状況は何の変化もないように見えます。
しかしシールド内部が次元転移を起こしていたとしたら、シールドの外にいる者たちからはシールド内部は見えなくなっているということになります。なぜなら、三次元に縛られている人間には高次元のものを認識することができないからです。
そして、もしその少尉の言っていた生物が本当に動いていたとしたら、それは高次元に存在している未知の生命が、低次元移行した存在の仕方なのではないかと思われます。
それから、最近になって我々の研究で新発見がなされました。それは宇宙に遍在する未知の物質であるダークマター、つまり暗黒物質の検出に成功したのです。それが検出できるようになったことからも、シールド内に閉じ込められたこの火星が高次元に移行している可能性が高いと思われます」
宇宙局の局長が説明を終えると、議場は騒然となった。誰もが驚きを隠せなかった。
「もしそうだとすれば、今地球からはこの火星は見えなくなっている、そういうことなのですか?」
ラルフは思いもしなかった見解に衝撃を受けていた。
「はい。その可能性は高いと思われます。シールドはこの火星の障壁の役割を果たしているだけではなく、三次元と高次元の境界の役割を果たし、地球からはシールドだけしか見えなくなっているか、若しくはシールドさえ見えずにこの火星のある場所は、ただの空っぽの空間のように見えているのではないかと思われます」
「それがもし本当ならこれからも我々には、まだ未知の現象が起こる可能性もあるということですか?」
「はい。もし高次元の生物が我々を狙っているといるとすれば、今こうしている間も我々の傍にいて監視しているかもしれせん。我々の常識を超えた現象がいつどこで起こっても不思議ではない状況ということになります」
宇宙局の局長が説明を一通り終えると、委員たちが騒ついたまま閉会した。
「一体、我々はどこにいて、どうなってしまうのだ?」
ラルフ総督は総督府の執務室の窓から火星の空を見上げた。




