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シボラの雪  作者: 新条満留
第二章 雪降る星
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人工生命体

人工生命体


 アナムの父ラルフ総督は総督府の執務室で、彼の妻であり第一秘書でもあるセリーナと一緒に、シャナスの母カレンと来客用のテーブルを挟んで座り、彼女からある報告を受けるところだった。カレンは『クラン財閥化学工業遺伝子研究所』の主任兼医局長を務めている。

 「『アルフ細胞研究所』には入植者全員の体細胞が、保管されていることはご存知のことと思います。実はこの度、ご子息であるアナム君の体細胞がサンプリング調査の対象として選ばれました。そして、その結果がこれまでの分析結果とは異なるものだったため、私の所に『アルフ研究所』から要請があり、アナム君の身体の精密検査を行いました。その結果、ある事実が判明しましたので、今日はその報告のためにお邪魔しました」

 カレンはそう言うと、バッグから資料を取り出してテーブルの上に置いた。

 「どうやら、あまり良くないことのようですな……」

 ラルフは彼女の表情をうかがいながら言った。

 「…ええ……大変言いにくいのですが…実はアナム君の身体の『アルフ細胞』は一般のそれとは違う特殊な細胞であることが判明しました。今までに分かっことは、その細胞は途中で細胞が変質、或いは破壊されてできたものではなく、最初からそういう細胞として製造されたものだと分かったのです」

 カレンは両手の指を絡めて腿の上に乗せると、落ち着かなそうに動かした。

 「それはどういうことですか?」

 ラルフは探るような目つきで彼女を見つめた。

 「通常『アルフ細胞』は自然細胞への書き換え率が70%に達すると活動を停止し、自然細胞と共存するとされてきました。それはそれ以上の書き換えを行えば、理論上では人間としての生体を破壊してしまうことになるからです」

 「アナムの細胞は違うとおっしゃるのですか?」

 ラルフは上半身を少し前傾させて彼女の話に聞き入った。

 「ええ、アナム君の身体の『アルフ細胞』は書き換え率が70%に達してからも活動を停止せず、さらに書き換えが進行しているということが分かったのです」

 「それでアナムはどうなるんでしょうか?」

 黙って話を聞いていたセリーナがたまらずに質問をした。

 「現在、アナム君の『アルフ細胞』は書き換え率が90%を超えています。申し上げ難いのですが、このまま書き換えが進行した場合、彼の身体は『アルフ細胞』が100%占めることになり、『人工生命体』に生まれ変わります」

 カレンはテーブルの資料を手に持ってデータを確認しながら言った。

 「何てことなの……ううっ……どうして…こんなことに…」

 セリーナは大粒の涙を流し始め、ポケットからハンカチを取り出して涙を拭き取った。

 「つまり、あなたはアナムは人間ではなくなる…そう言うのですか!?」

 ラルフは苦渋の表情を浮かべ、言葉を発している内に声が次第に大きくなっていった。

 「『人工生命体』になったとしても、恐らく表面的にはお分かりにはならないでしょう。今のところですが、その細胞にそのような変貌をもたらすような染色体は見つかっておりません。しかしながら少なくとも生物学的には人間ではなくなってしまう、ということになります」

 「どうしてそんなことになるんだ!?」

 ラルフは握り締めた拳をテーブルの上で力強く打ち付けた。

 「あなた、止めて! カレンが悪い訳じゃないのよ!」

 セリーナは夫を制止した。

 「…クッゥ……ああ、分かっている…す、すまない、カレン主任…つい、取り乱してしまって…」

 総督はそう言うと、きつく目を閉じて彼女に頭を下げた。

 「いいえ、ラルフ総督、お気になさらずに。心中お察し致します。ただ話はまだこれで終わりではないのです」

 カレンは表情を更に強張こわばらせた。

 「……まだ、これ以上に何かあると…?」

 ラルフは怯えて警戒するような目つきになった。セリーナも涙を拭く手を止め、身体を強張らせた。

 「ご存知の通り『アルフ細胞』は世代を経て受け継がれていきます。アナム君がその『ホルダー』であるということは、あなた方お二人のどちらかが、或いはどちらもかもしれませんがその特殊な細胞の『ホルダー』であるということになります。そして実は、その細胞の『ホルダー』は、他にも沢山いるのではないかと危惧されています。それはこれからの調査を待つ他ありませんが、特にMBパイロット候補生の子どもたち、及びその親たちはその可能性が高いと思われます」

 カレンは説明を終えると手に持っていた資料をテーブルに置いた。

 「……他にもいるとすれば、彼らも……。その細胞の書き換えを止める方法はないのですか?」

 ラルフは少し冷静になり理性的に考え始めた。

 「今、その細胞がどのようなものなのか、やっと研究が始まったばかりです。書き換えを止める方法が見つかるまでには、まだ時間が掛かると思われます。

 地球の本社のデータベースとアクセスできれば、そんな細胞を開発した経緯や目的が何だったのか、どれ位の入植者にその細胞が投与されたのかが判明すると思いますが、火星は謎のシールドに覆われているため、それも叶いません。

 今のところ、私たちにできることは一刻も早いその細胞の解明と書き換えを止める方法を見つけ出すことだけです」

 「一体、あなたはその細胞の『ホルダー』はどれ位いると思われますか?」

 ラルフは普段の冷静さを取り戻していた。

 「分かりません。これは飽くまで私の推測ですが…MBパイロット候補生たちは、ほぼ間違いなくその細胞の『ホルダー』ではないかと思われます。私の息子シャナスも含めて……」

 カレンは自然と語尾が弱くなってしまったのを自覚した。

 「それでもし『人工生命体』となった場合、どんなことになると予想されますか?」

 ラルフは一番気になっている質問を投げ掛けた。

 「それは全く分かりません。このようなことは前例もなくその細胞自体が一体何のために作られたのかさえ分かっていませんから。私もまさか…シャナスも…うっ……と、とにかく、まだこうした事実が分かったばかりです。全てはこれからです」

 カレンは途中で言葉を詰まらせた。彼女の目は少し赤みを帯びていた。

 「やっぱり私たちはモルモットだったんだ! どこまで私たちを苦しめれば気が済むんだ! 地球人の奴らめ!」

 ラルフは怒りに打ち震えていた。

 「ラルフ総督、まだ絶望的と決まった訳ではありません! その細胞が悪いものだと決まった訳でもありません。私たちシボラ人は、まだ生きているんです! 生きている以上、それだけで希望はあります! 私たちも可能な限りその実体の解明を急ぎます。但しこの事はここだけの話にして下さい。もし公表すれば、混乱を招くだけです。もちろん、アナム君にもです」

 カレンは力強い口調で忠告した。

 「そうだな。今は大切な時期だ。ようやくシボラ人の力だけで生きられるようになったばかりだ。それをき乱すようなことは避けなければならない」

 ラルフがそう言うと、カレンは立ち上がった。彼らは別れの挨拶を交わし、カレンは部屋を出て行った。

 セリーナは項垂うなだれて嗚咽おえつを漏らしていた。

 「どうして私たちシボラ人だけがこんな目に合わなくてはいけないの? 私たちを滅ぼそうと、いろんなことが次々と…」

 ラルフは妻の肩を抱き寄せると彼女の背中を軽く撫でた。

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