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巻き込まれ少女の異世界生活 3ー2

「ふぇ〜……予想以上に大きい……」

 街外れにあるノウルの屋敷に辿り着いた星は、開口一番に感嘆の声を洩らして、そのまま動きを止める。

「これぐらい普通じゃないか?」

「……本当にお金持ちなんだね」

 心底不思議そうに返すノウルに対し、星は苦笑を浮かべているが、不意に何かを思いついたのか、パッと顔を上げ、表情を一変させる。ノウルに向けられたのは悪戯っ子のような、可愛らしい微笑み。

「ねぇ、防犯装置とか、ある?」

「ああ、あるぞ。今は俺が解除済みだが、それがどうかしたか?」

「じゃあ、大丈夫だね。ノウルは、私の後で入ってきて!」

 ノウルの質問をスルーし、星は水晶ウサギを抱えたまま、パタパタと石畳を駆けていく。

「……セイ?」

 思わず伸ばした手は虚しく宙を掻き、ノウルは間の抜けた体勢のまま、呆然として立ち尽くす。

 幸いにもノウルの屋敷は街外れなので、人通りはあまりなく、ノウルの情けない姿を目撃した人間はいなかった。

「ノウル?来ないの?」

 数分後。いつまでも入って来ないノウルを心配し、扉の隙間から星が顔を覗かせる。

「……行っても良いのか?」

「ノウルの家でしょ?」

 おかしなノウル、とクスクスと楽しげに笑った星は、顔を引っ込めると、薄く開けた扉をもう一度閉じて、ノウルを待つ。

 全速力で突っ込んできたのか、星が閉めた直後、バンッと勢い良く重厚な両開きの扉が開かれ、キラキラとしたイケメンが現れる。

「お帰り! ノウル」

 それを、ふにゃ、とした笑みで迎える星。これをするため、星は家主より一足先に屋敷へ入ったのだ。

 一方、星の笑顔と挨拶に迎えられたノウルは、反応出来ず、扉を開いた体勢のまま固まってしまった。

「……ノウル?」

 反応の悪さに、星は不安げな様子で小首を傾げ、ノウルを見つめる。

 星の声を聞き、思い出したように動き出したノウルは、ふらふらと歩き出し、背後で閉まる扉の音を聞きながら、緊張した面持ちで口を開いた。

「あ、ああ、すまない。……ただいま、セイ」

 ただいま。音になった瞬間、それぞれの反応は劇的だった。星の顔は喜色で染まり、ノウルの顔は蕩けきった笑みを浮かべる。

「ただいま、セイ……」

「うん。お帰り、ノウル」

 噛み締めるように繰り返された挨拶に、律儀に返答した星は、水晶ウサギを床に下ろし、ノウルに向けて腕を差し伸べる。

 星としては、自らの着替えが入った鞄を受け取ろうとしただけだったのだが、ノウルはその腕を掴み、そのまま小さな体を抱き寄せる。

「セイも、お帰り、だな?」

「……そうだよ、ただいま、ノウル。今日から、よろしくね」

 星の頭頂部に顎を乗せ、満足げな様子のノウル。困ったように、だが嬉しそうに微笑む星。

 キスでもし出しそうな良い雰囲気を壊したのは、星の足元でやさぐれている水晶ウサギ……ではなく。

 くぅ……。星の腹部から響いた、可愛らしい訴えだ。

「……とりあえず、買い置きのパンでも食べるか?」

 全くからかう様子もなく、一気に心配そうな表情になるノウル。

「うん……ちなみに今なら、恥ずか死ねるよ」 ノウルの腕の中、羞恥で悶える星。穏やかな空気をぶち壊してしまい、星の頬は真っ赤に染まっている。

「部屋の案内は後にしよう。夕食には早いが、とりあえず、手を洗って、軽く何か食べよう」

 パンと牛乳ならあった筈と呟いてノウルは、悶えている星の手を引いて歩き出した。

 案内された洗面所で、元の世界と遜色ない水回りに星が驚愕する、という一幕を経た後、星とノウルの姿はキッチンにあった。

「へぇ、上下水道整備させたのって、昔の『世界の愛し子』なんだ」

「ああ。他にも色々とな。興味があるなら、追々教えるが……」

「うん、後でお願いするね……で、これが牛乳だね?」

 陶器のカップに入れられた液体を前に、星は緊張した面持ちでカップを両手で掴む。

 野菜はほぼ地球と同じだったが、肉は肉になった状態しか見ておらず、マグロの件もあるので、牛が星の知っている牛でない可能性もある。

「……色は、牛乳。匂いも、牛乳。残るは、味」

 真剣な表情でカップの中を見つめ、ブツブツと呟いていた星は、恐る恐る舌を出すと、子猫のようにチロチロと牛乳を舐める。

「う……っ」

 その愛らしい仕草に、口元を押さえたノウルは、上げそうになった声を押し込める。

 ノウルの葛藤を他所に、星はしっかりと味を確認した牛乳を、躊躇いなく美味しそうに飲んでいる。

「ノウル、牛乳美味しい」

「よ、良かったな。ほら、パンもあるぞ」

「うん、ありがと。いただきます」

 視線を泳がせているノウルを気にせず、星はノウルが差し出した籠から、パンを一つ手に取る。

 星が初めて手にした異世界のパン。サイズはロールパン程で、見た目は少々潰れた四角いフランスパン。

 見た目の武骨さを、そう控えめに脳内で表現した星は、意を決してパンを口に運ぶ。最初は千切ろうとしたのだが、予想以上に硬かったため、諦めてそのままかじりつく。

 小さな口を目一杯開き、パンへ立ち向かう微笑ましい姿を、ノウルは口元を覆ったまま、ガン見している。

 そんなノウルを、水晶ウサギが冷たい視線でガン見する、という混沌とした空気の中、星はパンに噛みついたまま、動きを止める。

「セイ?」

「思ってたより、硬い……」

 黒目がちの瞳を驚愕で見張った星は、ノウルの心配そうな声を緩く首を振って流すと、パンを一度口から離す。歯形の付いたそれに、リベンジとばかりに再び噛みつく。

 今度は、ガリ、とパンとは思えない音をさせ、星の口内へとパンの一部が消える。

「……硬めの乾パン?」

 ガリガリと良い音をさせてパンを咀嚼し、星はポツリと感想を洩らす。

「口に合わなかったか?」

「ううん、美味しいよ」

 不安から美麗な顔を歪めて問うノウルに、星はふる、と首を振って、笑みを浮かべる。内心では、歯が丈夫で良かった、と心底思いながら、ガリガリとパンを減らしていく。

「ごちそうさまでした」

 パンを食べ終わり、最後にぐび、と牛乳を飲み干すと、星は食後の挨拶と共にパチンッと手を合わせる。

「ああ」

 耳慣れない挨拶に、ノウルは一度シパと瞬いてから、薄く微笑み、星の使ったカップをシンクに入れる。

 軽くお腹が膨れ、人心地ついた星は、改めてキッチンの中を見渡す。

 道具は色々揃っているが、使われている気配は無く、どれも新品にしか見えない。

 辛うじて、先程星が使ったカップ。それと、コンロに置かれたケトルには使用感があるが、それ以外の道具は、埃こそ被っていないが、まるで店からそのまま持ってきたかのようだ。

「ノウル。通いの家政婦さんに料理とかしてもらわないの?」

 星は新品にしか見えない陶製の鍋を手に、ガリガリとパンを食べているノウルを振り返る。ちなみに、パンを食べている姿もイケメン、と思ったのは秘密だ。

 星の内心の叫びを知る由もなく、ノウルは苦笑して肩を竦めた。

「最初は作ってもらっていたが、あまりにも俺が食わなかったせいで、呆れられて、最後は『もう作りません』と言われてな。今は作ってもらってないんだ」

「ノウル、ちゃんとご飯食べなきゃ、駄目だよ? 好き嫌い酷いの?」

「いや、特に食えない物はないぞ。ただ、頼まれた薬作りで忙しい日が続いたり……」

 星から責めるような視線を向けられ、ノウルは言い訳じみた事を口にするが、不意に言葉を切ると、頭痛を堪えるよう額を押さえる。

「ヤバいな。完全に忘れていた」

「どうしたの? 何か忘れ物?」

 星は小首を傾げて鍋を置くと、パタパタと軽い足音を立てながら、ノウルの傍に戻る。星の足下には、水晶ウサギが踏まれないようにしながら、ピッタリと着いてきていた。

 心配そうな星の頭を撫でながら、ノウルは窓の外へ視線を向けた。太陽は、だいぶ位置を低くしている。

「忘れ物、だ。確かに。……元々、森へは薬の材料を採りに行ったんだが、度忘れしてたな」

 腕の中へ飛び込んできた温もりで頭が一杯になり、肝心な用件は吹っ飛んでしまっていた自分に、ノウルは独り呟いて可笑しそうに笑う。

 笑っていられなかったのは星の方で、

「私のせいだよね、それ……本当にごめんなさい」

と、弱々しく謝罪の言葉を紡ぐと、その場にしゃがみ込み、間近にいた水晶ウサギを抱き締める。

 今にも膝を抱えて啜り泣きそうな雰囲気の星に、ノウルは表情を変える事なく、慌て出す。必要な材料を忘れたのは自己責任で、星のせいだとは全く考えてもいなかったのだ。勿論、責めるつもりも毛頭無い。

 身を屈めて、星と目線を合わせたノウルは、必死で言葉を探す。そのまま、抱き締めるべきか悩んでいるのか、腕をわきわきとさせ、落ち着かない。

「セイのせいじゃないぞ? 俺が忘れただけだ。俺ならすぐに森に戻って、水晶ウサギの一匹や二匹捕まえて……」

「水晶、ウサギ?」

 慌てまくるノウルの言葉から、ごく最近聞いたばかりの単語を拾い上げ、星は怯えた様子で腕の中に抱えていた獣――まさにノウルの探している、水晶ウサギを抱き締め直す。

 ノウルも気付いたのか言葉を切り、星の腕の中にいる水晶ウサギをジッと見つめる。

「……そう言えば、いたな」

 獲物を狙うかのように鋭くなった視線が、星の腕の水晶ウサギに注がれる。

「や、止めて! 殺さないで!」

 星は水晶ウサギを守ろうと腕の中に閉じ込め、体を退こうとする。先程から瞳は潤んでいたので、ノウルを睨む顔は、泣き出す寸前にしか見えない。

「セイ、落ち着いてくれ。欲しいのは額の水晶だ。水晶ウサギを、殺したり、傷つけたりはしない。俺を信じて欲しい……」

「……取るの、痛くない?」

「ああ。コツがいるが、普通に取れる上、痛みもない。しかも、すぐに生えてくる。人間の爪や髪のようなものだ」

 ノウルの必死な説明を聞いた星は、腕の中で寛いでいる水晶ウサギへと視線を落とす。ノウルの焦った顔のおかげで、逆に少し落ち着いたらしい。

 そんなノウルの言葉を疑うという選択肢は、星の中に一ミリも浮かばなかった。

 ノウルへの信頼を表すように、星は真剣な表情で水晶ウサギを見つめる。

「……君のおでこの水晶が必要なの。痛くないようにするから、ください」

 水晶ウサギは、力強く言い切って頭を下げる星をジッと見つめてから、甘えるようにスリ、と顔を擦り寄せる。

 水晶ウサギは、そのまま、好きにしなよ、とばかりに星の腕に身を預ける。それが答えだった。

「ありがとう、大切に使ってもらうからね。……ノウル、お願いします!」

 星は水晶ウサギの目を覗き込んで優しく語りかけながら、その脇に手を差し込んで、一緒に立ち上がる。

 そのまま星によって、星の顔の高さまで持ち上げられ、ズイッとノウルに向けて突き出される水晶ウサギ。

 ノウルは面食らった様子で何ともいえない表情を浮かべながら、足をぶらつかせている水晶ウサギへと視線を向ける。

 見つめ……睨み合う一人と一匹の間に、微妙な空気が流れる。

「あ、ああ、すまない……?」

 やっと絞り出したノウルの言葉が疑問系になったのは、差し伸べた手が触れる前に、水晶ウサギのもふもふな前足が、自身の水晶に触れていたせいだ。

 は? と固まるノウルの前で、水晶ウサギは小憎たらしい表情で鼻を鳴らし、フン、と気合を入れると、自ら前足で男前に水晶をもぎ取った。それを、行き場を無くしたノウルの手に押し付ける。

 ちなみに、水晶ウサギを抱えていた星は、顔を背けていた為、あの小憎たらしい顔も、男前な動きも見ておらず、時々、心配そうな瞳をノウルへ向けていた。

「……取れたぞ」

 脱力感に襲われながら、ノウルは手にした水晶を示す。

「え? もう取れたの? 大丈夫? 痛くなかった?」

 ノウルの様子に若干疑問を抱きつつも、星は水晶ウサギを抱え直し、その顔を覗き込んで問い掛ける。

 水晶ウサギは、くしくし、と前足で水晶の無くなった額を擦り、愛くるしい表情で、星への健気な大丈夫アピールに余念がない。

「本当に痛くないんだね。それに、ちっちゃいけど、もう次の生えてきてる」

「……そうか」

 感心しきりの星に、普通なら一週間はかかるんだが、と出かけた突っ込みを飲み込み、ノウルは水晶を握り締める。

「これさえあれば、薬はすぐ出来る。とりあえず、先に屋敷の中を案内しよう。丁度良いから、ここから行くぞ?」

「はい!」

 水晶を懐に仕舞い、ノウルはキッチンの中を歩き出す。その後ろを鳥の雛のように、水晶ウサギを抱いた星がちょこちょことついていく。

 最初は、ケトルの置かれていたコンロの前でノウルの足が止まる。

「コンロは、わかるな?」

「それは、わかるけど、燃料は何?ガス管とか無いよね……」

「魔力だが」

「へぇ……って、魔力?」

 当然のように即答され、思わず普通に相槌を打ってから、星は目を見張ってノウルとコンロを交互に見やる。

「そう、魔力だ。これには魔力が籠った石が組み込まれていて、術式が壊れない限り、半永久的に使える。

勿論、使用者の魔力の有無は関係ない作りだ」

「もろにファンタジーだけど、魔力の有無関係ないなら私でも使えるね」

「ああ、問題ない。とりあえず、試してみると良い」

「うん。火が使えなきゃ、話にならないもんね」

 コクリと頷いた星は、躊躇なくコンロのスイッチを押す。一瞬の時間差で、星が押した方のコンロに青白い炎が点る。

「火加減は、これ?」

「ああ」

 星はスイッチの上のレバーに触れながら、ノウルが頷いたのを確認すると、早速レバーを左右に動かし、炎の反応を見る。

強火から弱火。もう一度、強火から弱火、と星は同じ動作を繰り返す。

「おー」

 ぱちぱち。表情を変えずに感嘆の声を洩らし、手を叩く星。その腕の中では、水晶ウサギも一緒にぽふぽふ手を叩いている。

 そんな様子を微笑ましげに見つめながらノウルは、コンロの火を消し、食器棚の方に歩いていく。

「これとこれも、コンロと同じ仕組みで動く魔具だ」

「まぐ、っていうんだね。そういうの……と言うか、冷蔵庫?」

 とてとてとノウルの元へ歩み寄った星は、ノウルが示した魔具を確認し、その見覚えのある姿に、小首を傾げて呟く。

「れいぞうこ、ではないぞ? 右が保存庫で、左が保冷庫だ」

「保存庫と保冷庫?」

 コトリと小首を傾げ、あどけなく反芻する星に、ノウルは柔らかく微笑んで、星の頭を撫でながら、それぞれの機能の説明を始める。

 ノウルの説明を要約すると……、

 保存庫は、文字通り『保存』する箱で、中に入れた物は、時が経つ事なく、入れたままの状態が保たれる。例えば、熱いスープを入れれば熱いまま。新鮮な肉や野菜は、ピチピチのまま、そのままで『保存』される。ただし、例外はあって、生き物は入れる事が出来ない。

 保冷庫は、中に入れた物を、設定した温度に変化させ、その温度を保つだけで、保存庫のように時を止める効果はない。温度設定を変える事で温める事も可能になる。

 脳内で情報を整理した星は、興味津々な様子で、保存庫の方の扉を開ける。

「中は昭和の冷蔵庫、ぽいけど、見た目より広い……あ、卵見つけた」

 星は、アイス作るには保冷庫で、食材保存するには保存庫だね、と自分の中で整理した情報を元に呟き、確認の意味を込めてノウルを見やるが、ノウルは不思議そうに首を傾げ、

「あいす、とは何だ?」

と、逆に問い返される。

「冷たくて甘い食べ物だよ。ノウル、甘い物嫌い?」

「疲れた時に食べるぐらいだが、まあ嫌いではない。殿下が甘い物好きで、土産を貰うことも多いからな」

「ふぅん、デンカさんは、甘い物好きなんだね」

 星は、明らかにノウルの言った『殿下』を勘違いした相槌を打ち、僅かに口元を緩める。

「頭脳労働が多いからな、お互いに……。次は、星の部屋を案内しよう」

「えぇと、私、その辺のソファとかでも……イエ、ナンデモナイデゴザイマス」

 遠慮がちに部屋は必要ない、と訴えようとした星は、笑顔のまま無言で威圧してくるノウルの姿に、片言でブンブンと首を横に振る。

「なら良かった。さあ、こちらだ」

「……イケメン怖い」

 キラキラと効果音がしそうな笑顔で押し切られ、星は水晶ウサギの後頭部に顔を埋め、半眼でボソリと呟きながら、上機嫌なノウルの背中を追う。

 そんな星を慰めるように、水晶ウサギの前足が、ぽふぽふと星の腕を叩いている。

 星が案内されたのは、豪華な手摺の階段を上り、廊下を進んだ突き当たりの木製の扉の前。

「元は客間だったが、今は使っていない部屋だから、気にせず使ってくれ」

 相変わらず知己が見たら卒倒しそうな程上機嫌な様子で鈍く光るドアノブを回すノウルに、星は無言でコクリと首肯する。完全に抵抗は諦めたらしい。

「掃除は済ませてもらってある。勿論、シーツや布団も新品だぞ」

 どうだ、と言わんばかりの表情でノウルは勢い良く扉を開く。きちんと手入れをされているらしく、蝶番から嫌な音がする事もなく、ふわ、と動いた空気にもカビ臭さや埃臭さは全くなかった。

「……意外と普通だ」

 ノウルの脇から部屋を覗き込んだ星は、若干失礼な感想を洩らすと、失礼します、と自室へ入るには不適当な挨拶をしながら、ゆっくりと室内に足を踏み入れる。

 アウラの部屋とは違い、原色な装飾品はなく、まず目を惹くのはシンプルなベッド。大きな出窓には花が飾られ、開いた窓からは爽やかな風が吹き込んで、カーテンを揺らしている。

夕日が射し込み、橙に染まった部屋をゆっくりと見渡した星は、扉に寄りかかって不安そうに自分を観察しているノウルを振り返る。

「気に入らない所があったら遠慮なく言ってくれ」

「そんなの一個も無いよ。こんな良い部屋用意してくれて、ありがとう、ノウル」

 ゆるゆると首を横に振った星は、溢れる感情のまま、ふにゃ、と表情を一気に崩して笑い、ゆっくりと頭を下げる。

「……俺の方こそ、感謝している」

 柔らかな黒髪の揺れる後頭部を見下ろし、ノウルは独り言のように囁く。まるで、伝えるつもりがないとでも言うように、ひっそりと。

「え?」

 現に、聞き取れなかった星は、気の抜けた声を洩らし、勢い良く顔を上げる。黒目がちの瞳が、問い掛けるようにノウルを見つめる。

「……いや、何でもない。さあ、もう少し屋敷の中を案内しよう」

 星から視線を外したノウルは、自らの内で湧いた感情を誤魔化すように自嘲気味に笑うと、星の脇を通って部屋へ足を踏み入れ、星の荷物が入った鞄をベッドに置く。振り返った時には、自嘲気味だった笑みは消え、その顔には貼りつけたような笑みが浮かんでいる。

「え、うん」

 若干、納得がいかない色を瞳に過らせた星だったが、すぐに常の静かな表情に戻ると、自らの傍らで足を緩めたノウルの服をギュッと掴む。特に理由は無かったが、そうしなければいけない気がしたのだ。

「……行くか」

 僅かに感じる重さと、布越しでも感じられる気がする星の温もりに、ノウルの顔から一瞬表情が消え、すぐに蕩けそうな笑顔が戻る。

「うん」

 安堵から大きく頷いた星は、水晶ウサギを片腕でしっかりと抱え直し、ノウルの服を掴んだまま歩き出す。蛇足だが、星が抱え直すまで不安定な体勢だった水晶ウサギは、親の仇のようにノウルの脇腹を蹴り続けていた。

 一部に不穏な空気はあったが、二人と一匹の同居生活は、こうしてゆったりと滑り出した。



 巡り会うまで。辿り着くまで。大小の災いに見舞われたが、全ては福へと繋がり、この出会いを幸いへ転がしていた。

 それは『世界の愛し子』として城に招かれた詩織にも通じる事だった。

 突然の異世界召喚から、ただの女子高生が崇め奉られる存在へと成る。感じ方は人それぞれだろうが、それこそ『幸いにも』詩織は喜びと感じていた。

 なので、こちらも災いが福へと転じたとなる。

 そんな災禍の中心にいる筈の星は、それを全く認識していなかった。


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