二話には二羽鶏は出てこない
ーなんだよこれ、ガチな願い事じゃねえか。しかもよりによってゆかりさんだなんて。
光一は手紙の入っていた封筒をまじまじと見た。
そこには住所が書いてある。
ゆかりさんの住所が分かったという喜びが、不安をわずかだが和らげた。
そして気が付く。
ー住所が書いてあるということは、お金を返しに行けるということだ。
お金を返して謝ろう。
お母さんの病気が何なのかは分からない。
でも神頼みするほどの病気だ。
当たり前に治るものではないだろう。
だましたと分かれば、ゆかりさんに嫌われるだろう。
それ以上にがっかりさせるだろう。
それでも行かなければ、謝らなければ。
ゆかりさんの家はここから遠くない。
ゆかりさんはきっと歩いてきたのだろう。
今日は土曜日だ、学校はない。
今すぐにでも謝りに行こう。
光一は、竹箒を放り投げると、一目散にゆかりの家に向かった。
境内を出るとすぐに住宅街が広がっている。
車が辛うじてすれちがうことができる程度の道路に、味気ないサイディングの家並みが続いている。
ここ十年内に建てられた家がほとんどで、ちょっとした新興住宅地なのである。
近所の人達が散歩がてらに参拝に訪れるかも、という期待があったものの、それは叶わぬ幻想だった。
比較的若い世帯が多く、薄暗い無人の神社など、近寄ってはいけない廃屋のような扱いだったからだ。
そんな住宅街の四つ角に彼女はいた。
いたというか帰路の途中だった。
「ゆ、ゆかりさん、ちょっと待って。」
息を切らしながら精一杯の声をあげた。
ゆかりは驚き振り返ると、益々目を丸くさせていた。
光一はその表情から気づいてしまった、『ゆかりさん』なんて下の名前で呼んだとこがない。それどころか名字で呼んだこともあるかどうか。
『ゆかりさん』なんて光一の脳内会話でしかないのだ。
そればかりか、下手をすると光一の名前も覚えてもらっていないかもしれない。
「光一くん、だよね。」
ゆかりは、おそるおそる呼びかけた。
良かった、名前を覚えてもらえていた。そればかりか下の名前で呼んでもらえた。
光一は安堵の表情を浮かべ、それを見たゆかりも同様に安堵の表情を浮かべた。
「その封筒って・・・」
ゆかりが指差した先には、光一が握りしめた封筒があった。
「ごめんなさい。」
光一は深々と頭を下げた。膝の裏がビリビリくるくらいに頭を下げた。
「ネットに書き込んだの僕なんだ。いわゆる自作自演ってやつ。お金は返します。すみませんでした。」
光一は頭を上げなかった。怖くてゆかりの顔を見ることができないからだ。
だから光一は知らない。ゆかりが薄ら笑いを浮かべていたことなど。
「お金を返せば終わりなんだ。」
抑揚のない冷たい言い方だ。
光一は頭を下げたまま黙り込んだ。
「これって詐欺じゃないのかな。それとも霊感商法とかそういうこととか。」
「そんなつもりじゃない。」
光一は思わず声を荒げてしまった。
「じゃあどんなつもりだったの。」
光一はたじろいだ。ゆかりの目が笑っているようだからだ。
「ただ、うちの神社って貧乏だから、少しでも参拝者が来ないかなって・・・、今思えば安直でした。」
光一は再度頭を下げた。正直なところ、ゆかりが怖いと思ってしまった。
「そう、確かに安直ね。詐欺じゃないっていうなら私の願いを叶えてよ。」
「えっ。願いってお母さんの病気じゃなかった。」
ゆかりは確かに微笑んでいる。
「そう、お母さんの病気を治してほしいの。その為に協力してもらうからね。」
「何でもやります。」
「言ったわね、約束よ。何でもやってもらうから。」
そう言うと、ゆかりはすたすたと歩き出した。
「どこに行くんですか。」
ゆかりは振り返らずに答える。
「私の家よ。」
ーこれって喜んでいいのか、とんでもないことに巻き込まれたりしないかな。
ゆかりは光一に構わず歩いている。
「あ、ちょっと待ってください。」
完全に力関係が決まってしまった二人であった。